in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社てんてん 代表取締役 中島一薫氏登場。
本文より~
お山の大将、態度がでかい。
「おい、ジュースもらってこい」。従兄弟の兄が、命令を下す。「いちぃ、にいぃ、さん~」。
「一つ屋根の下に、祖父母とおじさん家族といっしょに暮らす大家族です。私に命令を下していた従兄弟の兄は元阪神タイガースの川尻選手です。彼は、野球ですが、私はサッカー/笑」。
運動神経は、2人とも抜群。中島氏もサッカーをはじめるといきなり頭角を現す。当時は、「ドラえもんに登場するジャイアンのような存在だった」と笑う。
お山の大将。サッカーはだれより巧かった。なまいき。敬語もつかわない。中学生になっても、でかい態度はかわらない。上級生にすぐ目をつけられた。
休みのベルが鳴れば、上級生が獲物を襲いにくる。多い時には、13人いたそうだ。獲物はむろん、中島氏。
「殴る、蹴るですよ。ともだちも、できやしない。だって、私と親しくしていると、奴らから目をつけられますからね」。殴られても、蹴られても、ビビらなかった。その態度が、いけなかったのだろう。いじめは、加速するばかり。
「1年間、毎日です。あいつらも、よう頑張ったもんですね。こっちは、いくらいじめられても、心は折れへんかったんですけどね」。
話すトーンは軽いが、中身は重い。サッカーはつづけたが、そちらも高校の時に断念している。もっとも、いじめは関係ない。代わりにはじめたのが、キックボクシング。
「お兄ちゃんはできる」というまじない。
自信家。「とにかく、『オレは、できる』と思っている」と中島氏は、笑う。「45歳になった今でも、無限の可能性があると思っているくらいですから」。こちらは、真剣に。
自信があるから、心が折れない。
「私は1975年生まれです。兄弟だけで4人。さっきも言ったように親戚も祖父もいっしょだから大人数です。あのなかもまれて育ちます」。
ただ、小学1年生の時には、東京を離れ、姫路にある父親の実家に移り住んでいる。
サッカーを始めたのは、3年生の頃
「経済的には、そう恵まれてなかったと思います。兄弟も多かったし。それが、だいたいわかっているから、何かをねだったことはなかった。外で、やりたい放題でしたからストレスはなかったですね/笑」。
父も、母も、どんな時も中島氏を信じ、応援してくれたそうだ。「お兄ちゃんは、なんでもできる」。
そう母に、言葉をかけられる度に力がわいた。
心が折れなかったのは、実は、父や母の応援があったからかもしれない。
バイトで、手にした未来図。
大学は大阪の阪南大学に進んでいる。「大学時代はバイトですね。料理にも目覚めます。サッカーのインストラクターもやりましたが、長いのは炉端居酒屋です」。
「できるバイトだったと思いますよ」と中島氏、会心の笑み。なんでも、料理もできるし、接客もできるスーパーバイトだったそう。将来、起業しようと思ったのも、このバイト時代。
「大学2年からですね。お客さんとのふれあいがたまらなく、楽しかった」。バイトのおかげで、将来のしっぽをつかむ。
「大学を卒業して、着物屋に就職します。独立資金のため、給料のいい会社を選びました」。話を聞くと、たしかに、給料がいい。当時で初任給25万円は、なかなかなかったはず。
ただし、営業会社。数字がすべて。ストレスはなかったんだろうか?
「飲食もそうですが、こちらも天職だったんでしょうね/笑。3ヵ月で50人中、3位の成績をおさめます。ただ、かなり引き留めてはいただいたんですが、半年で辞めて、大学時代にアルバイトをしていた店にもどりました。この店には、バイト時代を含めてトータル12年間います」。
「修業だった」と、中島氏。
「一瞬で心の距離をゼロにするコミュニケーションを会得してやろうと思っていました。正直、だれよりファンが多かったのとちがいますか」。お客さんにも、スタッフにも愛され、慕われていた。今の中島氏を観れば、ほぼイメージできる。ただし、このあと、起業するのだが、起業して半年、社員が逃げ出している。
起業と、ともだち。
「独立したのは、32歳の時です。半年くらい経った頃でしょうか。仕事をさぼったスタッフの1人を、キックボクシングの教え子だったこともあって、かなり痛めつけたんですね。それをみた、ほかのスタッフが辞めっていっちゃいます。かなり凹みましたね。当時は、いうなら恐怖で支配するみたいなイメージです。ぜんぜんいいマネジメントじゃないのはわかっても、それしか知らんかったから」。
中島氏がつぶやく。
「あの時、なんで起業しようと思ったのか、真剣に考えました。けっきょく、中学の時のいじめに行き着くんです。1年間、ともだちが1人もいなかった。『これだったんだ』って思います。なんで飲食をしようと思ったのか、独立して店をやろうと思ったのか、それは、ともだちが欲しかったからなんです」。
小さな時から、何一つねだったことのない中島氏が、はじめてねだったものが、ともだちだった。
2020年現在、中島氏は、飲食事業を軸に、通販事業、SDGs社会貢献事業、教育・飲食プロデュース事業を展開している。店舗数は4業態、10店舗。従業員数はアルバイト・パート含め150名。
60社が参加する「楽花成の会」の会長等で多忙を極める。「それ以外にも、小学生のPTAの会長を5年つづけている」と笑う。
大学でも講演し、小学生でも授業をしているというから、驚かされる。お山の大将が、いつの間にか人のために汗を流している。3人の師匠に巡り合ったからだろうか。
負けたくないから、人知れずがむしゃらにがんばった、その時から比べると、人間のスケールが何倍にもなったように映る。人として成長するというのは、こういうことなんだろうか。
・・・続き
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