in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に合同会社上々 代表 池田真明氏登場。
本文より~小学生、芸能界に入る。
歌手をめざしていた母親の影響だろうか。今回ご登場いただいた合同会社上々の代表、池田氏も芸能活動をしていた。ただ、母親より父親が歌がうまく、母親といっしょにでかけた歌の教室で、歌を披露すると、いきなり、大手プロダクションを名を挙げ、芸能界入りを勧められたそうだ。
「たしかに、親父はめちゃめちゃ歌がうまかったです。ただ、芸能界とかに興味がまるでない人で、だから好きにはさせてくれていましたが、私の活動をどう思っていたかはわからないですね」。
父親とは、軋轢が長くつづいたそうだ。
「私は基本、おばあちゃんっ子でした。おばあちゃんは近所でも。こわいおばあちゃんで通っていました笑」。連れてきた友人にも容赦がなかったそう。
バスケットボールをやり、友人はすくなくなかったが、生活サイクルに芸能活動が入ってくる。
「そうですね。小学校の頃から芸能活動をしていましたから、周りといっしょというわけにはいきません。中学になって、ジャニーズに入ります。母親のともだちがオーディションに応募したのがきっかけです。関西ジャニーズの初期のメンバーだったので、相当、ハードでしたね。最初は劇団とかけもちをしていたんですが、それも許されませんでした」。
TV番組でアイドル歌手のバックダンサーをしたり、有名なアーチストのコンサートにでたりもした。「私から言いふらすことはないんですが、テレビを観ていた子が、『え? アレ? なんで池田くんが?』、みたいな話になって、それで話したことはありましたね」。
TVに登場する小・中学生はたしかにいる。ただ、子どもだからと甘やかされる世界ではない。だからというわけではないが、生活が荒れた。
「いうなら反抗期って奴です。とくに親父に、ですね。小学校の頃はこわいだけだったのが、だんだん私のからだが大きくなってくると、態度にも表れるようになりました」。
とくに中学3年生からは、すさんだ生活が顕著になり、進んだ高校も退学している。
「じつは、高校で1回ダブっているんです。いったん高校は退学しましたが、違う高校に進み、高校を卒業したことにはなっています笑」。
ほめられた生活態度ではなかったが、ダンスもつづけ、18歳までは芸能活動もつづけていたそうだ。
23歳で独立する宣言。
「高校もまともに卒業できなくて、今となっては両親にめちゃめちゃ申し訳なかったと思っています。もちろん、大学には進んでいません。母親の友人のアドバイスもあって、祇園の高級なラウンジに就職し、1年くらいそちらではたらかせていただきました」。
18歳の時に「独立しよう」と心に誓ったそうだ。
「理由はないんですが、23歳で独立するとゴールも設定します。小さい頃から芸能界という大人の世界で仕事をしていたので、その影響もあったんでしょうか?」。
ラウンジを卒業し、今度は、お酒を勉強するために有名な酒店に転職する。「ふつう、お酒はあとだと思うんですが、当時、カクテルっていう映画が流行っていて、もろ影響されて、それで酒店に転職します。こちらで2年ほどはたらき、レストランで料理の修業をして、プラン通り23歳で独立できました」。
12坪の小さなやきとり店。
「どうですかね。なんとか食べていけるくらいでしょうか。こちらを5年くらいやり、28歳で、今度はダイニングバーをオープンします。最初は、向島で、ダイニングは西京極です」。
こちらも、トントン。
「最初は、京都で2~3店舗できれば、それでいいかなと思っていました。まさか、東京でなんて思ってもなかったですね笑」。
たしかに、気になるところだ。なぜ、京都ではなく、東京なのだろうか?
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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