in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にアークス物流サポート株式会社 代表取締役社長 白石康博氏登場。
本文より~
ハタチの独立宣言。
小さい頃からバレーボールの選手だった。「私がバレーボールを始めたのは小学校3年です。私が育った船橋はバレーボールが盛んなエリア。だから、私がバレーボールを始めたのは必然だったのかもしれませんね」。小学校6年生の時には日本一にもなったというから驚かされる。
ポジションをたずねると「センター」とのこと。センターと言えば、守備の時にはブロックのかなめとなり、攻撃時にはクイックスパイクを打ち込む、攻守ともにカギをにぎる選手だ。
センターには背丈がある選手が多い。白石氏も中学で180センチちかくあったから、センターに抜てきされたのだろう。ただ、中学3年でパタッと背丈が止まってしまった、と笑う。
「高校はスポーツ推薦で千葉商科大付属高校に進みます。県下で当時2番目の強豪校です。私の背丈がとまってしまったこともあるんですが、高校になればデカイのがゴロゴロいる/笑。それまでバレーボールで食べていくと思っていましたし、その自信もあったんですが、バレーボールの選手にとってなんだかんだ言っても背丈は生命線なんですね。なんとか食らいついていきましたが。一杯一杯だったのも事実です」。
千葉商科大に進み、大学でもバレーボールをつづけたが、2年で終止符を打つ。怪我が原因だが、すでに心は折れていたのかもしれない。
白石氏はこの大学時代を、人生のターニングポイントに挙げている。
「バレーボールを辞めることもそうですが、代わりにサークルを立ち上げたり、バイト仲間と出会ったり、と、今までにない経験をします。とくにバイト仲間は、有名な大学に通っている人ばかりで、学歴だけでなく、思考もぜんぜん違っていて。私はそれまでバレーボール一筋だったから尚更、彼らの話が新鮮だったんだと思います」。
「国家資格を取って、それそれ独立して会社をつくろうと盛り上がったりもしました。私もその気になって、20代で資格を取って、30歳で独立すると大学の仲間たちに宣言します」。
宣言したからには、やらないといけない。
「そうなんです。独立に向け、新たな道がスタートします。バレーボールの人生がゼロリセットされて、新たな人生の幕開けですね。とにかく、最初は国家資格の取得です」。
宣言どこへ行く?
「国家資格と言っても色々あって、私は『不動産鑑定士』をめざします。ただ、『宅地建物取引士』は取得できたんですが、『不動産鑑定士』は3年で挫折します」。
「バレーボールしかしてこなかったから、勉強はまったくで。笑われると思いますが、最初は分数の計算も?です。そこからですからね、カベは高い。不動産鑑定士の事務所でもはたらき、経験も積んだんですが」。
すでに合格した仲間たちから「方向転換したほうがいいんじゃないか」と諭されたそう。「人間的には才能があるんだから、30歳になった時に肩をならべあっていればいいじゃないか」とも。
「わりと素直なんでしょうね。みんながいうなら、じゃ、そうするかと舵を切って通信関係の会社に就職します。当時は、日本の通信の黎明期です。最初は店頭にも立ちましたが、営業が向いていると言われ、法人相手に営業をするようになりました」。
成績はどうでしたか?とたずねるとと、「まぁ、それなりには」とのこと。ひかえめな表現というのは、話しぶりからもうかがえた。仕事も面白く、上司からも評価されたが、独立をあきらめたわけではない。この会社では、23歳から30歳まで勤務している。つまり、決断の時になる。
「会社に残る選択肢もありましたが、思い切って独立に向けてスタートします。学生の頃の宣言が、いい意味で私の背中を押してくれたんでしょうね」。
最初は、携帯ショップをと思っていたらしい。ただ、うまく物件がみつからない。そんな時、父親が思いもしなかった話をパスしてくれた。
2400万円の賭け。
「長年、運送業に携わってきた父親が『ある会社が物流部門を分割し、そこを引き受ける事が出来るかもしれない』という話を持ってきてくれたんです。」さっそく提案書をもっていったらしい。「話はスムーズに進んだんですが、『200坪の倉庫を借りる』という条件をいただいて…。何しろ200坪ですからね/笑」。
しかも、200坪ちょうどの倉庫など、都合よくあるわけがない。けっきょく、契約できそうな倉庫は400坪のものしかなかった。家賃だけでも倍になる。
むろん、難問であっても下を向かないのが、白石氏の真骨頂。
「金融機関は相手にしてくれません。だから、ほんといろんな人に頭を下げました。そして何とか2400万円を用意することができ、正式に契約することができました。私たちの覚悟が伝わったんでしょうね。相手先からは、お客様もご紹介いただけました」。
その昔の、バイト仲間が言った通り、人間的な才能で、独立を果たしたことになる。これが、白石氏の人間力というものだろう。
「もう18年前の話ですよね」と白石氏は目を細める。けっきょく1年、先送りされて、独立したのは31歳の時。この2022年のインタビューで、会社設立18年目となり、白石氏は49歳になっている。
独立してどうでしたか?
「ちょっとゆとりがでてきたのは、10年目くらいからですね。最初の5年間は1日も休みませんでしたし、5年~8年がいちばんきつかったです」。
事業についてもうかがった。「基本、生鮮食品なのでニッチな分野です。スーパーや飲食店に配送しています」
飲食に進出したのはいつ頃ですか?
「2012年です。じつは、学生時代に、ホテルで行われる結婚式で配膳とかのバイトをしていた頃から将来は飲食業をやりたいなとも思っていました。ただ、あくまで将来の話。設定としては40歳です」。 その40歳がちかづいてきた?
「そうです。だから、役員にも『飲食をやりたい』と話をしていたんです。ただ、やるなら『物流と相乗効果のある飲食を』と思っていまして」。
それで、「根室食堂」だったんですね。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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