in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にAGTK株式会社 代表取締役 宮村栄宏氏登場。
本文より~
大学進学までの話。
小さい頃は叔父の歯医者を継がそうと親族は考えていたそうだが、本人にその意思はなく、子どもの頃を一言で表せば「ガキ大将だった」と笑う。高校は、東京工業大学付属高校に進む。高校時代は、バスケットボールの選手。大学は、青山学院大学。
「うちの祖父は、灯台の光の部分をつくる会社を創業し、業績は文句なかったそうです。父親は、いったんそちらを継ぎますが、私が中学の頃に独立して起業します。ただ、私が19歳の時に事業がうまくいかなくなります」。
ただ、末っ子の宮村氏は、ちがっていた。行動を開始する。
「当時の私は、浪人です。だから、時間もあった。スーパーのアルバイトなんかをしながら、月に25万円くらい儲け、生活費にあてていました」。
月25万円。そりゃ、勉強する時間もなかったろう。離婚騒動も起こったそうだ。
「母が離婚を決めて、兄も姉も母と一緒に家を出るというんですね。それで、私に『あなたは、どっちについていくの?』って。当然、母と一緒に行くと思っていたんでしょうね。ただ、私の返事は違った。頑固なところもある親父ですが、みんな母親についていくのも、さすがにと思いました。だから、『オレは親父の面倒をみる』って言ったんです。そしたら、まったく予想外だったんでしょう。離婚そのものがなくなった/笑」。
離れ離れになるところを、宮村氏の一言が救った格好だ。しかし、父親は、宮村氏が21歳の時に他界されてしまっている。
グローバルダイニングとの出会い
「進んだのは青山学院大学の経済学部です。ただ、学校には全然行ってなかったから、単位はいつもギリギリでした。お金の問題も理由の一つですが、始めたバイトが、あのグローバルダイニングの恵比寿ゼストのオープニングスタッフだったので」。
もう、なにを言いたいかだいたい分かった。
ハマってしまったわけですね?
「そうです。すっかり魅了されちゃいます。本当はバーテンダー志望だったんですが、最初はカウンターの中にも入れず、瓶片付けばかりでした。それだけでもうヘトヘト/笑」。
ヘトヘトというのもうなずける。なにしろ、ゼストの月商は1億円ちかい。1日だけでも、相当数のアルコールの瓶が空いたはずだ。
飲食は、アルバイトと正社員の垣根が低い。料理長やマネージャーになれば、違いは明らかになるが、ホールスタッフの時代は、違いを見つけにくい。ではプロとは、何か?
「正社員とアルバイトっていうのではなく、プロかどうかは、ひとつひとつが全然違います。そもそも熱意も違いますし、プロ意識があるかどうかだけで、お客様への対応も変わります」。
「もちろん、プロは厳しいですよね。私は、さきほど言ったようにバーテンダー志望だったんですが、カウンターにも入れず、瓶片付け係です。なんでだよって話ですよね。ですがその当時は、ジントニックっていうのが何かも知らなかったから、当然なんですけどね/笑」。
ただし、それで終わるのは、宮村氏がいうプロではない。
「なんとか、とびらをこじ開けて、カクテルを勉強して…。結局その後、部下を29人もつようになって、バーのリーダーになりました。もちろん、大学時代の話です」。
「シブヤ109」の裏手に「シブヤバル209」、デビュー。
最高で月給55万円の学生アルバイト。お金は、どうしたんだろう? 学費に遣っても、まだ残るはずだ。
そんな話をすると、「半分は、母に渡していた」と宮村氏は、当然のように言う。人間性が表れた一言だった。よく聞くと、お母さまにはどんなときにも、月5万円以上を送っているという。頭が下がる。結婚しても変わらないそう。奥様も、理解がある人だ。
「大学卒業後、グローバルダイニングに就職して11年半働くことになります。西麻布の権八にいた時は、当時、アメリカ副大統領のチェイニー氏や、歌手のジャネットジャクソンさんなどもいらっしゃいました」。
たしかに、濃厚な11年だった。
宮村氏が独立するのは、次に就職した飲食業界に在籍中のこと。
「就職というか、私はスペイン・バルをしたかったので、オーナーにその話をすると、じゃあここでやってみないか、ということで、最初は委託のようなスタイルでスタートするんです」。
それが「シブヤバル209」ですか?
「そうです。完全に独立したのは、私が33歳の時です」。
「シブヤバル209」は、「シブヤ109」の裏手の道玄坂小道にある。立地も悪くない。そのあとも、出店を重ねる。2015年5月には「アジアンバル209」をリリース。2018年にも「呑ん処二◯九」をオープンしている。
「1号店はスペイン料理がベースのスペイン・バルです。2号店はアジアン料理です」。台湾や上海、タイを旅行している時にコンセプトを決めたそう。
3店目は今までとは少し違う。
「渋谷は若者の街というイメージですが、実は大人も少なくない。ただ、若者向けのショップが多いから、そう映るんでしょうね。うちの店もそうですが、渋谷にはオシャレなバルやレストランはあっても、いわゆる、大人がちからを抜いて飲める店がない」。
「お客さんに、どの店で飲むのがおすすめ? と聞かれても、全然思いあたらなくて。だったら、オレが酒場を作ろう、と。これが、3号店『呑ん処二〇九』誕生秘話です」。
つまり、プロダクトアウトではなく、マーケットインというわけだ。
それにしても宮村氏は多彩だ。スペインのつぎはアジア、そして、ジャパン。内装デザインにも宮村氏のセンスが盛り込まれている。
さらに、「呑ん処二〇九」には、別の意味で、壮大な計画が詰め込まれている。
最後にその話を聞いた。
・・・続き