2020年10月13日火曜日

株式会社JACKALMAN 代表取締役 金 栄釱(キム・ヨンデ)氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社JACKALMAN 代表取締役 金 栄釱(キム・ヨンデ)登場。


本文より~

目標は、東大進学。

ほんとうは東大に行っているはずだった。
金 栄釱氏。日本を代表するラガーマンの1人。ラグビーファンでなくても、個性的なヘアースタイルを観れば、思い出す人も多いだろう。楕円形のボールを追いかけてきた、どちらかといえば野性的な風貌と、「東大」とは落差があった。
「ハハ、中学進学の時の話です。その時の目標は、灘高校に進学し東大に入り弁護士になる、だったんですね。それで上宮中学という中・高一貫校に進学します」。
上宮中高は、有名大学への進学率だけでなく、スポーツでも高く評価されている。「私が進んだのは、むろん、進学コースです」。
いつからからだが大きくなったのか聞き忘れたが、当時から大きかったとすれば、窮屈な椅子に座り、熱心に本を読む。そんな少年のすがたが目に浮かぶ。めざすは、東大。
「ところが、1つ上の先輩が、ラグビー部を創部されたんですね」。
で、やったら、ハマった?
「そうです。もう、勉強どころじゃない/笑」。

金 栄釱という、ラグビー選手誕生まで。

金氏が進んだのは、スポーツではなく進学コース。授業のコマ数も多い。「勉強に追われ、ラグビーがでけへんことに気づくんです。だから、中学2年になる時に、思い切ってラグビー部がある別の中学に転校しました」。
「不良の巣窟だった」と笑う。金氏にすれば、ラグビーができれば、なんの巣窟であろうが、かまわない。
そのあとの経緯を簡潔にトレースすると、高校は、当然、灘ではなく島根県の江の川高校(現石見智翠館高校)に進む。高校では、いじめにもあったそう。高校から逃走した金氏を、父親が首根っこを捕まえ、連れ戻したこともあるそうだ。
大学は大阪産業大学。ただし、2部リーグ。「これが功を奏した」と金氏。実際、1年目から金氏のプレーは際立った。その結果、2部リーグから異例のプロ契約に進むことになる。
2005年、近鉄ライナーズに入団。2年在籍したのち、オーストラリアにも渡る。
「向こうでトライアウトを受けたりもしたんですが、ピザの関係もあって、いったん帰国します。この時、ホンダヒートに2年半、リコーブラックラムズで2年、NTTドコモレッドハリケーンズで2年プレーします」。
ポジションは、フランカー。どんな相手にもひるむことなくタックルする、あのポジションだ。ラグビーファンなら、金氏のタックルを記憶しているにちがいない。

からだづくりの相棒だった、赤身肉。

さて、そんな金氏と飲食。これが、ここではテーマだ。「2014年にNTTドコモで引退表明し、その年の8月に、『ステーキ食堂BECO』をオープンします。これが、1号店です」。
ここから、金氏と飲食の関係がスタートするのだが、じつは源流は、もっと昔にあった。「親父が、ある会社の飲食事業部の責任者だったんです。そんな親父を観てかっこいな、と。あの頃から『飲食はかっこいい』とからだのどこかに刷り込まれていたんでしょうね」。
東大からはじまり、ラグビー、そして、今度は飲食。オープンした「ステーキ食堂BECO」は、現役時代、からだづくりの相棒だった赤身肉がメインのステーキハウスだ。
赤身のステーキは、ヘビーなイメージもあるが、金氏に言わせると、「ヘルシー」でもあるそうだ。たしかに、霜降りの肉は旨いが、脂っこい。比較して、赤身は、「いまオレは、肉を食べている」という、人のなかに潜む、野生まで刺激する。

・・・続き

株式会社JACKALMAN 代表取締役 金 栄釱(キム・ヨンデ)


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