2018年10月2日火曜日

株式会社TDG. 代表取締役 田邉勇人氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち” 株式会社TDG. 代表取締役 田邉勇人氏登場
本文より~

静岡県沼津の野球少年。

沼津は、伊豆半島の付け根、愛鷹山の麓に位置する港町だ。目の前には駿河湾が広がっている。今回、ご登場いただいた田邉氏が、この沼津に生まれたのは、1974年。兄弟は2人。兄は秀才で、早くから跡取りは弟の田邉氏と決まっていたそうだ。
「うちは、酒屋です。兄貴は頭が良くって、有名な大学にも進んだスーパーエリートだから、沼津のちっちゃい酒屋はないだろうってわけで、出来の悪いぼくに、跡取りの役割が回ってきたんです」。
父親は身長が高かった。172センチ。当時の人では、たしかに高いほうだろう。息子2人も高く、兄は182センチ。弟の田邉氏は187センチある。
「昔から、背は高かったですね。小学校から野球をはじめて、高校までずっとつづけます。身長は、中学の時に、とくに伸びて、22センチ高くなりました」。
「朝起きると、景色がかわっていた」らしい。かわりに関節が痛かった。「昔のことですからね。科学的なトレーニングもないし、いまだったらもう少し違ったトレーニングもあると思うんですが」。
高校に進学する時にすでに180センチはあった。野球では、もちろん、ピッチャー。「スピードはいっても130キロくらいしかでなかったですが」。それでもたいしたもんだ。
「ええ、つよい学校ではなかったんですが、いっても毎日、野球です。そりゃ、高校までの人生の大部分が野球です。母親に兄とおんなじ塾に行かされたこともあったんですが、兄貴とは違って、ぼくは塾に着くなり爆睡です/笑」。

2代目、大喧嘩の末、店をでる。

二代目就任は既定路線だった。だから、高校を卒業後の進路も決まっていた。
「静岡市にある有名酒店で修業です。2tトラック8台あったかな。そのトラックで繁華街を走り回り、お酒を卸していました。修業期間は2年です。一般的な2代目の修業コースですね/笑」。
修業が終われば、実家にもどる。これも、既定路線。しかし、そこまでは、予定通りだったが、半年くらいすると、しばしば父親と衝突。雲行きが悪くなる。
「最初は、気を遣って黙っていたんですが、やるからには業績も上げたいじゃないですか。それに、修業先で、ちゃんとした経営を観てきたから、オヤジの古いところに気づいてしまうんですね。それで、意見するようになって。ちょうど1年くらい経った時に、大喧嘩です」。
勘当されてしまったそうだ。田邉氏も、悪くないと思っているから、頭を下げられない。「それで、無職です。最初は、得意だった簿記をいかして、会計事務所で勤務するんですが」。それも1年しかつづかなかった。
「田舎でしょ。職を転々とするのは、まだいけないことの一つに数えられていたんです」。
「それで、こいつはヤバいぞ」と、悩んだそうだ。では、何をするか。
「やるなら、やっぱり好きな仕事だな、と思って『スポーツトレーナー』をめざすんです。鍼灸もできるようにしたかったから国家資格を取得するつもりでした。でも、取得するには専門学校に行かなくっちゃなりません。でも、お金がない。だからといって、親を頼れない。それで、社会人なのに、もう一度、バイトです」。

キャバクラの虜になる。

「昼は、びっくりドンキーです。夜は、静岡でもトップクラスのキャバクラでボーイをしました。ええ、いちばん時給が高かったんです。この店が」。
昼はウエイター、夜はボーイ。時給の多寡だけではなく、田邉氏は次第に夜の仕事に惹かれていった。
「たしかに、序列もきびしいし、女の子からしてもぼくらは奴隷です。でも、女の子も、お客様も人間でしょ。それを巧くマッチングできたら、莫大な利益を生むんです。そんなビジネスのしくみがわかると、もう、辞められなくなりました」。
面白くてたまらない? 
「そうです。楽しいから、頑張ります。そしてら、評価されて、1ヵ月くらいで社員にならないか、と声がかかりました。それで、いちおう悩んだんですが、昼のバイトは辞めて、『スポーツトレーナー』も断念します。これが、ぼくが22歳の時の決断です」。

部長の座を捨て、独立をめざす。

この静岡でもトップクラスのキャバクラは、静岡の会社と東京の会社が共同で経営する店だった。オペレーションは、東京の会社が行っていたそうだ。
「この店で、尊敬する経営者に出会います。そう、共同経営の一方である東京の会社の社長と、ナンバー2の常務です。その会社も、いまからみれば、信じられないくらいちっちゃい時代です。実は、この会社にぼくは10年在籍し、部長になっています」。
社名はださないが、いまや大手企業の1社で、マスコミにも何度も登場している。「社長に惹かれた理由ですか? だって、ぼくより7つ上で、ぼくが23だから、社長は30歳です。そんな30歳の若造が、店にランボルギーニで登場するんです。もう、マンガでしょ」。
常務とともに、右腕、左腕になる。そして、常務が独立し、田邉氏も、会社を去る。
「けっして、社長ともめたわけではないです。いまも、飲んだりしますからね。ただ、すごい人をみてきたわけでしょ。オレも独立してやりたい、って。そう、10年経った頃に、そんな気持ちが抑えきれなくなったんです」。
これが、田邉氏32歳の決断。
・・・続き
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