in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社火の魂カンパニー 代表取締役 野沢賢司氏登場。
本文より~
テーブルに残された、1人分のステーキ。
商才があった。野沢氏の話ではなく、父親の話。野沢氏の父親はラーメンのFC店からスタートし、そこで儲けた資金で次々に事業を拡大していく。
「もともとはトラックの運転手だったそうです。儲かっていたラーメン店を4年で、さっさと手放すなど、たしかに商才はあったんでしょう。でも、子どもですからね。商才なんてわからないし、リスペクトなんかできない。ぼくは親父がぜんぜん好きじゃなかった」。
父親は、仕事第一。「1度だけ、家族5人でステーキを食べにいったことがあるんです」。じつは、外食の思い出は、これ一つ。末っ子の野沢氏は、テーブルを囲むみんなの顔を見渡してわくわくしていた。
「みんなで外食なんて、めったにないでしょ。ぼくのなかでは、これ、1回きりです。メニューをみて、母も笑っている。いいなぁ、いいなぁ、って思っていたら、親父のポケベルが鳴って…」。
手を付けられず残された1人分のステーキには、野沢家の有り様が映し出されていた。これが、子どもの頃の、野沢氏の記憶。
高校生、朝からパチンコ店に向かう。
中学生の時代。担任から「3バカトリオ」と言われていた。うち1バカは、当然、野沢氏だった。高校は姉にも勧められ、調理科がある高校に進学する。
「小さい頃から料理が好きだったから、悪くないなと思って進学するんですが。高校1年から授業にもでずに、朝からモーニングです。食べるほうじゃなくって。そうです、パチンコです」。
高校になっても、バカトリオの、バカから抜け出せなかった。しかも、バクサイがあったからタチが悪い。朝から数時間だけで軽く1万円くらい儲けていたそう。高校卒業後、いったん和食の職人をめざし、ロイヤルホテルに就職したが、20歳の時にパチプロに転向する。
「料理人になる」。いつしか、気力が削がれていたからだ。
パチプロへ。真剣勝負。
「パチプロ生活は5年くらいです。べつにパチンコが好きでもなんでもない。でも、簡単に儲かるから。1日10万円くらいはコンスタントには儲けていました。当時は、無駄遣いばかりしていました。どこに行くのもタクシーです。それでも、5年で結局、2000万円、貯まりました」。
2000万円?
さっそく勝つ方法を聞いてみたが、今はそういう時代ではないらしい。
「パチンコ台って、台にもよりますが、確率が公表されているんです。だから、方法は一つでしょ」。
う~ん?
「だいたい31日やって、30日は儲けられます。ただし、1人じゃだめ。ぼくも10人くらい下請けがいました。でも、だんだん儲けられなくなるんです」。
規制ですか?
「そうです。4号機とか、5号機っていうのがあるんですが、それが入れ替わったことで、パチプロはいなくなったんじゃないですか。確率的に儲けられなくなったからです。ハイ、私も、潮時だと」。
パチプロは辞めた。結婚相手もいた。しかし、金もある。仕事などしなくても、まぁ、大丈夫だった。「そう、それでニートになって、今度はゲーム三昧です/笑」。
ちなみに、こちらでも才能を発揮する。世界ランカーになり、ゲーム内にある極上の狩場を守るため、組織を構成し、配下もつくっている。数千万人に及ぶ世界中のプレイヤーが、野沢氏にひれ伏した。じつはお金も、儲けている。
夫の職業、ネットの住人とは書けず。
「でも、パチプロだった時みたいには儲かりません。もっともゲームは24時間ですから、そうお金も遣わないわけですが」。
それでも、結婚して、子どももできるとだんだん資産も目減りする。
「それで、お金がなくなってきて、奥さんが仕事にでるんですが、夫の職業の欄が書けないっていうんです。その時かな。これじゃ、親父以下だって/笑」。
「ええ、それで、一念発起っていうか、とにかく、『仕事をしなくっちゃ』と思って、ラーメン店を開業します。もともと和食の職人でしょ。ロイヤルホテルでも、それなりに評価されていましたし、賞も受賞しています。だから、『やる』と決めた時にはもう、頭のなかで行列ができていたんです/笑」。
30歳、ネット住人だった野沢氏が、5年ぶりにリアルな世界に舞い戻る。
決意を聞かされた時には、奥様もさぞ喜ばれたことだろう。
少なくとも、これからは夫の職業が書けるのだから。
明日はうまいラーメンがつくれますように。
「ポジティブっていうか、楽天家なんでしょうね。『うまくいくだろう』ってことしか頭にない/笑。1号店はロードサイドで300坪くらいでした。もっとも席数は20席くらいです。親父にも出資してもらってオープンします。だいたいこれくらいは、儲かるだろう、と。そういう計算は得意ですから」。
「でも、さすがにオープンがちかづくと不安もでかくなるんです。『料理人をしていた』って言ったって、ラーメンはつくったことがなかったわけですし」。
つくったことがない?
「ええ、もちろん、1杯だけとか、うちではつくっていますよ。でも、それだけです。それで、心配になって、オープン前日、採用した人にたずねたんです。『〇〇さんは、ラーメンをつくったことがありますか?』って。『え、ないですよ。ない。ない』『ですよねぇ~』って」。
かすかな希望も打ち砕かれ、天に祈るしかなかった。
「明日はうまいラーメンがつくれますように…」。
湯けむりの向こうには、鬼にがいた。
申し訳ない程度につくったチラシの宣伝が効いたのか、オープン前から、くらくらするほどの長蛇の列だった。「ぜんぜんオペレーションが回りません。正直、不味かったし、1杯つくるのにも時間がかかって、なかなかおだしできないし…。ええ、こっちもテンバっていますしね」。
「ラーメンってよく言うじゃないですか。『湯けむりの向こうに笑顔がある』って。あの時、必死で湯切りして、ふと湯けむりの向こうをみたら、もう全員、鬼の形相なんですよね。血の気がひくって、あのことです/笑」。
それでも、と野沢氏。
「いままでとは、まったくちがいます。パチプロでしょ。ネットのゲーマーでしょ。だいたいぼくは1人が好きなんです。なのにね…。これが、リアルな世界なんですよね。悪くない。ぜんぜん、悪くなかったですね」。
怒って帰る人もいた。だが、励ましてくれる人いた。「その時、ぼくができることといったら、感謝ですよね。いつも、頭を下げていました。精一杯にです」。