2019年7月18日木曜日

株式会社丘里 代表取締役 中村康彦氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社丘里 代表取締役 中村康彦氏登場
本文より~

14万人の古河市で、年間42万人が来店する名店の、そのはじまり。

昭和46年、両親が喫茶店を開業する。これが、株式会社丘里のはじまり。いまや人口14万人の古河市で、年間42万人を集客する会社となっているが、そのはじまりは、そう華々しくはなかったようだ。
「父も、母も、素人ですからね。しかも、喫茶だけではなく、料理もだしていました。もちろん、ちゃんとしたコックさんを採用して。でも、当時の料理人っていったら、経営者の話も聞かないような人ばかりでしょ。けっきょく、その人たちのおかげで経営もうまくいかない。どちらかというと落ち込んだ母や父をみて育ったようなもんです」。
当時の月商は200万円強だったそう。料理人もつかっている店だから、利益はわずかしか残らない。
「そうですね。うちにお金はなかったですね。もっとも、私は3歳から高校2年までピアノを習っていますから、それなりにお金を遣ってもらったんでしょうが…」。
高校2年まで、じつは音楽で生きていこう、と思っていたそうだ。「でも、うちにお金がないのがわかりましたから、『こりゃぁ、オレがなんとかしなくっちゃ』と。ええ、それで、大学に進学せず服部栄養専門学校に進みます。私が料理をできれば、両親がさんざん泣かされてきた問題が解決しますからね」。

ベルギーのブリュッセル。料理人、中村の生まれ故郷。

服部栄養専門学校に通い、卒業後、3年間、ベルギーのブリュッセルにある「レストラン田川」に勤めている。「う~ん、これはですね。音楽やっていたでしょ。ベルギーとかね。ヨーロッパには関心があったんです。それで、卒業の時に向こうではたらくチャンスをいただけたんで、まっさきに手を挙げて。ハイ、これは、両親にも相談しなかったですね」。むろん、いますぐ帰っても、役立たないことはわかっていたからの選択だろう。
どうでしたか? ブリュッセルは?
「いろいろな意味で、修業になりました。ブリュッセルにあるといっても、『田川』は、日本にある和食店とそん色ないんです。料理人も、たん熊さんや、吉兆さんからいらしているような人ばかり。ええ、もちろん、日本人です。しかも、日本のトップクラスの料理人です。そんな彼らの下で、料理の勉強ができたのは財産ですね。しかも、ヨーロッパなんで、和食にない食材、たとえば、フォアグラやキャビアもつかうんですね。日本では、到底できない経験です」。
もっとも朝8:30~夜の12:30までぶっ通し。長期の休みには、ヨーロッパの国々をめぐるなど、楽しみもなくはなかったが、修業漬けの日々。「じつは、私、むかしから不器用で、箸もちゃんともてなかったんです。だから、休憩時間には箸で米粒をつかむ練習をしていました」。1年間、みっちりやったそう。中村氏はとにかく、やりつづける。ちなみに3年間で、給料は35000円から115000円にアップしている。

帰還すると、すぐさま月商が3倍になる。しかし。

「ベルギーからもどり、赤坂の料亭『田川本店』で、今度も3年勤め、25歳の時に両親のもとで仕事をするようになりました。なんでも、私が店に入ることを知って、当時いた料理人は、辞めたそうです。経営者が料理のことがわからないから、たぶんやりたい放題だったんでしょうね。私が帰ると、それができなくなる/笑」。
店のいい悪いは、料理だけで決まるわけではない。ただし、「旨い」、これは間違いなくキーワードである。父親も素人ながら、料理をしたこともあったそうだが、素人の域はでなかったのだろう。
「そういう素人でもできる、というのがあったんでしょうね。私がもどった時は、スパゲッティやサンドウィッチなど、素人でもできるメニューもあった。でも、それじゃだめなんですね。だから、一切、止めて、和食に絞ります。すると、月商がいきなり3倍くらいになり、造りも改めると月商1000万円をオーバーするようになりました」。
息子の仕事にご両親もさぞ目を細められたことだろう。しかし、そんなできる息子だから、躓くことになるから、人生はわからない。
「月商が1000万円オーバーした頃ですね。2号店のお話をいただいて。そうですね。あの頃がいちばん辛かったかな」と中村氏は独白する。
「原因は、人です。2号店をだしてからしばらくして、6人いた板前のうち5人が一斉にいなくなったんです」。アルバイト・パートだって、辞めていく。店も開けられない。「原因は私です。だって、当時、料理人は私の道具でしかないと思っていたくらいですから」。
過去のことがある。泣かされてきた父母への思いもある。だから、尚更、すべてが上から目線だったのだろう。母がこっそり退職の理由を聞くと、決まって「板長がイヤだから」という返事だったそう。板長とはいうまでもなく、中村氏のことだった。
・・・続き
株式会社丘里 代表取締役 中村康彦氏
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