in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社サンドライブ 代表取締役 坂本昌弘氏登場。
本文より~
自衛隊、卒業まで。
株式会社サンドライブの代表取締役 坂本昌弘氏が生まれたのは1979年。バブルに向かい、経済が突き進んでいく頃。「父親は、東京の高尾で『彦酉(ひこどり)』という飲食店を経営していました。母と結婚するまでは、いろんなところを転々としていたそうです。そういう父だから、子育ても、放任主義」。
放任だったかどうかはわからないが、坂本氏は、ご両親の下で、とにかくスクスクと育った。小学3年から野球をはじめ、高校までつづけている。
「スポーツをしていましたから、からだは丈夫です。だからというわけではないですが、大学進学時に、両親から自衛隊に行くよう勧められます。特に私は色々考えずに、学びたいことややりたい仕事もなかったので、自衛隊に入隊しました」。
なんでも、一定のルールとして、いったん横須賀駐屯地に入隊し、試験を受けて、適性のある部隊に配属されるそうだ。坂本氏は立川にある「航空通信科」に配属されている。興味がわいて調べてみたが、「通信科」のミッションは、「部隊間の通信確保、電子戦の主要な部門を担当」とあった。
「給料は手取りでだいたい16万円。先輩から教わった通り、月に8万円貯蓄しました」。3年7ヵ月在籍したというから、42ヵ月×8万円の計算。
「父親が飲食店を経営していましたので、いずれ、親父のあとを、と、これは昔から思っていました。だから、自衛隊を卒業し、飲食業に向かったのは、自然な流れです」。
レインズ、アルバイト開始。
「自衛隊を辞めて、相模原に帰ります。こちらで、『とりでん 相模原』でアルバイトをはじめました」。
「当時の現場のトレーナーや店長さんが凄い勢いのある方でした。そんな人の下ですからね。最初から恵まれていました。それに、自衛隊もそうでしたが、学歴も、ぜんぜん関係ない。アルバイトに店長代理を任命するくらいですから、社員も、バイトもない。ちからがあれば、評価される」。
そこが、面白いと思ったそうだ。
「店長になれば、もっとちからが試せると思って2002年の7月に社員になります。最初は副店長として、『歌舞伎町店』。当時の上司で店長は、現在、株式会社ジー・フィールドの社長をされている原田智昭さんです」。
権限が移譲されることも面白かったが、多士済々のプレーヤーがいたことも、面白かったのではないか。
ちなみに、結婚相手もいた。「結婚は2008年です。社内恋愛でした。子どもはまだ小さいですね」。お子さんの話になると、目じりが下がった。
「やる」と決めたら、一直線。
人生のターニングポイントは?と伺うと、「歌舞伎町店で原田氏と出会ったこと」との返答。
原田さんが独立し、私があとにつづきます。
創業店舗は、埼玉県の松原団地内。ホームページには<最初は、大手チェーンの運営委託業として、埼玉県草加市で和風居酒屋(かまどか松原団地店)を創業。その後「居酒屋かまどか行徳店」のフランチャイズオーナーとして営業を行いました>と書かれている。
やがて、行徳店をリニューアルし、「彦酉」をオープンする。そう、父親が高尾で経営されていた、あの「彦酉」。
「『オリジナルでやる』と決めたら、もうそっちにしか頭が回らなくて」。
・・・続き
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