2021年10月7日木曜日

ファースト商事ホールディングス株式会社 代表取締役 平井克彦氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”に“ファースト商事ホールディングス株式会社 代表取締役 平井克彦氏登場。

本文より~

高校生、ファミリーマートで働く。

「日本酒との出会いで、すべてが変わった」と平井氏はつぶやく、何をすればいいかわからない時の話。
平井氏は1967年、新宿で生まれる。三人兄妹の末っ子。末っ子だが面倒みがいい。ケガをした友達がいれば放っておけず親切に手当をしたそうだ。小学生の時はボーイスカウト。中学から高校まで、バスケ部。委員会などに積極的なほうだったという。
「うちは、貧乏なほうだったんじゃないかな。小学校1年生の時にはじめて回転寿司に連れていってもらったんですが、それに感激して、将来、お寿司屋さんになりたいって思ったくらいですから/笑」
「大学には行っていません。高校3年の時からファミリーマートでアルバイトをはじめます。これが、私の原点。じつは、うちの会社の創業店です」。
当時の時給は480円。「市谷薬王寺にあったファミリーマートです。すごく儲かっていましたね」。平井氏が17歳といえば、1984年。バブルのはじまり。
「1号店が成功したから、新店を出すことになりました。じつは、いったん辞めて旅行会社で勤務したりもしたんですが、2年半で営業に向いていないのがわかって/笑。23歳の時に、元のファミリーマートにもどりました」。

27歳、取締役就任。

「2店舗目を出店したのは『府中』です。私はこちらで店長になります」。
平井氏によれば、誰が店長をするかで、コンビニの売り上げは変わるらしい。棚にも、接客にも、仕入れにも、やはり個人差があるからだそうだ。
「府中も、業績はよかったですね。そのあと上司がサブウェイの話をもってきて、社長から『サブウェイをやってくれ』と頼まれます。サブウェイの、まだ、走りの走りの頃です」。
「アメリカ式の経営に驚いた」と平井氏。
「サブウェイでいちばん驚いたのは、そこですね。日本とはちがう。CS(顧客満足)という尺度も、まさに目から鱗。いまも私の大事な『指標』です」。
平井氏の手腕は、サブウェイ本部からも高く評価されたそう。「おかげで、研修店舗にも選ばれ、そのぶん収益もアップしました。それに、教えるのが好きだから、楽しかったですね」。
17歳からコンビニエンスストアではたらき、今度はサブウェイ。
「じつは、旅行会社の時に、上司から『目的意識をもってはたらけ』って言われたことがあって、その一言が、私のターニングポイントです。サブウェイで、その意味が、ストンと腹落ちしました」。
サブウェイ後も、コンビニエンスストアを出店するかたわら、新たに牛角とも契約している。「社長のアンテナが広かったんでしょうね。牛角だってまだ60店舗くらいしかなかった時のことです」。
社長から高く評価され、27歳で、取締役に就任。「就任したのはいいんですが、意味がわかんなくって、本を読み漁りました/笑」。
いかにも、平井氏らしいエピソード。

日本酒に酔う。

27歳で、取締役。いつのまにか、起業という思いがつよくなる。
「34歳の時ですね。いったん退職し、自分でファミリーマートを起業しようと、独立の話を社長にさせてもらったところ、引き留めていただき、逆に『会社を買い取らないか』と打診されたんです。最初は、その気はなかったんですが、『いっしょにやろう』と言ってくれる社員もいて、『わかりました』と。ええ、社名は当時からかわっていません。ファーストっていうのがいいでしょ」。
2000万円で買い取り、5000万円の借り入れをひきついだ。「借金だらけですが、正直、自信がないわけじゃなかった。でないと、やっていませんしね」と、笑う。
しかし、借り入れ額も相当だ。どんな絵を描いていたんだろう?
「やりたかったのは、コンビニの複数出店と飲食店です。飲食店はオリジナルと決めていたんですが、何をすればいいかわからない。そんな時に、吉祥寺のあるお店で、日本酒のマリアージュに出ったんです。あれで、すべてがかわったと思うんです。そりゃもう、私の人生も、含めてね」。

・・・続き

ファースト商事ホールディングス株式会社 代表取締役 平井克彦氏

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