in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に東和フードサービス株式会社 代表取締役社長CEO 岸野誠人氏登場。
本文より~
生い立ち。
東和フードサービス株式会社が誕生して25年となる。創業から数えると50年になり、父、岸野禎則氏が創業者。2018年、その父、禎則氏が急逝され、現在は今回ご登場いただいた岸野誠人氏が社長を務めている。
事業の幅が広い。グループ全体では1,000億円をオーバーする勢いだ。外食と不動産とアミューズメント。父、禎則氏が存命の頃は、誠人氏がアミューズメント事業を、禎則氏が外食と不動産事業を統括していたそうだ。
「そういう意味ではすみ分けができていました。私自身は2006年、東和産業に入社し、2016年に東和フードサービスの取締役、2018年に社長に就任しました。父は真面目で、仕事のことは常に頭にあったと思いますが、家族を大切にする人でした」。
忙しい仕事の合間に相手をしてくれたキャッチボールは、今も記憶に残っている。
誠人氏が生まれたのは1977年。「まだ創業して3~4年の頃。いちばん忙しい時だったかもしれませんね」。
子どもの頃の自己評価は、「わりとひょうきんな奴」。
中学から私立の玉川学園に進学し、玉川大学まで進んでいる。
「玉川学園に入学し、ラグビーをはじめます。おぼっちゃん学校だったので、ラグビーがあって、ある意味、バランスが取れていたんじゃないでしょうか」。
<One for all All for one>
「ネットワークができたという意味でもそうですが、人生観にも影響を受けたスポーツです。自己犠牲やチームワーク、規律もすべてラグビーを通して知りました。4番でフォワード、ロックと呼ばれるポジションでした」。
4番はスクラムを組む選手。
ラインアウトになったときはジャンパーとなって空中戦を繰り広げ、地上では相手選手を蹴散らし、前進する。大型選手が多いのはそのためだ。
むろん、誠人氏も昔から大きかった。
アメリカ、ニューヨーク。
「大学でもラグビーを続けますが、入部したのは3年生になってからなんです。1、2年の時は海外旅行とか、ラグビーとはちがう人生勉強をしていました」。
大学での専攻はアート。今とは、まるで畑違いだ。創業者の父、禎則氏は、事業の継承についてなにか言われていなかったのだろうか?
「大学生になっても、私自身はそう意識はしていなかったですね。父からは『やりたいならやればいい』と言われていました」。
ただし、「やるなら、覚悟がいる」とも言われていたそうだ。
「覚悟」。
今ならその意味はわかる。当時は、その重みをどれだけ理解されていたのだろうか。
就職についてもうかがった。
「当時は、就職氷河期真っ只中です。大手企業への就職は現実的ではなかったですね」。
それで海外へ?
「そうですね。もともと海外に興味があったことも影響しています。留学を選択し、ニューヨークの大学院に進みました。MBAを取得したのは、その時です。9.11はニューヨークにいました。おなじニューヨークでも、マンハッタンではなく、クイーンズだったので被害はなかったです」。
ちなみに、9.11は、引っ越しをした翌日だったそうだ。TVも設置していなかったので、日本からの国際電話で、テロを知ったそうだ。
「母から心配する電話があって。最初はなんのことかと思っていましたが、街頭のTVでニュースを観て、凍りつきました」。
アメリカでは合計5年生活している。
「MBAを取得したあと、そのままニューヨークで電通に就職します」。
つまり、誠人氏はニューヨークで社会人生活をスタートしたことになる。電通に就職したのは、マーケティングを専攻していたからだという。玉川大学時代のアートとは、先端という意味で似ているが、カテゴリーは畑違い。さて、どんな社会人生活がスタートするんだろう?
マンハッタンを駆ける、社会人1年生。
「アメリカで仕事をスタートするわけですが、最初に驚いたのは人の動きが激しいことです。日本とは全然違います。だって、朝、仕事を一緒にしていた人が、夜にはもういない。そういう世界です」。
日本ではちょっとイメージできないドライな世界ですね?
「そう。『あれ? あいつはどこいった?』っていったら、『あいつはクビ』だって(笑)。でも向こうは、そういう社会です。クビになってもマイナスにならないし、転職回数もハンディになりません」。
今では、日本でも転職回数を気にする会社は減ったが、それでもまだまだ少数派である。組織と個人、どちらを優先するかと問えば、アメリカ人は個人といい、一昔前の日本人なら間違いなく組織と答える。
「そういった価値観や世界観を勉強することになりました。そういう意味でも、ニューヨークに行ったのは間違いなく私のターニングポイントです」。
MBAを取得したことはもちろんだが、アメリカ的な仕事観、価値観を体験したことも、貴重な財産。はたして、アメリカ帰りの二代目社長は、どんな世界観をつくりだすのだろうか?
社長就任、2年後、コロナの時代へ。
ニューヨークで社会人をスタートした誠人氏だったが、むろん、父、禎則氏からも様々なことを学習し、受け継いでいる。「偉大な経営者」と言っているのは、ただの賛辞ではない。
「社長としては、まだまだですが、事業の継承は比較的スムーズにできたと思っています。社長になる2年前から取締役だったので、だいたいはわかっていましたから」。
問題はなかったが、社長となって2年、コロナ禍に突入する。
「たしかに、コロナ禍の下では難しいかじ取りとなりました。アミューズメント事業も苦戦しましたし、飲食も例外ではありません」。
現在、東和フードサービスのブランドは、「椿屋珈琲」「椿屋カフェ」「椿屋茶房」 、パスタ&ケーキ「ダッキーダック」など、父、禎則氏の代から大きな違いはない。
ただ、ウエイトは異なってきている。催事事業やEC事業に重心が移っているのは、その一例。
「朝の情報番組で取り上げてもらった、『シャインマスカットのチーズズコット』『あまおう苺のズコット』は10万ピース以上のヒット商品となりました。また、『椿屋』、創業25周年の記念プロジェクトとして開発したレトルトタイプの『椿屋カレー』『椿屋ハヤシソース』も販売開始から10ヵ月で12万食以上の出荷を記録しています」。
イートインからテイクアウトへというのも一つの戦略。
むろん、催事やEC事業が加速する。2022年4月の決算短信で確認すると、催事事業全体のセールスが前年比273.9%となっていた。
・・・続き
東和フードサービス株式会社 代表取締役社長CEO 岸野誠人氏
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