本文より~
16歳の大学生。
湖北省は、揚子江の中流に位置する。かつては、楚の国でもあった。今回、ご登場いただく東湖株式会社の代表取締役、徐氏が生まれたのは、この湖北省の省都である武漢市。生年月日は1962年3月27日。徐氏は、4人姉弟の長男。姉2人、妹1人。長女は、やがて医師になり、国立病院の院長になられた。
長男の徐氏も、負けてはいない。「勉強に興味を持ったのは、小学生の後半」と徐氏。中学に進むと、いっそう勉強に注力し、なんと高校1年で、大学の受験資格を獲得。中国の重点大学の一つである「武漢大学」に進んでいる。いわゆる飛び級という奴だ。
「高校1年の時に、コンテストがあって上位3位に入りました。3位までに入れば、大学の受験資格が獲得できるんです。えぇ、それで私はおなじ武漢市にある武漢大学に進みます」。
高校1年、日本ならまだ15歳。その15歳の少年がいきなり、大学のキャンパスに現れる。何を専攻することにしたのだろう。「最初は、父親がエンジニアだったこともあって、ドイツ語を勉強したかったんですが、大学の方に日本語を勧められて、『日本の近代文学史』を専攻しました」。
なんでも、卒論は「芥川龍之介の小説の美学」だそう。大学院を卒業しても、まだ23歳。「当時の中国の大学は、授業料は全部国が負担していた。ただ、大学院を卒業すれば、進む道も自由に選択できます。私には南に進んで、今、IT都市としても有名な深センに行くか、北に進んで政府機関に入るかの2つの選択肢があって、それで、北に向かいます。そう、北京です」。
長男の徐氏も、負けてはいない。「勉強に興味を持ったのは、小学生の後半」と徐氏。中学に進むと、いっそう勉強に注力し、なんと高校1年で、大学の受験資格を獲得。中国の重点大学の一つである「武漢大学」に進んでいる。いわゆる飛び級という奴だ。
「高校1年の時に、コンテストがあって上位3位に入りました。3位までに入れば、大学の受験資格が獲得できるんです。えぇ、それで私はおなじ武漢市にある武漢大学に進みます」。
高校1年、日本ならまだ15歳。その15歳の少年がいきなり、大学のキャンパスに現れる。何を専攻することにしたのだろう。「最初は、父親がエンジニアだったこともあって、ドイツ語を勉強したかったんですが、大学の方に日本語を勧められて、『日本の近代文学史』を専攻しました」。
なんでも、卒論は「芥川龍之介の小説の美学」だそう。大学院を卒業しても、まだ23歳。「当時の中国の大学は、授業料は全部国が負担していた。ただ、大学院を卒業すれば、進む道も自由に選択できます。私には南に進んで、今、IT都市としても有名な深センに行くか、北に進んで政府機関に入るかの2つの選択肢があって、それで、北に向かいます。そう、北京です」。
日本へ。23歳の外交官。
「私が23歳の時、1986年です。中国は様々な改革、開放が進んで、政府機関も人材不足の時代でした。私は文化部、日本でいう文部省に入省し、半年後に日本に派遣されました」。外交官の3等書記官となった徐氏は、元麻布の中国大使館に勤務するようになる。
「大学時代は日本の近代文学を専攻していましたが、日本に来て仕事をするとは思っていませんでした。当時の中国が今とまったく異なっているように、当時の日本は、バブル経済の真っ最中。今も先進国の一つですが、ぜんぜん異なる国のようでした。何しろ、世界を買ってしまうんじゃないかって言われていた時代です」。
文化も、テクノロジーもまったく異なる2つの国。東京で、見上げる摩天楼には、両国の経済力の差が映し出されていたのではないだろうか。
「大学時代は日本の近代文学を専攻していましたが、日本に来て仕事をするとは思っていませんでした。当時の中国が今とまったく異なっているように、当時の日本は、バブル経済の真っ最中。今も先進国の一つですが、ぜんぜん異なる国のようでした。何しろ、世界を買ってしまうんじゃないかって言われていた時代です」。
文化も、テクノロジーもまったく異なる2つの国。東京で、見上げる摩天楼には、両国の経済力の差が映し出されていたのではないだろうか。
雲南料理。
「私が、外交官を辞め、いったん中国にもどり、民間で、中国と日本の橋渡しのような仕事ができないかと、90年に日本に再び来て、貿易やツアーの仕事を始めました。」徐氏、29歳の時である。「政治を離れて何ができるかが、日本での私のチャレンジです。起業した会社で、文化交流企画展や雲南省の有機食材を日本に輸入していたんです。それで、当時、珍しかった『雲南省の料理』を日本に紹介したいと思って、はじめたのが『御膳房』です」。
「雲南省」をネットで検索してみた。雲南省は、南西部にあり、ミャンマーなどにも隣接していることがわかった。漢族が60%くらいで、それ以外に、ペー族、タイ族、イ族、ナシ族などの少数民族が40%くらいを占めていて、これが料理にも影響しているようだ。「雲南料理は、日本で有名な四川料理系の漢族の料理と、ペー族などの少数民族料理からなっています。酸味、甘み、辛みが、混然一体となっている。食材では茸類が有名です」と徐氏。
実際に、雲南料理とはどんなものか、徐氏がオープンした「御膳房」のページをググった。
「雲南省」をネットで検索してみた。雲南省は、南西部にあり、ミャンマーなどにも隣接していることがわかった。漢族が60%くらいで、それ以外に、ペー族、タイ族、イ族、ナシ族などの少数民族が40%くらいを占めていて、これが料理にも影響しているようだ。「雲南料理は、日本で有名な四川料理系の漢族の料理と、ペー族などの少数民族料理からなっています。酸味、甘み、辛みが、混然一体となっている。食材では茸類が有名です」と徐氏。
実際に、雲南料理とはどんなものか、徐氏がオープンした「御膳房」のページをググった。
・・・続き