2018年12月4日火曜日

株式会社シャノアール 代表取締役 中村成佑氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社シャノアール 代表取締役 中村成佑氏登場
本文より~

1965年、創業の老舗カフェ。

4代目になる。今回、ご登場いただいた株式会社シャノアールの代表取締役社長、中村氏のことである。創業は1965年。中村氏が生まれる20年近く前の話だ。
「祖父が蕎麦屋をしていたんですが、そちらが立ち退きになり、代わりに不動産事業をスタートし、その時、もう一つ開始したのが、現在につづく飲食事業です」。
1号店は、今の『あきる野市』にオープンしたそうだ。
当時は、経済成長期。「シャノアール」も、次々、出店を重ねていく。ところが、1990年代に入ると、バブルが破綻し、経済の雲行きが悪くなる。ダウンサイジングが起こり、淘汰の時代がスタートする。
「最盛期は、245店舗ですね。私が生まれたあたりから出店が加速したんじゃないでしょうか。ただ、時代とともに、シャノアールの立ち位置もかわってきます」。
スターバックスなど、米国スタイルのコーヒーショップも台頭する。「シャノアール」もけっしてすべてが順風満帆ではなかったはず。なかでも、創業者である、中村氏の父親が倒れた時は、最大のピンチだったはずだ。
「そうですね。2004年に父が倒れた時は突然で、母が継ぐことになりました」。
いったん、社長の座を譲ったこともあったが、中村氏が社長に就任するまでの13年もの間、母がシャノアールを守り、育てたのは事実である。
ちなみに、中村氏が社長に就任したのは、2017年のことである。

めざすは、ビリヤードのプロ。

「中学受験して、私立中学に進みます。最初は、バスケットボール部に所属する、ふつうの生徒だったんですが」。そう言って中村氏が笑うのは、中学時代、スイッチが入ったように、ビリヤードにハマってしまったからである。
ビリヤードにハマったことで、バスケットボールも退部。「プロ」を目標にかかげ、一目散に突っ走る。
高校に進んでも、ビリヤードの熱は冷めない。
「ビリヤードの大会は、夜なんですね。それに合わせて、昼・夜逆転の生活をしていました。そんな生活ですから、高校に行くのもたいへんで。一度進んだ私立高校を辞めて、通信制高校に編入します」。
プロの道を進むための、覚悟の一つだった。

アメリカで知った世界の広さ。

高校を卒業すれば、いうまでもなくプロ試験を受ける。これが、中村氏の想定だった。ところが、試験の前に父親が倒れて亡くなってしまう。これが、2004年のことで、当時、「シャノアール」は、アルバイトだけでも3000人、抱えていたという。
むろん長男の中村氏も、もう「ビリヤードのプロ」とは言っていられなくなる。
「翌年の2005年です。新卒者といっしょにシャノアールに入社しました。それから2年間、店長も務めましたが、いったん、シャノアールを退職するんです」。
どういうことだろう。
「実は、店舗の運営だけではなく、マーケティングやファイナンスなど経営者にとって必要な知識を身に着けるためにニューヨークにある市立大学に留学したんです。あの時、様々な国の価値観と、その違いに驚き、世界の広さというのをリアルに体験したのは、いまでも私の大きな財産です」。
それ以外にも中村氏は、ニューヨークで日本とは違う「食」に関する価値観やカフェのあり方に出会う。現在の商品開発やマーケティング活動に活かされているのも、ニューヨークで得た経験だ。
モーニングメニューで採用しているカイザーパンやホットドッグで使用しているライ麦パンもまた、ニューヨークで得た知識がヒントになっている。
・・・続き
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