in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に“株式会社Bull Pulu 代表取締役会長 加藤二朗氏登場。
本文より~
就職先は大手小売業企業。
お父様はハーネスを製造する工場を経営されていた。経営がうまくいっていたのだろう。「子どもの頃は裕福だった」、と加藤氏。
兄弟は兄1人。小学校から私立に通っていた。小・中は野球。中学は日大二中に進んでいる。「高校も日大付属だったんですが、成績が足りなくて日大に進学できなかった」と笑う。それで、今度はちゃんと勉強して成蹊大学に進学したというから、もともとやればできる。
父兄の影響もあったんだろう。高校からアメフト部に。「父も兄もアメフトでしたから。ただ、大学ではスキー部。学科はIT系。卒業生はみんなIT系に進むんですが、私はIT系の学科の学生だったのにパソコンが苦手で笑」。
パソコンが苦手?
「もう少し人間くさいというか。もともと日大に進んだら建築をしたいなと思っていたんです。ITも悪くはないんですが。じつは子どもの頃からショッピングセンターが好きで。わくわくするでしょ。通路がわけられていて、子どもにすれば迷路ですよ。何よりみんなで買い物や食事をするのが、楽しかったですね」。
なんとなく、わかる。
それで、就職はどこに?
「大手小売業企業です。小売にも興味がありましたから」。
日本の消費をひっぱるリーディングカンパニー。組織は巨大だ。
ラーメン店、オープン。
たしかにITとは無関係に思えるが、巨大な企業だからIT系の仕事も当然あるのだろう。
「あるには、ありますが、私は、いまでいうIT人材で入社したわけではありません。6年間はちゃんと店頭に立っていましたから。システム系に異動したのは、7年目。それからの4年間、在籍し、そのあとショッピングセンターをつくる開発部門に異動します」。
キャリアを順調に積んでいく。開発といえば、花形部門だ。
「じつは、去年(2020年)の2月に『BullPulu』の会長に就任するんですが、それまでは大手小売業企業にお世話になっていました、というか、おととしの12月までは籍がありました」。
どういうことだろう。
「私がショッピングセンターの開発チームにいた時に、父親の知り合いがフードコートにラーメン店をオープンする予定だったのがうまくいかず、父親がかわってオーナーになってオープンすることになります。いったら、これが加藤家の飲食のはじまりです」。
工場の方はどうされたんですか?
「工場はむろんそのままで、別会社を立ち上げオープンします。最初は兄が社長を務めていました。ただ、経験はないし、計画もしていなかったもんですから、そりゃ、うまくいきません/笑。いくらフードコートでといっても、さすがに難しい」。
たしかにノウハウなしでのスタートはきびしい。「結局、リンガーハットさんのフランチャイズとして再スタートします。これで、なんとか月商800万円くらいになったと聞いています」。
タピオカドリンク、デビュー。
もともと飲食に興味があったのかとも伺ってみた。
「いまはメインの『Bull Pulu』をはじめ、レストランも4店舗出店しています。フードコート以外にも出店していますが、もともと私はショッピングセンターが好きで、ショッピングセンターを、もっと楽しく、おいしくしたいという思いからスタートしていますので、料理や接客が好きではじめたオーナーさんとは出発点がちがっています」。
お父様の知り合いがラーメン店を計画されたのも、きっかけですよね?
「それはそうですね。当時、私はショッピングセンターの人間ですから、父が代わりにやってくれたことで空きをつくらず済みホッとしたんですが、たしかに、これがスタートといえば、スタートです」。
ショッピングセンターを運営する人の目からみると、つぎにどんなブランドがくるか、わかるものですか?
「ショッピングセンターをつくる側、つまり開発部門に異動になって、いろんなオーナーさんに出会います。それまで社長といったらうちの親父しか知らなかったわけですが、そういう、たくさんのオーナーに出会ってアンテナは広がった気がしますね。ただ、タピオカをはじめたのは、もっとシンプルで、私自身がタピオカドリンクを飲んでおいしいと思ったからなんです」。
加藤氏は、若い頃に衝撃を受けたドリンクとして、スタバのフラペチーノ、スイカジュース、タピオカを挙げている。
「もちろん、初めはショッピングセンター側の人間として、ショッピングセンターにいらしたお客様に、タピオカという日本ではまだめずらしいドリンクを飲んで、楽しんでいただきたいと思いスタートします。ハンドドリンクのショップがなかったことも、『Bull Pulu』をオープンするきっかけになりました」。
オープンは2010年。タピオカブームのずっと前ですね。
「そういう意味では、先駆けです。当時は、フランチャイズをしているショップもなかったし、タピオカも台湾から直接仕入れるしかなかったですからね。これには父親のネットワークが役立ちます」。
・・・続き
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