2021年10月26日火曜日

キイストン創業30周年の始まり!

キイストン設立から丸29年を終え、30周年のスタートとなりました。

これも全て、うちで働いてくれた人たち、周りのブレーンの方たちのおかげです。

いくら続けたくても仕事がなければ続けられません。

また、健康でなかったら続けけられません。

スタッフの頑張り、そして家族(妻)にも感謝です。


”飲食業界に特化した戦略型人材採用ビジネス”のキイストンは、コロナの影響モロに受けました(涙)

ただ29年やってると大変なことの連続だったので、厳しい時こそチャンスありと考える癖がつきました。

そして本当にチャンスだと思ってます。

それは変化しやすいってことです!

変化にはリスクが伴いますが、厳しい時こそ変えれやすいです。

規制も緩和され飲食店も全面解除になりましたが、キイストンは12月までは週1全員出社を除き、スタッフは週1〜2日の出勤、営業はwebも活用しながらの直行直帰を実施します。

これで業績も伸ばていけば、この働き方でより採用もしやすくなるかもって(笑)


もう一つは、求人部門以外の試みとしてフランチャイズ加盟のサポートにも力入れます。

実は地道に5業態、13FC決まってます。

キイストン=フランチャイズ加盟サポートの顔も作れれば…。

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

福満園グループ 代表取締役 山田聖一郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”に“福満園グループ 代表取締役 山田聖一郎氏登場。

 本文より~

村からでて、向かったのは、異国の日本。

「中国でもかなり田舎の村で、私が小さい頃には電気も通っていませんでした」と、今回、ご登場いただいた福満園(フクマンエン)グループの代表取締役、山田 聖一郎氏。
1996年に帰化し、日本国籍を取得されている。
来日は17歳の時。西暦では1988年のこと。日本はバブル経済、真っただ中。「親戚の子といっしょに来日します。上海にも行ったことがありません。17年間、村からでたことがなかったのに、いきなり外国でしょ。最初は、当然のことですが、なにもわからない」。
ただ、不安のなかには、希望もあった。初来日されて、日本はどうでしたか? とうかがうと、「みるもの、みるもの、すべてで、目が丸くなった」という返答だった。
「最初に暮らしたのは、港区の田町です。来日のきっかけをつくってくれた父親の知人のところで暮らしました。ただ、5畳の部屋に6人です。狭いですね/笑」。
その後、新橋にある、カレーとスパゲッティのお店でアルバイトを始めたそうだ。
「1年くらい働きました。日本語を勉強したのは、そのお店です」。
日本人の印象は? とうかがうと、「やさしい」と一言。「お世話になったお店がファミリー経営だったから、とくに」、とも。もう来日して、数十年。日本語は流ちょうだ。ただ、当時の話を聞くと、言葉の端々で、不安と希望が入り混じった、来日当時の、17歳の心境が揺れうごく。

25歳、起業。軍資金1000万円。

「そのあとは、亀戸や市ヶ谷、そうですね、リトル香港でも仕事をしました。ともかく当時は、1ヵ月で300時間くらいはたらいていたんじゃないでしょうか。中華街の『大珍楼』でも仕事をさせてもらいました」。
1ヵ月、300時間。いまなら、問題になる労働時間だ。しかし、当時は、それが当然という風習だったのも事実である。そのなかで何を指向するか、問題は、そこ。むろん、山田氏の視線の先には、「独立」の二文字があったに違いない。
独立のきっかけは?
「中華街です。この街には、北京はもちろん、上海、四川、広東と、中華料理のすべてがあるんです。ただ、一つだけ、福建省の、私が育った村で、私が小さな頃に食べた料理がなかったんです」。
それで福建省の料理で勝負ということになったんですか?
「そうです。福建省の料理は、旨いんです。だから、いけるんじゃないだろうか、と。この味にかけてみよう、と」。
結果はもうでているが、急がず、もう少し創業時の話をつづける。
「1号店は横浜市中区の松影町に出店します。1995年のことで、私が25歳の時です」。
開業資金はどうされましたか?
「12坪の小さな店ですが、それでも1000万円くらいはかかりました。来日してからコツコツ貯めてきた資金をあてて開業です。ただ、私自身は『景徳鎮』という起業する前から勤めていた店で支配人をつづけます」。
お店のほうは、どうされたんですか?
「店は、信頼できる人に任せました」。むろん、コンセプトはすべて山田氏が手がける。幸いなことに業績は順調に拡大する。
その後、蒲田にも出店し、中華街にも進出する。
「中華街にオープンしたことで、いろんな人と知り合うことができた」という。とくに、「景徳鎮」で勤務したことが大きいそうだ。「社長が、中華街のなかでも顔が利く人でしたから。そのおかげですね」。
一つ一つの出会いが、山田氏を大きくする。
のちに「横浜中華街発展会協同組合」の理事となり、10年以上つづけているそうだ。そのなかで生まれた人脈も多い。そんな山田氏からみて、中華街の風景は、どう移りかわってきたのだろう? その点についても、質問を投げてみた。

中華街と、日本と福建省の交流と。

「この10数年で、中華街もかわりましたね。リーマン・ショックや震災時に、とくに大きくかわったという印象です。具体的には、いままで中華街にはなかったようなショップがオープンします」。
無意味な価格競争が起こったこともあるという。
「昔を大事にするわけではありませんが、100年の歴史がある街です。その文化は、やはり大事にしなくてはいけない、私はそう思っています」。
かわることと、かわらないこと。ルールがあって、はじめて街がある。そのルールは、仲間を大事にするということではないのだろうか。共存という言い方もできる。
「福建省だけではなく、中国からは様々な人が日本に来ています。私のように帰化した者もあれば、そうでない者もいる。日本に来る目的も少しずつかわってきているかもしれません」。
ただし、時代はかわっても、横浜中華街は、中華のアイデンティティによってはじめて成立する街である。それはかわらない、街の根っこ。
さて、山田氏の活動は、飲食だけではない。
「『日本福建経済文化促進会 横浜分会』という会を立ち上げ、私は初代の会長を務めます。この会は、飲食だけではなく、日本で様々な仕事をしている福建省出身の中国人の会です。最盛期には、600~800人がいました」。
ネーミングからすると、日本と福建省の、経済と文化のかけはしというところだろうか。「そうですね。でも、震災の時などには、物資の支援を行うなど、活動の幅も広いですね」。
順風満帆。
苦労がないといえばうそになるが、会社も順調に大きくなり、山田氏自身もまた、何不自由のない立場になる。山田氏を慕う人間も、少なくないだろう。
そんな山田氏に一つ、たいへんだった時を挙げてもらった。

・・・続き

福満園グループ 代表取締役 山田聖一郎氏

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(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

2021年10月23日土曜日

10月22日(金)発行の夕刊フジ「飲食業 新時代への挑戦」は『シーユナイテッド』様を取り上げました。

10月22日(金)発行の夕刊フジ「飲食業 新時代への挑戦」は、珈琲館とベローチェを運営される『シーユナイテッド』様を取り上げました。

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フランチャイズ比較ネットに記事取り上げて頂きました。

10月20日、「フランチャイズ比較ネット」にインタビュー記事が紹介されました。

夕刊フジにて「飲食FCで第二の人生」を連載させて頂き、そこから「飲食で起つ!」の書籍を発行しましちので、本格的にFC加盟サポートにも力入れます。
キイストンの一つの柱になれば…。

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戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

2021年10月21日木曜日

10月15日(金)発行の夕刊フジ「飲食業 新時代への挑戦」は『日本料理研究会』様を取り上げました

10月15日(金)発行の夕刊フジ「飲食業 新時代への挑戦」は、プロの日本料理人の創作能力高め、キッチン外にも活路を切り開く『日本料理研究会』様を取り上げました。

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2021年10月20日水曜日

株式会社CITRABA 代表 脇 篤史氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”に“株式会社CITRABA 代表 脇 篤史氏登場。


本文より~

中学時代に書き残したのは、社長の二文字。

1982年生まれ。出身は神奈川県座間市。「小学1年の時に茨城県に引っ越します。うまくはなかったですが、父親の影響もあって、ずっと野球をやっていました」。
高校は土浦日大付属高校。1学年に生徒1000人を数えるマンモス校だったそうだ。「小学生の頃の目標は、プロ野球選手でした。ただ、中学にはもう少し現実的な目標にかわっていました。社長です。将来、社長になるとどこかに書いたような/笑」。
それから数年、大学を卒業した脇氏は株式会社ダイナックに入社する。いうまでもなく、サントリー系列の飲食企業だ。ホームページには「響」「魚盛」「鳥どり」などの多業態飲食店の経営と書かれている。
「もともと飲食を志望していました。高校時代から飲食でずっとバイトしていたので、親しみもあったし、だいたい人と接するのが好きだから、この仕事に向いていると思っていたんです。だから、就活では、飲食ばかり受けていました」。
ダイナック以外には、ダッキーダック、際コーポレーションなどなど。
「バイトはジャンル問わず経験しています。ラーメンに、中華に、イタリアン、ハウスウェディングでもはたらきました。飲食はバイトの定番だし、じつは食に興味もあったんです」。
こちらは、お母さまの影響らしい。
「母親の料理が好きで、大学に進むときも、じつは料理の専門学校と迷ったくらいなんです」。ダイナックにすれば、とびきりいい人材が採用できたことになる。

ダイナックで、修業。職人気質の料理人に叩き込まれる。

「料理好きということもあって、大学時代はイタリアンのキッチンでずっとバイトをしていました。そのぶん、学校にはあまり行ってなかった/笑」。
むろん、無事卒業はできている。
アルバイトでキッチンの経験もなくはなかったが、配属はホール。
「やっぱり料理が好きだから3年目にキッチンに異動させてもらって、2年半で3店舗経験します。いまはもうないブランドなんですが、職人気質の料理人に、びっしり叩き込んでもらいます。私の料理人のベースができたのは、この人のおかげですね。ダイナックには計9年いました。5年目には料理長にもなっています」。
ホールから異動したなかでは早い昇格だという。
「ダイナックでは居酒屋も経験しました。居酒屋の経験はなかったので楽しかったですね。ダイナックを辞めるきっかけになったのは、クラフトビールに出会い、魅了されたからです」。
むろん、独立というのも視野に入れてのこと。ホール、キッチン全般を経験し、独立できるスキルと資金をある程度貯蓄できたのも、辞めるきっかけになったのではないか。
志も準備は万端。
だが、クラフトビールが気にかかる。

大手メーカーだけじゃない。クラフトビールは、旨くて、楽しい。

「私がクラフトビールに出会った『クラフトビアマーケット』は雰囲気もすごくいいお店です。私もじつは常連客の1人でした。どうしても気になったこともあってダイナックを辞めたあと、じつはこちらでアルバイトを開始します。最初は数ヵ月と思っていたんですが、クラフトビールというのは、知れば知るほど奥が深いんです。その奥深さに負け、物件探しもしていたんですが、そちらはいったんストップし、開業も先送りして、こちらで正社員になります」。
数ヵ月のつもりが、けっきょく5年勤務している。
「虎ノ門店からスタートし、三越前店、淡路町店で店長を経験し、神田店では、立ち上げから店長を務めさせていただきました。もちろん、独立を忘れたわけではありません」。
ちなみに、クラフトビールとの出会いには奥様も一役買われている。
「2012年、30歳の時に結婚します。ダイナックを辞める頃ですね。奥さんとは、ダイナックで知り合いました。彼女がベルギービールが好きで、その影響でクラフトビールを知り、のめり込んでいきました」。
ちょっと先走ることになるが、いま我々が「シトラバ」で旨いクラフトビールをいただけるのは、奥様のおかげでもある。感謝、感謝。

クラフトビールとレモンサワーと、丸鶏フライドチキン。この三本柱にはかなわない。

「クラフト麦酒酒場 シトラバ」がオープンしたのは、2019年4月13日。脇氏、36歳の時。「会社から『クラフトビアマーケット 高円寺店』で独立しないか、というオファーを頂戴します。私にとっては申し分ないオファーです」。
それはそうだろう。リスクは少ない。ある意味、ホームグラウンドでもある。「28坪で、50席くらいです。損益分岐点でいうと450万円くらいでしょうか」。
目玉は、クラフトビールとレモンサワー。ここに、ビールと相性抜群の丸鶏フライドチキンが戦力に加わる。もうこれだけで、ビール好きは落城したようなもんだ。
レモンサワーにもこだわりがある。
「こちらは、小田原の矢郷農園のノーワックスレモンを使用しています。シンプルな『いつものレモンサワー』から、はちみつで漬け込んだレモンを使用した『贅沢レモンサワー』に、『パクチーレモンサワー』、『ガリレモンサワー』とバリエーションも豊富にご用意しています」。
クラフトビールだけではなく、レモンサワーも用意することで客層が広がる。センスのいい戦略だ。「2021年1月に法人化します。3月には2店舗目の中野店をオープンします。こちらに決めたのは、家賃が下がったことと、小窓もあるので、ビールのテイクアウトもできそうだったので」。
ビールのテイクアウトとはめずらしいが、じつは、高円寺でもやっている。

・・・続き

株式会社CITRABA 代表 脇 篤史氏

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10月8日(金)発行の夕刊フジ「飲食業 新時代への挑戦」は『日本橋せいとう』様を取り上げました。

10月8日(金)発行の夕刊フジ「飲食業 新時代への挑戦」は、老舗ブランドを守りつつ新事業で攻める 創業者の思い受け継いだ3代目の挑戦 『日本橋せいとう』様を取り上げました。

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2021年10月7日木曜日

ファースト商事ホールディングス株式会社 代表取締役 平井克彦氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”に“ファースト商事ホールディングス株式会社 代表取締役 平井克彦氏登場。

本文より~

高校生、ファミリーマートで働く。

「日本酒との出会いで、すべてが変わった」と平井氏はつぶやく、何をすればいいかわからない時の話。
平井氏は1967年、新宿で生まれる。三人兄妹の末っ子。末っ子だが面倒みがいい。ケガをした友達がいれば放っておけず親切に手当をしたそうだ。小学生の時はボーイスカウト。中学から高校まで、バスケ部。委員会などに積極的なほうだったという。
「うちは、貧乏なほうだったんじゃないかな。小学校1年生の時にはじめて回転寿司に連れていってもらったんですが、それに感激して、将来、お寿司屋さんになりたいって思ったくらいですから/笑」
「大学には行っていません。高校3年の時からファミリーマートでアルバイトをはじめます。これが、私の原点。じつは、うちの会社の創業店です」。
当時の時給は480円。「市谷薬王寺にあったファミリーマートです。すごく儲かっていましたね」。平井氏が17歳といえば、1984年。バブルのはじまり。
「1号店が成功したから、新店を出すことになりました。じつは、いったん辞めて旅行会社で勤務したりもしたんですが、2年半で営業に向いていないのがわかって/笑。23歳の時に、元のファミリーマートにもどりました」。

27歳、取締役就任。

「2店舗目を出店したのは『府中』です。私はこちらで店長になります」。
平井氏によれば、誰が店長をするかで、コンビニの売り上げは変わるらしい。棚にも、接客にも、仕入れにも、やはり個人差があるからだそうだ。
「府中も、業績はよかったですね。そのあと上司がサブウェイの話をもってきて、社長から『サブウェイをやってくれ』と頼まれます。サブウェイの、まだ、走りの走りの頃です」。
「アメリカ式の経営に驚いた」と平井氏。
「サブウェイでいちばん驚いたのは、そこですね。日本とはちがう。CS(顧客満足)という尺度も、まさに目から鱗。いまも私の大事な『指標』です」。
平井氏の手腕は、サブウェイ本部からも高く評価されたそう。「おかげで、研修店舗にも選ばれ、そのぶん収益もアップしました。それに、教えるのが好きだから、楽しかったですね」。
17歳からコンビニエンスストアではたらき、今度はサブウェイ。
「じつは、旅行会社の時に、上司から『目的意識をもってはたらけ』って言われたことがあって、その一言が、私のターニングポイントです。サブウェイで、その意味が、ストンと腹落ちしました」。
サブウェイ後も、コンビニエンスストアを出店するかたわら、新たに牛角とも契約している。「社長のアンテナが広かったんでしょうね。牛角だってまだ60店舗くらいしかなかった時のことです」。
社長から高く評価され、27歳で、取締役に就任。「就任したのはいいんですが、意味がわかんなくって、本を読み漁りました/笑」。
いかにも、平井氏らしいエピソード。

日本酒に酔う。

27歳で、取締役。いつのまにか、起業という思いがつよくなる。
「34歳の時ですね。いったん退職し、自分でファミリーマートを起業しようと、独立の話を社長にさせてもらったところ、引き留めていただき、逆に『会社を買い取らないか』と打診されたんです。最初は、その気はなかったんですが、『いっしょにやろう』と言ってくれる社員もいて、『わかりました』と。ええ、社名は当時からかわっていません。ファーストっていうのがいいでしょ」。
2000万円で買い取り、5000万円の借り入れをひきついだ。「借金だらけですが、正直、自信がないわけじゃなかった。でないと、やっていませんしね」と、笑う。
しかし、借り入れ額も相当だ。どんな絵を描いていたんだろう?
「やりたかったのは、コンビニの複数出店と飲食店です。飲食店はオリジナルと決めていたんですが、何をすればいいかわからない。そんな時に、吉祥寺のあるお店で、日本酒のマリアージュに出ったんです。あれで、すべてがかわったと思うんです。そりゃもう、私の人生も、含めてね」。

・・・続き

ファースト商事ホールディングス株式会社 代表取締役 平井克彦氏

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10月1日(金)発行の夕刊フジ「飲食業 新時代への挑戦」は『大和フーズ』様を取り上げました。

10月1日(金)発行の夕刊フジ「飲食業 新時代への挑戦」はコロナ禍で懇親会に変化、企業からの注文増で売上突出の宅配焼肉弁当を展開している『大和フーズ』様を取り上げました。

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