in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社アントワークス 代表取締役社長 早川 淳氏登場。
本文より~
最初の肩書は、営業部長。
早川氏がアントワークスに入社したのは、2008年12月。大手ファミリーレストランなど、数社で要職を務めてきた早川氏の、入社時の肩書は営業部長。
「当時は直営店もまだ14店舗くらいです。社員もまだ30~40人。私が入社したタイミングで社長(現会長)が、『全国制覇100店舗』というビジョンを打ち出します。私のミッションは、このビジョンを達成するための組織づくりでした」。
早川氏は、大手企業で取締役も務めていた実力派だ。飲食のキャリアも長い。壮大なミッションも、早川氏にとっては想像の範囲内だったかもしれない。
早川氏は、入社を決意した時の様子を以下のように話している。
「最終的には社長と面談して、私の経験が活かせると思って入社を決意しました。当時、『すた丼』が都心にも出店してやっと認知されはじめたタイミングです。ただ、すでに出店している多摩地区では学生やガテン系の人、またマニアックな人には、もう充分に知られていたんです。これはいうなら可能性のかたまりだな、と思いました」。
とはいえ、十数店舗の時に「100店舗」は大胆な構想だ。むろん、出店すれば、それでいいというわけではない。100店舗を機能させなければならない。だから、組織作りが重要になる。相当な時間がかかるはずだ。
「今までとは異なる発想や行動はもちろん、新たなルールもつくっていかなければならないわけですから、反発する人も少なくありませんでした。無理に進めても溝が深くなるだけ。私は、時間をかけて一人ひとりと対話して、『全国制覇』『100店舗』というビジョンについて語り、溝を埋めるよう心がけました。最初の2年間は、社長まで不安だったようですね/笑」。
最初に着手したのは、評価基準の作成。つまり、人を活かす基準づくり。
早川氏が、最初に手をつけたのは、「評価基準」。なんでも、あいまいな評価基準がもとになって退職する人が多かったそうだ。
「改善点がいくつかあって、それがわかっても、ぜんぶいっぺんには無理。私がアントワークスで最初に取り上げたのは、『評価基準』でした。これを、最優先事項に挙げ、問題点を洗い出し、明確な基準づくりを開始しました」。
できあがったのは、5項目5段階の「評価基準」。3ヵ月に1度、評価する体制も取り入れた。だが、打った手は、それだけではなかった。
「評価面談を自ら実施し、昇進時には、『昇進の理由』をしっかりと全社員に話すことまでしました。いままでのマイナスを打ち消すためには、制度だけつくっても意味がないと思ったからです」。
たしかに、ともすれば「制度」は足枷になる。「ルール」も同様だ。その「制度」や「ルール」の根底にあるものをどう共有するかが、問題であり、重要な点。
その意味でいえば、社長の言葉は、制度に命を吹き込んだことになるのではないだろうか?
ともあれ、早川氏が新たにつくった明確な基準は、不平不満をやわらげ、逆に指標となって現れることになる。
ロケーションの見直しで、店舗数の拡大を図る。
「私が入社した当時は、大学などの近くに出店していました。学生などをターゲットにしていたからです。これは、これで、間違いない戦略です。ただし、100店舗を前提にすると、不十分に映ります。私は、再度、出店計画を洗い直し、立地調査を重点的に行いました」。
その結果、フードコートなどにも出店が進む。学生やガテン系以外にも、「すた丼」が広がることになる。「ロケーションを増やすことで、30店舗のカベをクリアすることができたと思います。これが、入社して1~2年に取り組んだことです」。
その一方で、労働環境の改善にも着手。新卒採用を始めたタイミングで月6日だった休日を、月8日にしている。また、新しく朝食のメニューもスタートしたそうだ。「これは、あんまりうまくいかなかったですね/笑」。
ただし、サービスエリア内では、まだ朝食メニューは健在。「談合坂エリアでは朝ごはんはかなり売れている」と早川氏は笑う。
・・・続き
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