2020年5月31日日曜日

キイストンのホームページ、リニューアルしました。

キイストンのホームページリニューアルしました。

よく言われるのが、
「キイストンさんって何をやってるのかわからない」
まあ、それもある意味狙ってた節もあるのですが・・・。
各営業マン(平均27.5歳)が大変困っておりましたので、今回この機会に思い切ってリニューアルしました。
求人業界で35年やってるので、どうしたら効果上げられるか常に模索してきました。
時代の変化合わせ対応してきたことが結果、今の事業領域となりました。
他社とは違うオンリーワン目指しています。

【飲食店にフェイスシールドを無償提供 プロジェクト協賛企業・個人を募集】夕刊フジに掲載頂きました。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言で、営業自粛や営業短縮など飲食業界は大きな打撃を受けています。
そんな中でも、飲食業界は医療従事者への食事の提供など、まさに「おもてなしの精神」を発揮してきました。

飲食業界に特化した人材採用カンパニーであるキイストンも、その一助になりたいと、様々なプロジェクトを行ってきました。

そこで今回では、以前のように安心して外食ができるように、飛沫防止対策としてフェイスシールドを飲食店へ無償で提供するプロジェクトをスタートしました!!

対象は、飲食店が好き!飲食店を応援したい!という方。ランチタイムや仕事帰りに利用したあの飲食店が、また素晴らしいサービスと料理を提供できるよう、サポートをお願いします!
(夕刊フジに記事掲載頂きました)
(装着してもスマートなフェイスシールドです)
(おでことフェイスシールドと間空いてるのでくもり難いです)
(別途ロゴ入れるのも可能です)

2020年5月29日金曜日

本日29日(金)の「とくダネ!」に、“すず家”様、対お客様への取り組みが出ました。

本日29日(金)の「とくダネ!」に、“すず家 溝の口店”様の対お客様への取り組みが放映されました。“すず家”様、なんとこの1週間で、「ZIP!」、「あさチャン!」、「Nスタ」、それに今回の「とくダネ!」に・・・。
(取材現場)
(お客様の感想)

2020年5月26日火曜日

今日26日(火)は「Nスタ」にすず家様、対お客様への取り組みが取り上げられました。

22日(金)の「ZIP!」、25日(月)の「あさチャン!」に続き本日26日(火)の「Nスタ」に“すず家”様の対お客様への取り組みが、取り上げられました。
全国で非常事態宣解除されたので、対お客様の安心・安全同様にスタッフの飛沫感染から守ることも大事です。
(取材現場)
(蟹江社長から)

2020年5月25日月曜日

今日はTBS「あさチャン!」に“すず家”様の対お客様への取り組み、出ました。

22日の金曜に続き、今日25日(月)の「あさチャン!」に“すず家 自由が丘店”様の対お客様への取り組みが、取り上げられました。
全国で非常事態宣解除されたので、業績戻すためのアフターコロナ対策、今までとは違う新しい試みが大事ですね。
同時に、スタッフもコロナの飛沫感染から守ることも大事です。
(取材風景)
(すず家 自由が丘店)
(蟹江社長から)

2020年5月22日金曜日

夕刊フジの「飲食FCで第2の人生」にて、セガフレード・ザネッティ・ジャパン様を3週で掲載しました。

夕刊フジの「夕刊フジ×キイストン 飲食FCで第2の人生」にて、セガフレード・ザネッティ・ジャパン様を5月8日(金)、15日(金)、22日(金)の3週で掲載しました。
(5月8日発行 電子版/カラー)
(5月15日発行 電子版/カラー)
(5月22日発行 電子版/カラー)

アフターコロナの第1弾、まずはフェイスシールドから。

アフターコロナに備え、
今は本格的な営業開始の準備と戦略を練るのに力注いでいます。
対飲食業界に何ができるか、何をすれば喜ばれるか、何を軸に売上を上げていくか考えております。
キイストンホームページもだいぶ完成に近づきました。
改めて見るとやはり同業他社とは業務の幅が違うな。

あとはスタッフが臨機応変な対応力にスピードを付けてくれれば・・・・。
(キイストンロゴ入りフェイスシールド)

22日(金)、日テレ「ZIP!」に“すず家”様の対お客様への取り組みが取り上げられました。

本日22日(金)の「ZIP!」に“すず家”様の対お客様への取り組みが取り上げられました。
フェイスシールドの取扱い開始したので「ZIP!」さんからうちに連絡もらったようです。
“すず家”の蟹江さん、おもしろい取り組みされましたね。
(昨日の取材風景)

(蟹江社長から)

2020年5月19日火曜日

株式会社CHAYA マクロビフーズ 代表取締役 小川博行氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社CHAYA マクロビフーズ 代表取締役 小川博行氏登場
本文より~

地元、山梨の食品メーカーに就職。

「合宿費を捻出するために、アルバイトに明け暮れた」と話すのは今回、ご登場いただいた「CHAYA マクロビフーズ」の代表取締役、小川博行氏である。
「学生時代の話です。もともと私は山梨出身。中学生の時から競技としてアルペンスキーをしています。大学進学で上京するんですが、大学でもアルペンスキーをつづけました。その時の合宿ですね」。
バイトではないが、おしゃれなレストランにも通った。
「はなやかな東京ですからね。じつは、卒業したら山梨に帰る予定だったんです。だから、東京で暮している間だけでしょ、そういうおしゃれなレストランに行けるのは…。太陽が落ちれば暗くなる山梨に、そんなレストランはありませんから/笑」。
予定通り、山梨に帰った?
「本音でいえば、東京で就職したかったですね。でも、両親の勧めでUターン就職しました」。
小川氏は1974年生まれ。中学からアルペンスキーをしているといったが、じつは小・中・高と野球もしている。運動神経に恵まれていた証だろう。
「スキーをはじめたのは、親父が好きだったからです。ただ、親父も兄もスキーはしていましたが、競技にでたのは、私1人です。大学でもスキーをやって、好きなようにさせてもらっていましたからね。親のいうことも聞かなくてはいけないと思って」。
それで、山梨の会社に就職したんですね?
「そうです。就職したのは、従業員240名くらいの食品メーカーです。こちらで5年間、勤務します。就職した理由は、『食』に関心があったから。ただ、当時の食品メーカーって、とても良い環境だったんですが、私にとってはエキサイティングではなかった部分もあり、このままでいいんだろうか?って。若いから、そう思っちゃうんです」。
得意先は、スーパーマーケットや百貨店、一部にホテルのレストランがあったそう。
「相手も食に関する仕事をされているお店ばかりです。そのなかで、ホテルのレストランで仕事をする人たちをみて『楽しそうで、いいな』って思っていました。何度も通ううちに、『こんなメニューやサービスがあればいいのにな』って想像するようになるんですね」。
だんだんと飲食の仕事に惹かれた?
「そうかもしれませんね。それで、レストランとかの仕事を勉強したくなるんですが、どうせやるなら、東京のレストランだろって思うようになって」。

27歳、ふたたび東京へ。

就職して5年。もう27歳になっていた。けっして遅くはないが、早くもない。飲食の世界では10代からスタートする人も少なくない。
ところで、転職先は最初からグローバルダイニングに決めていたんですか?
「大学時代に行ったゼストが恰好いいと、山梨をでる時には、もう頭に浮かんでいたんです。たまたまかもしれませんがネットで調べたらヒットして、『中途採用』を行っているのがわかったので。ハイ、入社させていただいたんですが、選択したのは、ゼストじゃなく権八です」。
当時のグローバルダイニングの話は、数人の独立経営者からもうかがっている。
「採用してはいただいたんですが、経験がないから、最初はアルバイトからだと言われたんですね。たしか時給900円とかじゃなかったかな」。
アルバイトといっても、レギュラーとかわらない。むろん、容赦もない。「20歳の先輩が、バンバン言ってくるんですよね、27歳の新人に。『そこ、何やってんだ』って。そりゃ、最初は怒られてばかりです/笑」。
そもそもご両親は反対されなかったんですか?
「親父は、『好きにしろ』って人ですからね。ただ、母親は、東京に行くってことより、どうして飲食店なんだって。山梨ですからね。まだ、飲食といえば水商売と思われていた時代だったんです」。
たしかに、そんな時代はあった。「ただ、東京ではもう飲食店がブームをつくり、人を動かす、そんな時代でもあったんですね」。そのさきがけが、グローバルダイニングだった。
「アルバイトでも、時給は青天井でしたし、飲食店のなかでは給料も群を抜いていたんじゃないでしょうか」。社内には天才たちがたくさんいた。
ちなみに、グローバルダイニング出身の経営者には、このサイトにも何度もご登場いただいている。
「ゼストもそうですが、グローバルダイニングという会社は、時代っていうのをたしかに動かしたと思うんですね。経営という意味でもほかとは異なっていました。グローバルダイニングのスタンダードは、ほかからみれば憧れという言葉になったんじゃないでしょうか。もっとも、休みもなく、飲みに行っても仕事の話ばかりです。ハッキリ言って、飲食が好きじゃないとつづかない会社だったんじゃないかな。ただ、飲食が好きで、頑張った人も、やがては『独立する』といって離れていくんですが…」。
小川さんもその1人ですよね?
「まぁ、そうですね」といって、小川氏は笑う。グローバルダイニングの「権八」で「飲食のちから」を思い知った小川氏が、このあと、飲食のもう一つのちからを知ることになる。

34歳で「マクロビオティック」を知る旅をスタートする。


「グローバルダイニングを卒業させてもらって、当時は、独立するか、それともグローバルダイニングとは対局にあるようなコンパクトな会社に入るかで迷っていたんです」。
「ヘルシー」ってことにも関心があったんですか?
「たしかに、『食』には関心がありましたし、どうしても不規則になりがちでしたから、食べ物に気を配っていたのも事実です。とはいえ、一般的なことで、その時から『マクロビオティック』をちゃんと知っていたわけじゃないです」。
マクロビオティック?
「そうです。マクロビオティックです。マクロビって省略して言ったりしますが、知らない人は、ストイックな生活をイメージされがちなんです。食事制限でもない。簡単にいうと、日本の伝統食をベースとした食事をし、自然と調和をとりながら、健康な暮らしを実現していこう、ということ。これがマクロビオティックの精神なんです」。
禁止されている食べ物はないそうだが、肉、卵、乳製品、精製された白砂糖、化学調味料などは、使用を避けているそうだ。
「そもそもは、『日影茶屋』さんの先代が、約20年前になるんですが、これからはヘルシー志向だと、このマクロビオティックに着目されるんですね。さっき、創業300年の老舗と言いましたが、じつは、カジュアルフレンチのさきがけと言われる『ラ・マーレ』も、こちらが運営されているレストランなんです。先見の明がおありだった証ですね。普及を目的にこのレストランのバンケットで月2回くらい『マクロビオティック』に関する1Dayレッスンもされていたようです」。
「その日影茶屋さんが、当時、マクロビのレストランを4店舗くらい出店されていました。新宿、日比谷、汐留、横浜ルミネだったかな。そのなかで、私は最初、新宿店の店長としてスタートするんです。だって、食材からちがいますからね。もちろん、お客様もちがうでしょ。だから、知ることからはじめないと何もできないですから」。
いわば34歳で、再スタートである。
・・・続き

2020年5月16日土曜日

コロナ感染拡大で…飲食店へのダメージが深刻化、76%が「このままだと事業継続は困難」と回答!!

5月15日(金)発行の夕刊フジに取り上げて頂きました。


新型コロナウイルス感染拡大による飲食店への影響について第2回緊急アンケートを実施したところ、「このままでは事業困難なレベル」との回答が7割を超えました。  

ある程度は予想はしてましたが、飲食業界はかなり深刻です。
それを少しでも多くの皆さんに知ってもらい、政府としての補償考えてもらいたいと思います。
ライブ会場やホテル関係者も大変な状態です。
テレワーク出来ない業態に、もっと目を向けてほしいです。

アンケート結果はこちら

第2回 新型コロナウイルスによる業績影響についての緊急アンケート調査

2020年5月14日木曜日

株式会社テムジン/焼肉 冷麺 味楽園 代表取締役 康 虎哲氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社テムジン/焼肉 冷麺 味楽園 代表取締役 康 虎哲氏登場
本文より~

アカギレとお客様との会話と。

今回は、幸運なことに、関西の食通は必ず知っているといっても過言ではない「味楽園」の3代目社長、康氏にお話を伺うことができたので、ご登場いただくことにする。
康氏が父親の背中を追いかけ、飲食に興味を抱き始めたのは小学生の頃。健気で明るい仕事ぶりは、お客様からも評判だったに違いない。「『3代目になるんか?』なんて声をかけていただいたりしまして。『ハイ』と返事をしますと、『そうか、そうか』と目を細めて笑ってくださるんです」。
康氏の話ぶりはとても丁寧だ。失礼だが、風貌とは、少し異なる。
「当時の私の仕事は、鉄板洗いがメインです。水にさわってばかりだから、アカギレもしょっちゅうでした」。いまでは「鉄板洗浄機」を採用しているらしいが、当時は、「冷たい水」に慣れるしかなかったそう。
「ただ、つらい一方で、お客様とのふれあいが楽しく、けっきょく、そっちが勝つんでしょうね。飲食という世界が好きになっていきます」。
そんな康氏を、父親でもある2代目店主は、どんな風にみていたんだろうか?
「私自身は、小学校の頃から『いつかは、父を継いで』と思っていたんですが、父の口から継承の話は一切でませんでした。私の思いを尊重してくれていたんだと思います」。
とはいえ、康氏はのちに父親に一喝されている。いったんアパレル業界に就職しようと打ち明けた時のこと。「『そっちに進んでもいいが、進めばもう、もうもどってくるなよ』って。少しくらいほかの会社もみたいというのが私の本音だったんですが、父親からそう言われて、ほかに進むという選択はなかったです」。これは、高校卒業時の話。つまり、康氏は、高校卒業後すぐに「味楽園」で本格的な修業を開始することになる。

「まずは、うちの流儀をたたき込む」が、父親の教育指針。

2代目や、3代目の場合、いったん、ほかの店で修行するのが定番だ。だが、「味楽園」の場合、少し様子が違っていたようだ。父親は「まずは、うちの流儀をたたき込む」と、そばから離さなかったという。「ほかに修業に行くのは、『うちのDNAをたたき込んでから』が父親の考え」と、康氏もいまでは同調する。
<実際、修業には行かれたんですか?>
「ええ、行かせてもらいました。ただ、6年経ったあとですから、基本は何でもできるようになっていました。でも、そこに意味があったとも思います」。
<どうして、でしょう?>
「右も左もわからない時に行っても、違いがわからないと思うんです。幸い、私の場合、味楽園で6年間、勉強させていただいたおかげで、違いも明確にわかり、その違いが、新たな知識にもなりました」。
<たしかに、そうですね。>
「経営者って判断しなければならないじゃないですか、どうすればいいか。店による違いを理解していることで、判断軸のひとつができたと思っています」。
ちなみに、他社での修業は2年。濃厚な時間を過ごし、3代目が修業の旅からもどってきたのは、康氏、26歳の時だった。

真摯に向き合えば、悪口も、教訓になる。

「親子3代、4代といらしてくださっているお客様がいます」と康氏は、目を細める。その表情からは、実直な性格がうかがい知れる。
「もう、半世紀以上ですから。なかには小さな頃の私を知っているお客様もいらっしゃいます。ありがたいことです。いえば、これが、うち、つまり『味楽園』の正体なんだと思います」。
かわらないこと。それがいちばん。しかし、いちばん難しいことでもある。
「いつの時代にも、お客様に愛されるということは、難しいことですね。素材もそうですし、スタッフもそうです」。たしかに、同じでありつづけられるわけはない。
「だから、一度だけ改革を急いだことがあるんです。修業からもどってきてから、すぐの頃です。今の時代はオシャレな店だ、と父親に言ったり、スタッフにも今までとは違う接客をお願いしたり、と」。
<うまくいかなかったんですか?>
「だめでしたね。それに気づかせてくれたのが、当時のアルバイトリーダーです。彼は、勇気をだして。私の悪口を書きなぐった何枚ものコピー用紙をもってきてきれたんです」。
「クーデターのようだった」という一方で、感謝の思いが、言葉のトーンから伝わってくる。「経営者にとって何が、大事か」。彼らがそれを教えてくれたからだろう。実際、康氏は、「人生でいちばんの教訓を得た」と言っている。
これだから、素直な人にはかなわない。

社長就任後、増収増益。労働環境も改善される一方だ。

「専務だった頃は、親父に言っていたんです。『たまにはゴルフでも行って来たらええがな』って。でも、社長になったら、親父といっしょのことやっています」。そう言って、今や社長にとなり、5年目となった康氏は、屈託なく笑う。
仕事ぶりは、父親とおなじ。スタッフより早く来て、洗浄機のスイッチを入れる。だれよりも遅く、店をあとにする。康氏が社長に就任し、4年。すべての年、増収増益。労働環境も改善される一方だ。
その話を〆に。
「私は半世紀以上、焼肉という食のジャンルに向き合ってきました。うちの店でも、昔から比べれば、ずいぶん働きやすい環境になっています。これは、父や私はもちろんですが、幹部たちがスタッフの声を聞きながら、それに真摯に対応してきた証だと思っています」。
<とはいえ、まだまだと思っておられるんですよね?>
「そうです。はたらき方改革では、まだまだアクセルを踏んでいきたいですね」。そういったあと、康氏は、「味楽園」の現状を教えてくれたのだが、それを聞いてこちらの目が丸くなった。
・・・続き