in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社カオカオカオ 代表取締役 新井勇佑氏登場。
本文より~あこがれは、ドクター。
学生時代は頭がいい方だと言われていたらしい。もちろん、成績はオール5。女の子にも人気だった。好きな子が同時期に5人いた時もあったが、それぞれの好みに合わせた男子を演じていたらしい。恋も戦略で成就させる、そんな幼少期。
父親は高校時代、全国の建築コンクールで3位に入賞。大手建設会社からのオファーを受け、以来、そちらで建築畑を歩まれている。そんなエリートの父親だが、父親から「勉強しろ」と言われたことがないらしい。むしろ、好奇心を持ったものには、自由に取り組ませてくれたそう。
ユニークな話が一つ。
「ふつう子どもがつくるといったら、プラモデルだと思うんです。でも、あれはパーツをくっつけるだけ。うちの場合は、五重塔なら、塔を設計するところからスタートするんです」。
なるほど、建築家の教育はちがう。
新井氏は自身の人間形成に、父親の教育がもっとも影響しているという。
新井氏が生まれたのは、1984年。池尻大橋に生まれ、3歳で町田へ引っ越している。小学校は地元の公立小学校だが、中・高は、「攻玉社」に進んでいる。
「ぼくから言い出したんです。受験させて欲しいと」。
「攻玉社」といえば、150年以上もつづく、有名な進学校。卒業生は総理大臣から学者、宇宙飛行士まで、多士済々。むろん、受験は新井少年にとっても高いハードル。
どうして、険しい道を選択したんだろうか?
「小学2年生の時に盲腸になります。体質的に麻酔が効かないなかでの手術だったんですが、その痛みより、手術をしてくれたドクターがカッコよくて。それで、ぼくも、あんな人になりたいと思います」。
それで、選んだのが「攻玉社」?
「そうです。医学部志望の生徒もたくさんいますし、東大は当然。それ以下は、負け組という学校です。ただ、この学校も、父親といっしょで勉強しろとは言わない(笑)」。
記憶にあるのは、20キロの遠泳や、30キロのマラソンなど。マラソンでは先生の目を潜り抜け、タクシーで快走していたそうだ。
臨床心理学と、飲食。
「最初は、いいほうだったんですが、だんだん成績が下がり、最後は下からうん番目。もちろん、めざすのは医学部です。ただ、不合格。かなり高いカベを知りました。でも、白衣は着たい(笑)」
それで臨床心理学ですか?
「そうです。『臨床心理学』という比較的新しい分野に挑戦します。おなじやるなら、大学のブランドをすて、トップになれる大学に進みます」。
それが帝京平成大学ですね?
「そうです。創立も新しく、たぶん、トップ層での合格です。大学では自由を謳歌します。卒論を認めていただいて、大学院にも進みました。ただ、研究者タイプではなかったんでしょうね。どこかで、『違う』と思いはじめます」。
どこがどう違った?
「仕事をつづけるという意味で、NOだったんだと思います」。
それで、真逆の職人気質の世界に飛び込んだんですか?
「職人の世界のなかでも、飲食に進んだのは、もともと父親が美食家で、ぼくも利き蕎麦ができるくらい、繊細で敏感だったからです。もちろん、飲食の世界に入ったのが26歳だったので、今から職人は無理です」。
ただし、という。
「大学や大学院で専攻した心理学や、昔から得意だったマーケティングやコミュニケーション、またマネジメントのスキルを掛け合わすことで、飲食の世界に、また職人という世界に、何か新しいイノベーションが起こせるんじゃないかと思ったんです」。
新井氏は「存在意義」という言葉を遣う。
「鶏口牛後」ではないが、どうすれば、自身の存在意義を明確に示せるかを、冷静に分析し、その確度を高める道を進む。飲食の世界も、その一つだったに違いない。
天才に出会う。
新井氏が天才というのだから、飲食の世界に棲む大天才ということになるんだろうか?
新井氏は、たまたま縁がって「旅人食堂」「ニライカナイ」を運営する有限会社コパアミューズメントに就職する。同社では、運営や戦略の立案など経営的な業務を行っていたそうだ。
そのコパアミューズメントの社長が、新井氏がいう大天才。とにかく、ヒットを連発する人だという。「真似ができない。いうなら、カリスマですね。今は、沖縄で仕事をされているはずです」。
このコパアミューズメントでタイ料理にハマるんですね?
「そう。研修でタイに行くんですが、衝撃的でした。日本で食べるのとはまったく違います」。
雑多、喧噪。
ガチャガチャと食器が音を立てる。意味不明な言葉が頭上でシャッフルする。後方で、ブルブルというのは、バイクの音。
「そういった日本にはない世界観ですね。そういったものも含め、惹かれてしまいます」。
ちなみに、日本で一般に食べられているのは、タイの王宮料理。新井氏によれば、王宮料理はフランスなどヨーロッパにルーツがあり、どちらかというとソースが決めてとなる濃い味。逆に屋台料理は中国から伝わったあっさりした薄味だそう。
「ぼくが、食べたのは屋台料理です。テーブルには、知らない人がいる。料理もフリー。飾らない世界で、これぞ、タイの食のカルチャーだ、と」。
大天才とはちがうが、ひらめきがあった。
「日本にはないタイ料理と、日本人の居酒屋文化の融合です。もちろん、ぼくはロジカルに物事を進めるタイプなので、飲食店の視察や調査も念入りに行い、ロケーションにもこだわりました。そして、2014年、『タイ料理×居酒屋』がコンセプトの『タイ屋台999』を東京・中野に出店します」。
パクチー鍋、TV局を動かす。
「創業店は12坪で32席です。ロケーションにこだわったと言いましたが、家賃も比較的安い路地裏で、隠れ家的なイメージがわく、ロケーションに出店します」。
資金は父親の退職金ほか。出資金をお願いした時に、ご両親はすぐに了解してくださったそうだ。
「当初は、400万円くらいの月商を見込んでいたんですが、半分くらいしかいかない。お客様がいらっしゃらない時もありました。性格的に焦るタイプじゃないんですが、もちろん、何もしないわけにはいきませんし、逆に課題が明確だったので、あとは解決するだけ。そういうのは、大好きですからね」。
----------戦略① 奥様が民族衣装を着る。
「まずは、知ってもらわないといけないので、妻に民族衣装を着てもらって、ビラを配ってもらいます。駅と、キリンビール本社前。ビールメーカーの人は、飲食店の利用率が高いんです。もちろん、1度来店いただけばリピートしていただける自信あったからこそ、できた戦略です」。
----------結果① 200万円前後の売上が300万円をオーバーする。
----------戦略② 平日の週末化。
「つぎに、週の売り上げデータから、平日の週末化を狙った動きを開始します。9日、19日、29日は『カオマンガイの日』に設定。パクチーブームの到来で2日、8日、9日をパクチー食べ放題の『パクチーの日』に。つまり、平日にも『週末のように楽しめる時間』をつくりだします」。
----------結果② 連日、満席。月商は400万円をクリアする。
----------戦略③ マスコミを動かせ。
「毎日、満席になるんですが、まだ、中野の人だけなんですね。東京から人を連れてくるために、マスコミを利用します。その仕掛けのためのコンテンツが、パクチー鍋です。SNSでアナウンスしたら、狙い通りTV局が動いてくれました。そのおかげで、狙い通り中野以外からも集客することができたんで、じゃぁ次は東京のど真ん中だと、新宿三丁目に2号店を出店します」。
----------結果③ 中野以外のお客様の集客に成功する。
すでにと言っていいだろうか、「タイ屋台999」は、タイ料理のスタンダードになっている。むろん、このブランドコンセプトはぶれない。だから、料理もけっして日本人の味覚に寄せないという。この潔さもまた、新井氏が設計した、飲食のデザインの一つだろう。
2022年8月現在、6店舗を展開。一つひとつに出店の意味がある。コロナ禍の下でも出店を行っている。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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