「やっちゃん同盟」
「親父はマツダからの脱サラ組。私が生まれた頃にはもう、中華料理店を経営していたそうです。私自身は小さな頃から、やんちゃ坊主でした」。
「やっちゃん同盟」というのをつくって、そのなかで、ガキ大将を務めていたそう。40人規模だったというから驚く。小学からサッカーをはじめ、高校までつづけている。
「中学になると釣りにもハマりました。高校でもサッカー部に入っていたんですが、休みがなく、試合をさぼって釣りに行ったこともありましたね/笑」。
高校は、名門、広陵高校。そりゃ、きびしいはずだ。
「やっちゃん同盟の時から、そうだったんでしょうが、性格的にはガキ大将なんです。高校の時だって、上級生に意見するようなタイプでしたからね。ただ、さぼって釣りに行った翌日は、反省の意を示すために、丸坊主に。案外、律儀な性格でもあったような/笑」。
目標は100台な。上司の一言。
「東京に行きたいという思いがつよかったですね。当時から、起業したいとも思っていました。大学2年時から、経営のゼミに参加。経営者の本を読まされて、それが刺激になった気がします。バイトは40以上やりました。いろんな仕事をみておきたいと思ったからです」。
卒業後、「光通信」に就職されるんですよね?
「そうです。新卒で入社して5年間在籍します。実戦形式の教育でした。私の場合、いきなり代理店5社を担当させられましたから/笑」。
右も、左もわからない。研修もない。今なら、そっぽを向かれる教育スタンス。しかし、だからこそ自走できる社員が育ったのではないか。少なくとも手を取り、足を取りではこうはいかない。
とはいえ、半年もたたず福岡へ行かされ、すぐに大分へとばされる。同意はほぼなしだ。
「大分ではいきなり店長です。店と、目標だけ渡されます。『目標は100台な』って。もう必死です。半年ほど休みも取れなかった。店長といっても、1人です。あの手この手で、目標は達成しましたが」。
ただ、その会社に5年。やはり律儀だし、根性も座っている。
どん底ってあるんですね。河野氏の一言。
なんでも、パニック障害になったそう。じつは、そればかりか、片目が見えなくなり、足の難病にかかったそうだ。
「どん底ってあるんですね」と河野氏。
仕事がハードだったからではない。いわばスタートアップ企業。「やるからには、でっかくしてやる」という思いがつよかった。だが、うまくいかない。
「転職して、給料も半分に下がります。仕事ばっかりだから、離婚もしました。精神ももう、ボロボロで」。それまで、だれよりも息巻いていた河野氏が会社にもでてこなくなる。
「1ヵ月か、2ヵ月くらいですかね。そんな時、当時のメンバーらが、うちまで来てくれたんです」。心配する彼らに、精神を病んでいること、離婚したこと、あるけないことも正直に告げた。それでも、彼らは河野氏をみすてなかった。
「現在のうちの役員になっているのもいるんですが、あの時はメンバーたちに救われました。彼らと会話し、よし、もう一回やってやろうって」。
閉じていた心が開いたと河野氏は表現する。
「彼らがいなければ、どうなっていたかわからない」としみじみと、そうも、語った。
いまも独眼だが、あるくことに支障はない。何より、あの時、彼らと約束したように独立し、設立からまだ10年未満だが、FC含め84店舗を展開し、すでにシンガポールなど海外進出も果たしている。
じつは、河野氏はバーチャルキッチンと言っているが、いま注目されているゴーストレストランのサービスをコロナ前からはじめている。発想も広くて、ユニークだ。
このバーチャルキッチンは、フードデリバリーをイメージするとわかりやすい。フランチャイズオーナーは、30種類以上のブランドから数種類(いつでも、いくつでもOK)をチョイスし、オープンする。デリバリーだから3等立地でも開業可能で、スペースも5坪からOKだから、開業資金はそうかからない。
低投資は、いまのトレンド。個人限定だが、黒字店舗を引き継ぎ、0円で開業できるプランも用意しているというから驚きだ。
このフランチャイズビジネスが、設立10年未満で84店舗にまで急伸した理由の一つだ。ただし、急伸はしたが、まだまだゴールは先。このビジネスのポテンシャルから考えれば、まだ始まったばかりと言えそうだ。
認知度があがり、ブランドがより多くなれば、消費者にとっても、これほどうれしいことはない。「TGAL」。「テガル」だから、時代が欲している。