2019年7月18日木曜日

株式会社飲ミュニケーションズ 代表取締役 中村 建(なかむら たつる)氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社飲ミュニケーションズ 代表取締役 中村 建(なかむら たつる)氏登場
本文より~

「ニコバー」。


年1回、放映される27時間の特番は50万ビューもあるそうだ。「飲ミュニケーションズ」のニコバー通信の話である。
「ニコバー通信っていうのは、隔週で放映している私たちの番組です。ツイキャス・YouTube・FRESH!の同時放送で生放送しています」。こちらも1回あたり3万ビューくらいはあるそうだ。
今回、ご登場いただいた中村氏がニコバー通信のもととなるニコバーをオープンしたのは2009年のこと。学生時代にアルバイトで知り合った熊谷氏と二人で共同経営というスタイルで立ち上げたダイニング・バーである。
「最初は、『ブレイク&BARケセラセラ』って店名だったんですが、お客様が『ニコバー』『ニコバー』って言いだして。ネット検索でも『ニコバー』が優勢になって、それでもう観念して、ぼくらも『ニコバー』っていいだしたんです/笑」。
「動画をみながら、飲食できる」のがコンセプト。
いままでなかったタイプの飲食店だ。

秀才、アルバイトに没頭する。

札幌市西区。「区と言っても、熊がでる」と中村氏は笑う。中村氏が、この西区に生まれたのは、1981年。兄弟は2人で、6歳下に弟がいる。
小学生の頃から学力はつねに学年トップクラス。高校は、北海道でもナンバー1の「札幌北高校」。高校では、あまり勉強しなかったというが、現役で「北海道大学」に合格している。
「もっとも、5年通って、3回生のまま退学」と笑う。
「Boys, be ambitious」。青年、中村はどんな大志をいだいたのか?
「大学を退学することになった理由はシンプルで、単純に授業に出なかったからです/笑」。
じつは、中村氏。19歳から、家庭教師派遣の大手企業で営業をはじめ、学生代表という肩書きまでもらっている。なんと、おなじ立場でもある学生アルバイトの時給まで決めていたというから、すごい。
「正社員とおんなじです。ネクタイもちゃんと絞めて、週6日は営業。大学行くヒマもないわけです/笑」。
たしかに、大学には行かなかったが、ある意味、大学に通うより勉強になったのではないだろうか。大事なビジネスのパートナーにも出会っている。
「そうなんです。この会社で、いまの共同経営者の熊谷と出会うんです」。じつは、熊谷氏は、その家庭教師派遣の会社で部長にまでなっている人だ。
「当時は、まだ部長ではなかったんですが、『中村、ちょっと手伝ってくれって』、何度か誘われて、夏の1ヵ月だけとか、千葉では8ヵ月、彼の下で仕事をしました。その頃から2人で起業しようと話あっていたんです。ハイ、それで2009年に会社を設立して。ぼくがたまたま社長になっただけで、共同経営です」。

100×100の公式。

現在、ニコバーは全国に15店舗ある。うち10店舗が直営。残り5店舗がフランチャイズである。中村氏は早々にフランチャイズを20店舗まで拡大していきたいとしている。そういう意味では、今からが加速期間となる。
「将来的には、飲食でシェア№1の会社になろうと。それが、一つの我々の目標です。ただ、いますぐじゃない。30年後くらい先をゴールにしています」。
その時、つまり30年先には、1000店舗を展開するようなメガブランドは生き残っていないだろうと、中村氏は読む。では、どうすべきか。どうあるべきか。
その答えを中村氏は、「100×100」という公式でみちびきだす。
「いま急いでいるのは、全国各地で経営者を育成することです。全国展開しているのも、その理由の一つ。1人1人の経営者を核にして、ビジネスを進めていきたと思っています」。
「いま、東京、大阪にそれぞれ直営店が3店ずつあるんですが、3店舗あるといろんな意味で安定します。だから、ほかのエリアでも3店舗の出店を考えています。ただ、ニコバーだけではなく、異なったブランドがあれば、もっといい訳で、いまそういったことも模索しています。最終的には100ブランドをつくり、それぞれ100店舗以下ですが、出店する。それが、いまの構想です」。
「ぜったい、そんな時代がくる」と中村氏は強くいう。時代がかわれば、飲食もかわる。しかし、かわることがわかっていても、どうかわるかは、別の話。「インスタ」や「フォトジェネック」が、キーワードになるとは、だれも想像しなかったはずである。
だが、いまは、和食の料理人でさえこういう。「この料理は、インスタ映えを狙っている」と。
・・・続き
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