2022年10月11日火曜日

株式会社YUNARI 代表取締役社長 小嶋 健氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社YUNARI 代表取締役社長 小嶋 健氏登場。

本文より~

目標はサラリーマン以外。

小嶋氏は1978年6月15日、母方の実家がある島根県の浜田にて生まれる。父親の仕事の都合で香港でも暮らし、千葉県の柏市に移り住んだのは幼稚園の頃。
「父親は典型的なサラリーマンです。私はひょうきんな性格だったんですが、子ども心にはもうサラリーマンになりたくないと思っていた気がします。小学校の頃のビジョンは社長。中学ではコックです」。
中学の頃には、興味本位でお母さんの料理を手伝っていたそう。
お母さんの手料理でいちばんは?とたずねると、「母は料理が上手で、なんでもおいしかったです。なかでも具材からつくる春巻きがいちばん」という返答だった。
料理に興味があるとは言ったが、中学生活は部活動メイン。
「卓球をやっていました。当時はまだマイナーなスポーツです。予選はいけるんですが、県大会ではかなわない、そんなレベル。中学では副部長。高校では部長になります」。
病気がちな母親のお世話もしていたというから偉い。高校3年にはコンビニでアルバイトもしている。目標はサラリーマン以外。コックは第一候補。

3人のお兄ちゃん。

「コックがいちばんの目標でしたから、武蔵野調理師専門学校へ進学します。専攻は、母がつくってくれた春巻きの影響もあるんでしょうね、中華です。卒業後は、マスカレードホテルの舞台になったロイヤルパークホテルに就職しました」。
「ホテルは、給料はいいとはいえませんが、労働環境は飲食のなかではピカイチです。ただ、当時はみなさんのご想像通り、上下関係がきびしくて、私ら新人は仕込みばかりです」。
以前、複数の料理人から「フライパンで叩かれた」という話を聞いたことがあるが、イメージとしてはそんな感じ。
「そう、そこまではなかったとしても、当時は、そういう世界でした。ただ、そのレストランには先輩は先輩でもフレンドリーな人が3人いて。私は、その人たちの仲間に入れてもらいます。社会人になってからのお兄ちゃんたちです」。
小嶋氏を入れて4兄弟。いちばん上と言っても7つちがい。青春ドラマのような、楽しい時間だったのではないか。
「楽しいだけじゃなく、いろんなことを勉強させてもらいました。3番目の兄、小林さんとは、それからも濃い関係が続きますが、人との付き合い方はすべて小林さん譲りです(笑)」。

職人の世界は、きびしい。

「5年間、務めたわけですが、だんだん、このままでいいのかと将来に不安を感じます。たぶん、そういう年代だったんでしょうね。つぎに六本木ヒルズにある会員制のレストランに転職します」。
ホテルのレストランではなかなか経験できない仕事をもとめての転職だった。
「でも、そういうところには、町場のレストランでやってきたような人もたくさんいるんです。ホテルでは経験できなかった辛辣な言葉を投げかけられます」。
素直に頭を下げても、何もかわらない。職人の世界は、やはり、きびしい。
「精神的にかなり参りました。今私が従業員にちゃんと向き合うのは、あの頃があったからかもしれません。ああいう経験をしているからこそ、従業員を幸せにすることが、私のミッションだと心から思えるんです」。
精神的にも参ったが、金銭的にもダメージを受けた。リーマンショック。「年収が400万円から300万円に下がります」。踏んだり蹴ったり。
「でも、これがきっかけになってTETSUに転職するわけですから、今思えば、いいきっかけになりました」。話はいよいよTETSU時代に。

つけめんTETSUへ。

きびしい環境の下でも、小嶋氏は5年間、勤務している。リーマンショックがあったのは、コックとしての力量も、自信もついてきた頃。「そうですね。そのままつづけていく選択もあったわけですが、年収がいきなりマイナス100万円ですから。このままでは生活もままならない」。
それで、TETSUに転職されたわけですか?
「じつは、TETSUには先に小林さんが入社していたんです。当時、料理人って休みの日に別のお店で勉強をしに行くケースが多くて。その時は10日くらいTETSUで働かさせてもらったんです」。
転職前提だったかもしれない。
「まだ4店舗くらいの時。創業まもなく入社した先輩の小林さんがコアメンバーというか、みんなの真ん中に立っています。熱気むんむんってやつですね。全員が真剣勝負で仕事をしている。これはいい加減にはできないぞ、と」。
今まで感じたことのない熱量が伝わってきた。それに惹かれるように、入社する。もちろん、その時は、まさかその会社のトップになるとは1ミリも思っていない。
「給料がさらにガクンと下がりました笑。確か当時は手取りで16万円あったかどうか。結婚もしていましたし、子どももいましたから、さすがに生活ができない。父親に頭を下げ月々5万円借りてました。それでもカツカツです」。
たしかに、16万円はきつい。
「ただ、だからといって中途半端にはしたくなかったんです。それだけみんな真剣でしたし。ただ、創業者の小宮さんが、いろんな仕事にチャレンジさせてくれたおかげで、仕事はむちゃくちゃ楽しかったです笑。レストランのコックが、ラーメン店で、と、陰口を叩く人もいますが、まったく違います」。
たしかに、ラーメン店は、ライブだ。熱量が店内に充満している。スタッフはもちろんだが、お客様も真剣にラーメンという一杯の料理に向き合ってくれている。
「妻には迷惑をかけました。何しろ、当時の弊社は安月給ですし。そのうえ、一切、家事は手伝えないと宣言して、実際、遅刻したくないので、当時から今でもずっとリビングで寝るようにしています」。
子育ても奥様任せ。生活が多少好転したのは、4ヵ月目から。給料明細をみて、店長代理に昇格したことがわかったという。「店長代理になると歩合が加算されるしくみでした。それで月30万円くらいになってひと息つきます」。
ただし、家庭は顧みない。正しくは、顧みることができない。

・・・続き

株式会社YUNARI 代表取締役社長 小嶋 健氏

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