2019年2月19日火曜日

株式会社志 代表取締役 保志智洋氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社志 代表取締役 保志智洋氏登場
本文より~

父の経営問答。

今回ご登場いただいた株式会社志の代表取締役、保志智洋氏が生まれたのは1979年。
父親は薬局を数十店舗も経営されていたそうだ。兄弟は2人で保志氏は次男。
「帝王学ではないのですが、父は小さい頃から何かあると経営問答みたいな話をしてくれました。『いまのうちの会社は…』、なんて問題をだし、『お兄ちゃんならどうする? 智洋ならどうする?』って」。
問題をだすだけではなく、珍解答にも名解答にも「いいね」と言ってくれたそう。
なかには実際に採用された解決策もあるそうだ。
父親とのこのやりとりは兄弟2人にとってひそかな楽しみだった。
たしかに父親にすれば、戯れだったかもしれないが、子どもたちにとっては一つ一つの問答が財産になったのではないだろうか。経営者という立場から“ものごと”を観る思考が育ったように思うからだ。
「父の背中に憧れ、幼少期にはすでに「経営者になりたい」という夢を持ちました。だから父は、私に「夢を与えてくれた人」なんです」と保志氏。
幼少期は?
「とにかく、小学生の頃から仕切るのが好きな性格でしたね」。子どもの頃の様子を伺うとそんな答え。「生徒会長もしましたし、サッカー、野球、習字…と一通りのことは経験し、中学校では応援団長です。いろんなことで目立ってもいたんですが、だんだんと反抗期に入り、そこからはやや荒れた学生時代を過ごしました/笑」。
ただ、両親にとても愛があり、本当の意味で悪くはなり切れず、間違った方向に行かずに済んだそうだ。
その後、親元を離れて大学に進学。
「何をしたいかは分からかったのですが、とにかく起業しよう、しかも20代のうちに。そんな漠然ながら固い決意を持ち大学に進みました」。

恩師との出会い。

「ゼミの専攻はマーケティングでしたが、勉強の内容はなんでもありで多岐にわたりました」と保志氏。ときには、「哲学」や「経済」にも及んだそうである。
講義は週に2回。5時限目からスタートして、深夜までつづくことも少なくなかったそうである。「いろんな意味で、私に学ぶ楽しさを教えてくれたのは、このゼミでした」と保志氏。
勉強だけに限らず、食もそうですが、知らない事をもっともっと知りたいと思うようになったのも先生のおかげ。「当時は先生の付き人みたいに運転手もしていました」。
余談だが、実は今も保志氏の会社の顧問をお願いしているそうだ。
だから、大学卒業後の20年近く経った今でも青木教授は保志氏の先生である。

飲食業界への一歩。

「BtoB(法人向けサービス)の会社」であること。「ベンチャースピリッツ」があること。
これが大学卒業後の会社選びでのコンセプトだった。
「それで、ある人材系のベンチャーに就職します。ある程度きついだろうと想像はしていたのですが、社内に寝袋まで用意されていて想像をはるかに超える激務でした。まさに仕事、仕事の毎日です。この会社で多くのビジネス経験を積ませて頂き、夢に向かって卒業しました。起業の準備にはいる前にバックパッカーとして世界を旅しようかと思っていた時、兄から『いっしょに会社をやろう』という誘いを受けました」。
兄とは5歳離れている。長男・次男。保志家を継ぐ者たちである。保志家といえば、経営されていた薬局はどうなったんだろう。
「私が大学を卒業して、まもなく会社は倒産します。一族で経営していたものですから、助けもない。とても大変な状況でした。そういうのを見ていたので、兄から『いっしょにしよう』と言われた時もかなり悩みました。実は、現在は兄の会社をでて別の会社を経営していますが、これは父から頂いた教訓ですね。共倒れにならない策でもあります」。
ともかく、兄の誘いにうなずき保志氏の飲食時代がスタートする。これが23歳の時のこと。
・・・続き
株式会社志 代表取締役 保志智洋氏
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