2019年6月25日火曜日

有限会社ネットタワー 代表取締役 江野俊銘氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”有限会社ネットタワー 代表取締役 江野俊銘氏登場
本文より~

オモチャがつなぐ縁。

「小学校に上がる頃まで、ぼくだけ、おばあさんといっしょに台北で暮らしていました」と江野氏。江野氏は、4人兄弟の次男。「兄1人、弟2人。小さな頃の思い出ですか? そうですね。叔母がくれたおみやげを友人に売ったことがあるんです。それも、高値で/笑」。
叔母さんが買ってきてくれたのは、日本のオモチャ。
「ええ、叔母さんにバレたら怒られると思っていたんですが、逆に『商才がある』って褒めてくれたんです。そんなことがあってからですね。日本を意識するようになったのは…」。
日本製のオモチャを欲しがる子どもたちをみて、江野氏は、はじめて日本という国を意識する。むろん、この頃はまだ、日本で暮らすとはまったく思ってもいなかった。
「私は、小学校から卓球を始め、中学、高校と卓球をつづけます。高校では強豪校に進んで寮に入り、卓球をつづけます。あ、でも、特別、巧かったわけではないんです/笑」。
江野氏は、そう言ってけん遜するが、団体戦で全国2位にもなったこともあるというから、相当な実力だ。韓国や日本で行われた親善試合にも出場している。
「そうですね。親善試合がきっかけだったわけじゃありませんが、たしかに、この頃から留学を意識するようになりました」。オモチャの縁が、改めて日本と江野氏をつなぎはじめた証だろう。

来日と、だまし取られた900万円と。


江野氏が来日したのは、1994年10月。
「日本で暮らしていた叔母さんを頼って」と江野氏。なんでも、来日したその日からバイトをはじめたそい。「日本では大学に進学し、情報学科を専攻します」。
ちょうどウインドウズ95がリリースされる頃。いろんなネットビジネスがスタートする。商才のある若者は、その波に群がった。江野氏も、その1人だった。
「大学4年の時にネットビジネスで起業しようと思って会社を立ち上げるんです。ハイ、それがいまのうち『ネットタワー』です」。
「ネットタワー」。飲食にしてはめずらしい社名と思っていたが、それを聞いて納得した。「だけど、どういうわけか…。ボタンの掛け違いで、飲食の世界に進むことになるんです/笑」。
知り合いの華僑から「いっしょにビジネスをしないか」と誘われた。それが「タピオカ」との出合い。「最初は、タピオカの輸入などを考えていたんですが、華僑が経営していたのは神田にある東南アジアの料理店です。私はそちらで仕事を始めるんですが、『いっしょにしよう』と言ったタピオカのビジネスはぜんぜん前に進みません」
それどころか、いつのまにか店長に格上げされ、店を切り盛りするようになっていた。「ネットのビジネスの種がみつかればいいやって思っていたんですが、私も店が忙しくて、それどころじゃない。そうこうしているうちに3年くらいが過ぎ、オーナーが店を売却するといいだしたんです」。
「それで、飲食事業をスタートしたんですか?」と江野氏にたずねると、苦笑いしながら首をふる。
「私も店長をやっていましたから、愛着がありました。コックさんも私が連れてきましたから、店を閉めるのは忍びない。だから、『売却するなら、私に譲ってくれ』と、オーナーに交渉するんです」。
この時、江野氏は、オーナーに900万円を支払っている。
「でもね。だまされたんです。私だけじゃなく、いろんな会社とも契約していて。『だまされた』と気づいた時は、後の祭り。なんとか500万円はとりもどしましたが、残りは仕方ありません」。
それで、飲食にも進めなくなったわけだ。八方ふさがり。
さらに、つづきがある。
「それで、初心に帰ろうと『タピオカ』の輸入を計画します。でも、防腐剤の問題で輸入できません。どうしようか。その時『だったら、日本でつくれればいい』って思いついたんです」。
幸いというか、まだ400万円を貸したままのオーナーが工場を持っていた。「それで、一部をただで貸してもらって、タピオカの生産を開始します。ただ、生産が軌道に乗る前に、今度はオーナーはいなくなった。そして、あっちの人たちが『金を返せ』と押しかけてきました」。
「なんなんだ日本って国は…」。そう思ったんじゃないだろうか。
しかし、江野氏はまだへこたれない。
・・・続き
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