本文より~
憧れの職業は、会社員。
祖父は近衛兵として天皇陛下にお仕えしていたそうだ。その後、祖父が「幸楽苑」の源流となる「味よし食堂」を創業したのは1954年。むろん、こちらは昭和の話である。
6坪の店がはじまり。ホームページに当時の料金が載っている。うどん「20円」、天ぷらうどん「25円」。そして、ラーメン「35円」。
「私の父で、今の会長が、大学浪人の時だと聞いています。店の手伝いをしていると、散々、悪口を叩かれたそうなんです。店名に偽り有ってわけですね。そういう言葉を聞いた父は、大学に進学している場合じゃないと、進学を辞めて東京へ修業にでかけます。それが、いわば『幸楽苑』の始まりです」。
今回、ご登場いただいたのは3代目社長、新井田昇氏。1973年生まれ。父の代で「幸楽苑」となり、第二の創業を実現してから、だいぶ経つ。「小学校の時は、親が自営業っていうのがイヤだったんです。友達や先生から『食べに行ったよ』って言われるのもイヤだったし、友達のお父さんはみんな会社員でしょ。だから、当時の私の、憧れの職業は、会社員だったんです」。
憧れただけじゃなく、会社員になるために猛勉強もした。
「とにかく、いい会社に入らなければいけないと思って、小学校の頃には中学の、中学の時には高校の勉強をしていました」。
先取りという奴だ。おまけにトイレのなかにも参考書を持ち込み、信号待ちの間にも、問題を解いた。父親や母親が外食にさそっても、行かなかったというから筋金入りだ。
ゴールは、だれもが知る「〇×電気」「〇×自動車」。
言いかえれば、それくらいしかまだ知らない。
6坪の店がはじまり。ホームページに当時の料金が載っている。うどん「20円」、天ぷらうどん「25円」。そして、ラーメン「35円」。
「私の父で、今の会長が、大学浪人の時だと聞いています。店の手伝いをしていると、散々、悪口を叩かれたそうなんです。店名に偽り有ってわけですね。そういう言葉を聞いた父は、大学に進学している場合じゃないと、進学を辞めて東京へ修業にでかけます。それが、いわば『幸楽苑』の始まりです」。
今回、ご登場いただいたのは3代目社長、新井田昇氏。1973年生まれ。父の代で「幸楽苑」となり、第二の創業を実現してから、だいぶ経つ。「小学校の時は、親が自営業っていうのがイヤだったんです。友達や先生から『食べに行ったよ』って言われるのもイヤだったし、友達のお父さんはみんな会社員でしょ。だから、当時の私の、憧れの職業は、会社員だったんです」。
憧れただけじゃなく、会社員になるために猛勉強もした。
「とにかく、いい会社に入らなければいけないと思って、小学校の頃には中学の、中学の時には高校の勉強をしていました」。
先取りという奴だ。おまけにトイレのなかにも参考書を持ち込み、信号待ちの間にも、問題を解いた。父親や母親が外食にさそっても、行かなかったというから筋金入りだ。
ゴールは、だれもが知る「〇×電気」「〇×自動車」。
言いかえれば、それくらいしかまだ知らない。
三菱商事で、自営業を知る。
大学を卒業した、新井田氏は三菱商事に入社する。ついに憧れの会社員だ。
どうでしたか?というと、苦笑する。
現実の世界は、憧れの世界とは、どうやら異なっていたようだ。
「とにかく、上司がね。きっつい人だったんです。もちろん、今では感謝していますが、当時は、会社を何度、辞めてやると思ったことか。だってね。毎日、怒られるんです。そりゃ、イヤになりますよね。会社に行くのもつらかった/笑」。
今なら、パワハラとなるのかもしれないが、怒るだけではなかったから性質が悪い。「そうなんです。本来はむちゃくちゃやさしい人で。私のことを思って怒ってくれている。それが、だんだんわかってくるんですね。大人になるって、こういうことなんでしょうね。今、私があるのは、三菱商事にいた愛がある先輩たちのおかげです」。
「愛情と厳しさ」と新井田氏は表現している。
「これも新人の頃ですが、今、サントリーホールディングスの社長をされている新浪剛史氏とお会いし、可愛がっていただきました。経営者になりたいと思ったのは、たぶんに新浪さんの影響ですね/笑」。
いっしょにランチを食べたりしたそうだ。むろん、新浪氏もまだ若い。しかし、当時から頭一つ抜けていたようだ。「新浪さんから教えていただいたのは、勉強とネットワークです。それが大事だと。ええ、今も私の大事な羅針盤です」。
様々な先輩諸氏から薫陶を受けた三菱商事時代、長いようだが、じつは在籍期間は、わずか5年。小学生から憧れの職業も、5年でいったんピリオドを打つ。
どうして、ですか?と聞いてみた。
「私が、三菱商事に入社した時に、父の会社、つまり『幸楽苑』が上場します。そういうのを間近で観ているわけでしょ。もちろん、自営業って意味は、もうさすがにわかっています。そうですね。会社で仕事をしているうちに、今度は、だんだんと父親というか、独り立つことに惹かれていくんです」。
結局のところ、サラリーマンと自営業者どちらがいいかではなく、新井田氏に、新井田家、とりわけ、創業者の血が流れていたということかのかもしれない。
どうでしたか?というと、苦笑する。
現実の世界は、憧れの世界とは、どうやら異なっていたようだ。
「とにかく、上司がね。きっつい人だったんです。もちろん、今では感謝していますが、当時は、会社を何度、辞めてやると思ったことか。だってね。毎日、怒られるんです。そりゃ、イヤになりますよね。会社に行くのもつらかった/笑」。
今なら、パワハラとなるのかもしれないが、怒るだけではなかったから性質が悪い。「そうなんです。本来はむちゃくちゃやさしい人で。私のことを思って怒ってくれている。それが、だんだんわかってくるんですね。大人になるって、こういうことなんでしょうね。今、私があるのは、三菱商事にいた愛がある先輩たちのおかげです」。
「愛情と厳しさ」と新井田氏は表現している。
「これも新人の頃ですが、今、サントリーホールディングスの社長をされている新浪剛史氏とお会いし、可愛がっていただきました。経営者になりたいと思ったのは、たぶんに新浪さんの影響ですね/笑」。
いっしょにランチを食べたりしたそうだ。むろん、新浪氏もまだ若い。しかし、当時から頭一つ抜けていたようだ。「新浪さんから教えていただいたのは、勉強とネットワークです。それが大事だと。ええ、今も私の大事な羅針盤です」。
様々な先輩諸氏から薫陶を受けた三菱商事時代、長いようだが、じつは在籍期間は、わずか5年。小学生から憧れの職業も、5年でいったんピリオドを打つ。
どうして、ですか?と聞いてみた。
「私が、三菱商事に入社した時に、父の会社、つまり『幸楽苑』が上場します。そういうのを間近で観ているわけでしょ。もちろん、自営業って意味は、もうさすがにわかっています。そうですね。会社で仕事をしているうちに、今度は、だんだんと父親というか、独り立つことに惹かれていくんです」。
結局のところ、サラリーマンと自営業者どちらがいいかではなく、新井田氏に、新井田家、とりわけ、創業者の血が流れていたということかのかもしれない。
幸楽苑、入社。出向で向かった先は?
「『幸楽苑で働かせてください』と言った時、父は見たことがないくらい大喜びでしたね。何度も『ほんとか?』って聞いてきて。その度に、『ほんとうです』って/笑」。
親子の会話を想像すると微笑ましくもある。
「三菱商事」と「幸楽苑」。
規模はむろん、比較にならない。「幸楽苑」では、できる仕事も限られている。父親はだから、重ねて問うたのかも知れない。「ほんとか?」「それでいいのか?」と。
言葉が親子の思いを一つにする。
「そういう風にして、『幸楽苑』に入社します。ただ、『幸楽苑』に入社してから、一度、出向しているんです。出向先は、まったく異なるIT会社です」。
どういうことだろう?
「ホント、偶然なんですが、六本木ヒルズの道路で偶然、三木谷さんとばったりお会いするんです。ええ、もちろん、三木谷さんが私を知っているわけはありません。ただ、私はかなり前から注目させてもらっていたんです。だから、三木谷さんだと思った時には、走りだしていました/笑」。
かけていく。頭を下げる。言葉をつむぐ。
「新浪さんと三木谷さんは親しいんですね。それで、新浪さんの話を切り口にして/笑」。
インターネットとリアルショップの融合を熱く、熱く語ったそうだ。
「この時は、連絡先を交換しただけだったんですが、後日、もう一度、お会いします。その時、三木谷さんから『楽天に来ないか』と言っていただいたんですが、そんなことをすると、さすがに父が怒る(笑)と思って。ただ、そのあと『東北楽天ゴールデンイーグルス』の立ち上げにご協力させていただくんです。それで、今度は、三木谷さんのほうから食事に誘っていただきました。その時、出向の話をさせていただきました」。
新井田氏は、出向の狙いを語る。
「外食産業においても、ITはキーになると思っていたんですね。楽天といえば、ネットショップの先駆けですし、巨大なECサイトをつくりあげている業界の巨人ですからね。勉強するなら、楽天が一番だと思っていましたし、何より三木谷さんの下で仕事がしたかった/笑」。
営業やECコンサルタントという仕事を経験する。営業時代には、楽天賞も受賞している。「幸楽苑」とは、まったく畑違い。しかし、新井田氏はとまらない。
「結局、約3年間、出向します。『幸楽苑』の次期社長というレッテルを貼られるような仕事はしていません。それが、力になったんだと思っています」。
親子の会話を想像すると微笑ましくもある。
「三菱商事」と「幸楽苑」。
規模はむろん、比較にならない。「幸楽苑」では、できる仕事も限られている。父親はだから、重ねて問うたのかも知れない。「ほんとか?」「それでいいのか?」と。
言葉が親子の思いを一つにする。
「そういう風にして、『幸楽苑』に入社します。ただ、『幸楽苑』に入社してから、一度、出向しているんです。出向先は、まったく異なるIT会社です」。
どういうことだろう?
「ホント、偶然なんですが、六本木ヒルズの道路で偶然、三木谷さんとばったりお会いするんです。ええ、もちろん、三木谷さんが私を知っているわけはありません。ただ、私はかなり前から注目させてもらっていたんです。だから、三木谷さんだと思った時には、走りだしていました/笑」。
かけていく。頭を下げる。言葉をつむぐ。
「新浪さんと三木谷さんは親しいんですね。それで、新浪さんの話を切り口にして/笑」。
インターネットとリアルショップの融合を熱く、熱く語ったそうだ。
「この時は、連絡先を交換しただけだったんですが、後日、もう一度、お会いします。その時、三木谷さんから『楽天に来ないか』と言っていただいたんですが、そんなことをすると、さすがに父が怒る(笑)と思って。ただ、そのあと『東北楽天ゴールデンイーグルス』の立ち上げにご協力させていただくんです。それで、今度は、三木谷さんのほうから食事に誘っていただきました。その時、出向の話をさせていただきました」。
新井田氏は、出向の狙いを語る。
「外食産業においても、ITはキーになると思っていたんですね。楽天といえば、ネットショップの先駆けですし、巨大なECサイトをつくりあげている業界の巨人ですからね。勉強するなら、楽天が一番だと思っていましたし、何より三木谷さんの下で仕事がしたかった/笑」。
営業やECコンサルタントという仕事を経験する。営業時代には、楽天賞も受賞している。「幸楽苑」とは、まったく畑違い。しかし、新井田氏はとまらない。
「結局、約3年間、出向します。『幸楽苑』の次期社長というレッテルを貼られるような仕事はしていません。それが、力になったんだと思っています」。
社長就任。
「『幸楽苑』では、取締役海外事業本部長という役職でした。当時、タイ王国に出店していましたからね。でも、これが、うまくいっていなかったんですね。だから私が最初にやったのは、この事業の尻ぬぐいというか、ま、そういう仕事です。私自身は、海外に興味があったもんですから、会長にも『インドネシアはどうでしょう?』などと海外の話をしたんですが、会長は首を縦にふらない。会長にすれば、海外ではなく、全体をみて欲しかったんでしょうね。つまり、跡継ぎの仕事です」。
父親の傳氏が、息子の決断を聞いて大喜びしたのは、もう何年も前だったが、その時から構想を練られていたんだろう。事業継承。新井田氏も、むろん、そのつもりだ。しかし、父親の存在が大きいだけに、そう簡単に継承も行えない。社長になるまでのいきさつを伺った。
「じつは、2016年のことです。あってはならないことですが、店舖で異物混入事件が起こります。報道でも大きく取り上げられました」。
たしかに、その事件はあった。ブランド価値が毀損する。その影響もあり、たしか、赤字決算になったはずだ。
「その年はもちこたえましたが、翌年に赤字になりました。。たしかに、異物混入事件の影響は大きかったですが、それだけではありませんでした。2015年に看板の290円ラーメン(税抜き)を値上げしています。その影響もあり、既存店の前年割れもつづいていました」。
けっしていいことではないですが、それが社長就任のきっかけとなったわけですか?
「そうですね。決心がついたというか、オレがやらなければと。社長になるのは、まだ先ですが、その頃から私が実質的に経営を担います。ステーキチェーン店の『いきなり!ステーキ』さんや焼肉チェーン店『焼肉ライク』さんのフランチャイズを開始したのは、この頃ですね」。
ある意味なりふり構わぬ戦略に映る。だが、したたかな計算があってのことにちがいない。仕事で大事なことは、ともかく、勉強とネットワーク。新浪氏の言葉が頭に浮かぶ。
「あの時は、とにかく走りつづけましたね。業績は少しずつ改善し、昨年(2018年)の8月、9月からぐっと上向きます。そして、その年の11月に社長に就任しました。ありがたいことに業績は、この1年、順調に推移しています」。
・・・続き父親の傳氏が、息子の決断を聞いて大喜びしたのは、もう何年も前だったが、その時から構想を練られていたんだろう。事業継承。新井田氏も、むろん、そのつもりだ。しかし、父親の存在が大きいだけに、そう簡単に継承も行えない。社長になるまでのいきさつを伺った。
「じつは、2016年のことです。あってはならないことですが、店舖で異物混入事件が起こります。報道でも大きく取り上げられました」。
たしかに、その事件はあった。ブランド価値が毀損する。その影響もあり、たしか、赤字決算になったはずだ。
「その年はもちこたえましたが、翌年に赤字になりました。。たしかに、異物混入事件の影響は大きかったですが、それだけではありませんでした。2015年に看板の290円ラーメン(税抜き)を値上げしています。その影響もあり、既存店の前年割れもつづいていました」。
けっしていいことではないですが、それが社長就任のきっかけとなったわけですか?
「そうですね。決心がついたというか、オレがやらなければと。社長になるのは、まだ先ですが、その頃から私が実質的に経営を担います。ステーキチェーン店の『いきなり!ステーキ』さんや焼肉チェーン店『焼肉ライク』さんのフランチャイズを開始したのは、この頃ですね」。
ある意味なりふり構わぬ戦略に映る。だが、したたかな計算があってのことにちがいない。仕事で大事なことは、ともかく、勉強とネットワーク。新浪氏の言葉が頭に浮かぶ。
「あの時は、とにかく走りつづけましたね。業績は少しずつ改善し、昨年(2018年)の8月、9月からぐっと上向きます。そして、その年の11月に社長に就任しました。ありがたいことに業績は、この1年、順調に推移しています」。
株式会社幸楽苑ホールディングス 代表取締役社長 新井田 昇氏
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