in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社サンメレ 代表取締役 多治見智高氏登場。
本文より~
10×10はヒットの公式。
「ガイアの夜明け」にも取り上げられたというから、ご存じの人も多いだろう。「茶割」の話である。「茶割」は店名であり、お店のコンセプトは「100種のお茶割りと100種の唐揚げ」。
100種類というと、頭がこんがらがるが、10種類のお酒と10種類のお茶、これが掛け合わさって100種類になるそうだ。
「茶割をはじめたのは、レストラン事業を開始して数年経った2016年9月です。それまで、じつはいろんな仕事をしていたんです。レストランもその一つ。でも、その頃、そろそろ本格的にレストラン事業に専念しようと思って。それで始めたのが『茶割』です」。
「茶割」。
そのアイデアはどこから来たのだろう?
「ちょうどレモンサワーが流行りかかっていたんです。 それで、お茶割り、つまりお茶で割ったお酒も絶対、流行ると」。
最初から、確信めいたものがあったようだ。そこがすごい。
「おかげさまで、狙い通りです。もちろん、お酒だけではなく、100種の唐揚げも注目されています」。
10×10=100。たしかに、100種類のお酒というのは、種類の多さだけでも興味がそそられる。しかも、掛け合わせて生まれるのは、言えば私オリジナル。これは、流行る。
10×10は、たぶんヒットの公式だ。
女子にまじって。
10歳になると、父親の単身赴任が始まり、週末くらいにしか会うことがなかったという。「だから、教育はもっぱら母親です。私は一人っ子ですから、母の影響がすごいと思います」。
母親は専業主婦。1対1。「普段、父がいないわけですが、だからといって、ごちゃごちゃ干渉してくるような母じゃなかったですね。もっともテストの点数が悪いと叱られました」。
「それ以外は、割と自由だった」と多治見氏はいうが、一つだけびっくりする禁止事項があった。「ドラゴンボールやスーパー戦隊といったファイト系のテレビは禁止されていました。だから、小学生の頃の友達は女の子のほうが多いですね」。
女子といっしょに折り紙などをしていたのだろうか?「男の子と一緒だと、どうしても仮面ライダーとかの話になるでしょ。ついていけない/笑」。
こういう話を聞くと、どうしても軟弱というイメージになりがちで、実際、そういう子供時代を想像していたが、全然違っていた。
「父の影響もあって、小学生の頃から自転車レースを始めています。小学校の頃は全然でしたが、中・高の時には、大会で優勝も経験しています」。
ちなみに、父親は大学病院に勤務する医師。その息子は、小学校の頃から、成績が群を抜いていた。秀才で、自転車レースに出場して、女の子たちと過ごす。「モテないわけはないですね?」と質問してみると、「小学校の頃の話ですからね。中学からは、男子校ですし」と割とそっけない返答だった。
自律教育と濃厚な時間と。
「私服で、自転車で通える学校に行きたくて」。
それが、志望動機なんだそう。その単純な理由で進んだのが、「武蔵高等学校・中学校」いうまでもなく、東京でもトップクラスの高校だ。調べてみると政治家や学者はもちろん、有名な映画監督も卒業されていた。
濃厚な、6年間だった。なんでも、のちにスタートする「ゆとり教育」の手本となった学校でもあるらしい。
「自転車レースは続けていました。学校ではいろんな部を転々として最後は書道部でした。うちの学校は校則が、まったくない。自ら調べ、自ら考える力を持て、と言われていました。
生徒のなかには坊主頭やドレッドもいましたね。ふつう中・高一貫といっても、高校では外部から生徒を取ったりするでしょ。うちは、そうじゃなく内部進学だけ。だから思春期の6年間を限られた仲間だけで過ごすわけで、そりゃぁ、濃厚になりますよね/笑」。
勉強のスタイルも変わっていて、歴史では、ある一人の人物だけに焦点をあて、授業が進んだそう。「だから、東大とか、そういう大学に進学する生徒も多いんですが、大半は浪人を経てってことになる。じつは、私も現役の時の大学受験は、失敗しています/笑」。
ところで、この学校の教育方針を聞いていると、お母さまの教育方針に似ていると思った。そこに、あるのは「自律」という共通項だ。人が育つ上で、一番大事な項目かもしれない。
起業家の片鱗。
「進んだのは、慶応大学です。じつは、秋にもう一回、試験があるんです。帰国子女向けなんですが、それをつかって半浪人で進学します。学部は通称SFCという総合政策学部です。この学部は起業家精神というか、ベンチャー気質もあって、じつは私も学生の頃から業務委託で仕事をしていました」。
どんな仕事をしていたんだろう?
「教授の紹介で、デザイナーのような仕事をしていました。名刺の肩書きはデザイナーの時もあればマーケッターとか、いろいろです」。
通信キャリアの大手や、日本のトップメーカーの仕事もやっていたそうだ。
「それで、大学時代に友人とデザインの会社を興すんですが、なかなかうまくいきませんでした。ただ、卒業する時には、さっきの話になりますが、委託でいろいろと仕事をさせてもらっていたんで、そのままというか。就職はしていないんです」。
デザイナーやマーケッターだけではなく、ミュージシャンもやっていたという。「ジャズのようなものです。それが縁で、飲食の世界に入ります」。
音楽と飲食。たしかに、つながりはなくはないが。
「定期的に演奏をさせてもらっていたお店があったんですが、オーナーがその店を閉めるというんですね。それは、困ると。そういったら、『じゃぁ、やれば』という話になって」。
じゃぁ、やれば? 念のため、飲食のアルバイト経験はあるのか確認してみた。「全然、無いです。一度も、無いです/笑」。
大学時代から起業家の片鱗があったが、音楽と飲食店の経営は、全然違う。さすがに無謀ではないのだろか?
むろん、これは邪推に終わった。多治見氏は、飲食店の経営を見事にやってのける。そればかりか、「茶割」という新たなカテゴリーも生みだしている。これから、多治見氏がどこへ向かうのだろうか?