in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に 株式会社REBEL 代表取締役 堀場健太氏登場。
本文より~
野球と、堀場少年。
堀場さんは1989年東京の町田市に生まれている。ご両親とも仕事をされていたこともあって、鍵っ子だったそう。日大三高で野球をされていたお父様の影響もあったんだろう。堀場さん自身も小さな頃から野球をしている。サードやセカンドが定位置。
「小学校から甲子園に出場することが目標だった」という。高校は駒沢大付属高校に進んでいる。目標は甲子園。ただし、東京でベスト16が最高とのことだ。
1年時、野球部には70人くらいが入部したが「1週間で20人になった」と笑う。厳しい練習についていけない選手もいた。かなわない選手をみて退部を選択した部員がいたかもしれない。
堀場さんは最後までつづけている。「リタイアは、ダサいと思っていた」そう。レギュラーにはなれなかったが、試合に出る、出ないではなく、自分で決めた道を簡単に諦めるようなダサい人間になりたくなかった。才能はなかったがやると決めた時の覚悟なら負けない。
「父親は広告代理店を経営していましたが、リーマンショックの時に倒産し、今は町田でバーを経営しています。私が大学1年生の時で、『大学を辞めたほうがいいか』と母に相談したところ、つづけなさいと諭されました」。
だから、奨学金だけではなく、アルバイトにも精を出した。これが、今につながっている。
こころざしは、飲食で独立。
「大学は駒沢です。進学はエスカレータですが、学力順に学部が決まります。現役時代は600人中500番台だったんですが、引退してから成績がグングン上がって最終的には100位以内に入り法学部に進んでいます。大学時代はアルバイト中心でした。今まで野球漬けでしたから、アルバイトも初めて。最初にアルバイトをしたのが町田商店(現ギフト)さんでした」。
1号店だったというから、面白いに決まっている。
「ほかには、沖縄料理店でもはたらきました。ニライカナイというお店です。社長は山岸雄人さん。カリスマ社長です。こちらでは、株式会社カオカオカオの新井勇佑さんもアルバイトをされていました」。
広いようで、飲食の世界は狭い。新井勇佑さんにも、「飲食の戦士たち」にご登場いただいている。新井さんも「ニライカナイで天才と出会った」とおっしゃっている。堀場さんがいうカリスマ社長、山岸雄人さんのことだろう。
「大箱のチェーン店舗、個人店、中堅企業、上場企業と経験できたのは財産になっています」。
大学を卒業した堀場さんはGlobridgeに就職している。実は、Globridgeの社長である大塚誠さんにも「飲食の戦士たち」に登場いただいている。その時のインタビューで大塚さんはGlobridgeの目標は企業家の育成と輩出だとおっしゃっていた。
堀場さんも「条件とかはどうでもよかった。外食ベンチャーで、かつ成長できる環境かどうかでGlobridgeを選択した」といっている。正反対からみているが、両者の狙いは一致している。
2人の思いはどのようにして交差するんだろうか。
新入社員、6月に海を渡る。
「当時、Globridgeは3年で独立を謳っていました。私たちが新卒3期目で、同期は130人程度です」。 大量採用ですね?と聞いてみた。 「そうですね。大量採用だからなんとか目立たないといけない(笑)」。 たしかに、130分の1のママでは先がない。 「私が入社してすぐに、海外で新規事業がスタートするといったプランが明らかになります。新卒にもチャンスをいただけたので、すぐに立候補しました。立候補したのは年次に関係なく50人くらい。そのなかから4人が選ばれ、その4人のなかに残ることができました。だから、4月に入社して、6月にはシドニーです」。 堀場さんと、堀場さんの同期、2年目と中途採用者の4名がシドニーに渡っている。海外事業の推進と、それを行うことでの英才教育が開始されたといっていい。 「シドニーでは4人で暮らします。私にとっては初海外でしたし、語学が得意ってわけじゃない。選考では、話をもりにもって(笑)」。 ただ、もりにもったのは、堀場さんだけじゃなかったようだ。 「海外での経験はもちろん、新たに事業をスタートさせた経験なんてだれにもありませんでした。すべて手探りです。海外戦略のため立ち上げた『ふじやま製麺』といううどん業態を開始します。 ただ、右も左もわからない。文化、商習慣、好み。試行錯誤の連続です。今は、弊社に譲渡いただき月商1500万円くらいを叩きだしていますが、スタートした頃は、1日の来店数は30人くらい。月商は200万円にも届きません」。 右も左もわからない。ただっ広いオーストラリア。観光ならコアラも笑ってくれるが、ビジネスでは、そうはいかない。
片道切符と、オーストラリアでの事業と。
4人に渡されたのは片道切符。早々と1名が抜けている。逃げ出すのはかっこ悪いという思いと、挑戦できる環境を与えてくれた大塚さんへの感謝の思い。そして結果を出して恩返しをしたいという思いが強くあった。だから堀場さんは離れない。 「お寿司やうどんっていう日本食のカテゴリーに興味はあっても、やはりオーストラリアは肉なんですよね。日本とおなじでは、うまくいかないことに気づきます」。 ショップはフードコートの一角にあった。オーストラリアの人々が、『ふじやま製麺』を通りすぎる。 「どうすればいいか。メニューをカスタマイズしていきます」。 堀場さんが、その『ふじやま製麺』を買い取らせてもらったというのは、入社して、つまり、オーストラリアにきて7年目のこと。すでに書いたが、現在は月商1500万円というモンスターショップだ。 「社長の大塚さんからもいろいろなアドバイスいただき、『ふじやま製麺』とは異なる新ブランドもリリースします。それが、日本でも出店しているKen-Chan Curryです」。 チキンカツカレーがメインメニュー。チキン、つまり、肉がオーストラリア人の嗜好にフィットする。 「コロナでいったん日本に帰国します。現在、日本で2店舗、オーストリアで4店舗展開しています」。 「ふじやま製麺(Fujiyama Noodle Bar)以外は、すべてKen-Chan Curry(日本ではケンちゃんカレー)だ。試行錯誤の末に生まれ、オーストラリア人の胃袋をつかまえた新ブランドである。今後、日本ではこのケンちゃんカレーをフランチャイズで展開していくとのこと。ただし、堀場さんの事業のメインとなるフィールドは海外。片道切符はまだにぎりしめたまま。
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