本文より~
激安、ハイボール。
角ハイボール50円、サワー、カクテル、焼酎99円、生ビール280円。生ビール280円は聞いたことがあるし、飲んだこともあるが、角ハイボール50円は飲んだこともないし、初めて聞いた価格である。
ついでにいえば、同社は加盟店を募集しているが、加盟金50円。誤植ではない。正確に書いて「50円」。ついでに言えば、ロイヤリティも50円。
この型破りな店を展開しているのが、和田成司氏。1982年生まれの敏腕経営者だ。
「高校まではずっと地元で育ちます。高校1年から3年まで焼肉屋でバイトをしていて、その時にバイト仲間だった親友と『いっしょに焼肉屋をやろう』って語り合っていました。でも、その親友は、バイクで遊んでいる時に亡くなってしまうんです」。 数週間はなにもできなかったそう。
「でも、涙が乾いてきた時に、改めて誓うんです。約束だから。そう、約束だから、私1人になっても焼肉屋をしようと。そして、いつも笑っているような、楽しい社長になろうって」。
ついでにいえば、同社は加盟店を募集しているが、加盟金50円。誤植ではない。正確に書いて「50円」。ついでに言えば、ロイヤリティも50円。
この型破りな店を展開しているのが、和田成司氏。1982年生まれの敏腕経営者だ。
「高校まではずっと地元で育ちます。高校1年から3年まで焼肉屋でバイトをしていて、その時にバイト仲間だった親友と『いっしょに焼肉屋をやろう』って語り合っていました。でも、その親友は、バイクで遊んでいる時に亡くなってしまうんです」。 数週間はなにもできなかったそう。
「でも、涙が乾いてきた時に、改めて誓うんです。約束だから。そう、約束だから、私1人になっても焼肉屋をしようと。そして、いつも笑っているような、楽しい社長になろうって」。
200万円貯めて、独立。
高校を卒業した和田氏は、調理の専門学校に進む。むろん、焼肉屋を開業するためだ。そちらの学校を卒業してからは、いよいよ実践。有名な焼肉店「鳴尾」に就職する。
「私は21歳で結婚するんですが、その頃から現実的に独立をめざすようになります。同期には、『子どもがいるんだから独立なんて無理』って言われるんですが、社長の佐藤さんからは、逆に『だからこそやれ!おまえみたいなアホが成功したら他の人達の夢になる!』って激励していただきました。ええ、社長は、私にとって師匠の一人です」。
6年間、在籍した。
「鳴尾の佐藤社長は、きびしさのなかにも、やさしさがある人です。そうですね。ずっと、本を読めと言われていました。気づきや学びも、社長から教わったことです」。
日雇いのバイトもして、200万円を貯めた。そして、独立。
「私は21歳で結婚するんですが、その頃から現実的に独立をめざすようになります。同期には、『子どもがいるんだから独立なんて無理』って言われるんですが、社長の佐藤さんからは、逆に『だからこそやれ!おまえみたいなアホが成功したら他の人達の夢になる!』って激励していただきました。ええ、社長は、私にとって師匠の一人です」。
6年間、在籍した。
「鳴尾の佐藤社長は、きびしさのなかにも、やさしさがある人です。そうですね。ずっと、本を読めと言われていました。気づきや学びも、社長から教わったことです」。
日雇いのバイトもして、200万円を貯めた。そして、独立。
全くうまくいかず。
「独立して、もちろん焼肉屋をはじめます。親友との約束をようやく果たすことができたわけですが…」。1店舗目はそこそこ、うまくいったものの、亀有に2号店を出店するが、こちらは全くうまくいかず、3か月で撤退。
「3店舗目に居酒屋業態を立ち上げるのですが、こちらも、あきらかに失敗。さらに同時期に350万円、横領されてしまいます。とにかく、生活もギリギリです。独立してからはうちにもなかなか帰れなかった。でも、奥さんは何一つ文句をいいませんでした。いまあるのは彼女のおかげです。ええ、感謝しています」。
チャンスは、ふいにやってきた。
「知り合いの肉屋が経営していた居酒屋を辞めるから、『どうだ』って話をふってくれたんです。松原団地駅近くにある100席のお店でした。もちろん、新たに出店するといっても資金はカツカツです。だから、ホームセンターで資材を購入し、看板も拡大コピーしてつくりました」。
拡大コピーした用紙を両面テープで貼り付けながら、広いフロアを見渡して、「1度でいいから満席にしてみたい」とつぶやいた。
たしかに、100席が満席になれば、和田氏の人生、初の快挙だ。
「3店舗目に居酒屋業態を立ち上げるのですが、こちらも、あきらかに失敗。さらに同時期に350万円、横領されてしまいます。とにかく、生活もギリギリです。独立してからはうちにもなかなか帰れなかった。でも、奥さんは何一つ文句をいいませんでした。いまあるのは彼女のおかげです。ええ、感謝しています」。
チャンスは、ふいにやってきた。
「知り合いの肉屋が経営していた居酒屋を辞めるから、『どうだ』って話をふってくれたんです。松原団地駅近くにある100席のお店でした。もちろん、新たに出店するといっても資金はカツカツです。だから、ホームセンターで資材を購入し、看板も拡大コピーしてつくりました」。
拡大コピーした用紙を両面テープで貼り付けながら、広いフロアを見渡して、「1度でいいから満席にしてみたい」とつぶやいた。
たしかに、100席が満席になれば、和田氏の人生、初の快挙だ。
・・・続き
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