in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ゴーストレストラン研究所 代表取締役 吉見悠紀氏登場。
本文より~
■世界一周。
8ヵ月かけ、世界を一周したそうだ。しかも、基本、一人旅。8ヵ月とは長いですね。日本に帰りたいとは思わなかったですか?ときいてみた。
「さすがに、8ヵ月も海外にいると日本が恋しくなります。無性に日本っていいなって/笑。いちばん滞在期間が長かった国はメキシコです。何をするでもなく、1ヵ月半くらいいました。印象に残っているのはキューバですね。当時はまだカストロ政権です。いっちゃなんですが、日本より貧しくて、何もないのに、日本より幸せそうで、キューバの人たちのハッピーな表情が、やけに印象に残っています」。
今回ご登場いただいたのは、いま注目の経営者、株式会社ゴーストレストラン研究所の吉見社長(36歳/2021年現在)。
吉見氏は、高校時代に留学も経験している。
「中学までの話ですが、日本のカルチャーにまったく関心がなかったんです。音楽も、映画も、洋楽や洋画ばかり。映画はとくに好きで週に8本くらいは観ていました」。
興味をもつきっかけは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズがつくってくれたそう。
高校時代の留学先はイギリス。
「ホームステイ先は、さすがにキューバとはちがいますが、そう裕福ではなかったんです。でも、すごく幸せそうだった。人生の楽しみ方を教えてもらった気がします」。
異国の文化にふれる。
「食」にも影響があったのでは?
「そうですね。海外で食べたものがいまのベースになっているかもしれないですね」。
日本より、海外と思い、そして、海外で日本を思う。人生観は、様々なシーンでかわると吉見氏はいう。世界一周をした人の言葉だから、その意味は重い。
漂流。
吉見氏が生まれたのは、1985年。バブル経済が、走りだす頃。
「父親も、母親も自営業です。私が小学低学年の時に両親は離婚しています。私は、母方で育ちます。小さな頃から好奇心は人一倍つよかったです」。
小学校から大学まで立教一筋。「高校2年の時に1年間イギリスに留学するんですが、それ以外は、そうですね、ずっと立教です。スポーツは陸上やサッカー。大学ではラクロスです。アルバイトですか? ビアガーデンやスペイン料理店で働いていました」。
料理は昔から、ほぼつくらない。
「もともと飲食に興味があったわけじゃないんです。大学を卒業して入社したのも、広告代理店ですし」。
1年目で早くも独立を意識し始めたそうですね?
「そうなんです。サラリーマンが、合わないとハッキリと悟りました/笑。父も母も自営業ですから、そういう星の下で育ったことが、影響しているかもしれないですね」。
海外の経験も、要因かもしれない。
「たしかに。ただ、そんなに格好のいいものじゃないです。大学に進んでもやりたいことはなく、正直いうと『いい会社に入れれば、それでいい』くらいに思っていたし、入社してからも、遊び歩いていた。いま思うともったいないですよね/笑」。
大酒を飲んで、ラクロスをやって、女の子と遊ぶ。就職しても、その延長。それが当時の、ステレオタイプといえなくもなかった気がする。
「就職した会社には、結局3年半いました。同期は20人くらいいて、そのなかにはクリエイティブ系の人もいました。彼らは芸大出身です。だから、最初からクリエイターをめざしている。大学時代の濃度もぜんぜん違うし。かっこいいな、って」。
「ちょっとくやしかった」とも笑う。
起業、前夜。
「アイデア=移動距離」という言葉が好きだという。マルチクリエイター高城剛氏の言葉なんだそう。「中学はリリーフランキーさんの本がバイブル。高校は高城剛さんの本がバイブルでした。ただ、そういうバイブルはあったんですが、『これがしたい』というのが、ぜんぜんない/笑」。
いま思えば、当然だという。
「だって、当時は、インプットの時代だったんです。まだ、アウトプットの段階になってなかっただけなんです。『やりたい気持ち』が現れたのは、社会人になってから。それが、私にとっては起業でした」。
27歳で起業されていますね?
「社内に面白い先輩がいても、話を聞くと『独立はしたいけど、守るものがある』っていうんですね。そうかぁ、と。守るものがないうちに起業しないといけないんだと納得するんですね。それで、とりあえず、その広告代理店を辞めます」。
まず、辞める?
「そうです。何の準備もしていなかったんですが、いろいろと準備をしているうちに守るものが増えちゃうと、できなくなっちゃうでしょ/笑」。
たしかに、先輩をみているとそうなる。しかし、うまくいくんだろうか?
「失敗しても、まだ30だったら、もう一度、サラリーマンができるだろうって」。
つまり、「えいや!」でスピンアウト。ただし、構想はゼロだったわけではなかったようだ。
これが、起業前夜の話。
「食」がキーワードになる。
「商圏って人の流れ、情報の流れ、モノの流れで決まると思うんです。その昔の、江戸と大阪と比較しても、いまや、日本と海外のほうがちかいんですね。だから、人も、情報も、流れている。でも、モノはどうなんだろう、って」。
会社を辞め、インドネシアやマレーシア、シンガポールを観て歩いたそうだ。
「その当時、LCCが流行りだしていたんです。人の流れはいっそ加速します。だって、国内を旅するより、安い。そんななかで、日本のモノ(食材)とアジアをつなぐサービスができないかと思い、マレーシアに食材の輸出をする事業を開始したんです。これは、計3年くらいやっていました。そのあとは、地方創生に関わり、シェフのマネジメントもさせていただきました」。
「食」という言葉がキーワードになったのは、輸出業を開始してから。そのあとも、じつは、「食」がテーマになっている。それにしても、いかにしてゴーストレストランが生まれるのだろうか?
「『食』にかかわり観えてきたのは、生産性の低さです。DX(デジタルトランスフォーメーション)の発想を用いて、何とかできないだろうかと思ったのが、ゴーストレストランの始まりです」。
食×DX。
参考にしたのは、Netflixだという。「DXを用いた映画の世界の改革というか、レンタルが、ネットの世界でできるようになった。そういう革命を食の世界でも起こせないかと思ったわけです」。
つまり、テクノロジーで、生産性を上げる?
「そういうことです。テクノロジーをつかった革命です。ただ、『食』というリアルはどうしようもない。だから、それ以外の、たとえば、キッチンの活用もその一つなんですが、テクノロジーをもちいて、キッチンという資産をフルに活用することができれば、そのぶん、生産性があがる、そういう発想です」。
なるほど。言い換えれば、テクノロジーを用いて、「モノの流れ」を創造しようという試みかもしれない。ところで、「ゴーストレストラン」という言葉を調べてみると、クラウドキッチン、バーチャルレストランとも言われているそうで、定義づけすると「電話やネットから注文を受け付ける、ショップをもたないデリバリー専門店」となり、ニューヨークが発祥とのことだ。
効率性だけではない。「お店に行くことなく、好きな料理をチョイスできます。これが、大事なアピールポイントです。『食事に行く』から、『デリバリーする』に意識をチェンジする消費者のメリットですね」。
たしかに、ゴーストレストランなら、様々なカテゴリーをチョイスすることが可能だ。たとえば、私は、ピザで、友人は、和食といった具合に。「個食」という流れもつかんでいる。
ちなみに、ゴーストレストランでは、2021年2月現在で、16ブランドがあるそうだ。
・・・続き
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