in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社浅野日本酒店 代表取締役 浅野洋平氏登場。
本文より~
日本酒を飲むバーがある。
大阪市北区太融寺に日本酒好きがつどう「浅野日本酒店UMEDA」がオープンしたのは2014年のこと。創業者は酒どころ新潟生まれの浅野洋平氏。酒販店だが、浅野日本酒店にはいつものサイズの瓶がない。
「うちは、四合瓶のみで、一升瓶をおいてないんです笑。オープンした頃は『なんや、一升瓶、ないんか』って叱られましたが、今は、『鮮度がいい』などという理由で、逆に四合瓶が喜ばれています」。
浅野日本酒店は「純米酒専門店」でもある。ちなみに純米酒とは、醸造アルコールが入っていないピュアな日本酒群を指す。
「じつは、普通酒や本醸造酒など日本酒全体の消費量が落ち込むなかで、純米酒は堅調に推移しているんです。これは、飲み手が純米酒の持つピュアさ、尊さに気づいたからだと思います」。
白ワインのようにフルーティな日本酒もある。豊饒な香りは、太古の昔の宴を連想させる。ちなみに、浅野日本酒店には、酒好きのためにバースペースも用意されている。 日本酒と日本酒にピッタリのアテ。しかも、ほとんどすべての銘柄をテイスティングできる。日本酒好きにはたまらないスペース。もちろん、日本酒デビューもここなら間違いない。
さて、ショップの話はこれくらいにしていつも通り、創業者の人生を追いかけてみよう。
進学先は、北海道大学。
浅野社長が生まれたのは、1975年1月6日。4人兄弟の長男。
「父親は、もともと三菱自動車で勤務していたようですが、のちに独立し、便利屋のような仕事をはじめます。私が、今、起業しているのは、そんな親父の影響も少なくないような気がします」。
子どもの頃の話を聞いた。
「親父が毎日飲んで、うちにもなかなか帰ってこない人だったので、我が家は、いわゆる放任主義でした。勉強はそこそこできて、運動はからっきしだめな少年でした笑」。
だめといっても、スポーツは大好き。ただ、出来はイマイチだったらしい。小学校では野球、中学はバトミントン、高校で再度、野球。やるにはやったが、結果はでない。
ただ、頭はいい。だから、高校も県内一の進学校。大学は、新潟から離れた北海道。
北海道大学に進まれたのは、何か特別な理由があったんですか?
「いえ、うちから出たかったことと、偏差値がちょうどそのあたりだったからです」。
淡々と「北海道大学」と言えるところがすごい。
「ただ、目的がなかったから、バイトに主軸を置いちゃったんでしょうね」と浅野社長。
どういうことだろう?
ミスタードーナツ、黄金期。
「じつは、大学2年からミスタードーナツでアルバイトを始めて。ちょうどその頃のミスタードーナツは黄金期で、年間100~200ショップが新たにオープンしていた頃なんです。バイトでも、そういう時期だからか、むちゃくちゃ楽しかったです」。
大学生ということも忘れるくらいに?
「そうですね。アルバイトリーダーでしたし、仕事そのものに惹かれます。大学生活を一口にいえば、サークルとミスタードーナツのバイトです。ただ、3年からは大学にも行っていませんし、4年で退学して、ミスタードーナツに就職します」。
思い切った決断ですね?
「ですね。でも、それから17年のミスタードーナツの人生がスタートするんです」。
最初に配属されたのは、埼玉。
「埼玉からスタートし、首都圏のショップを転々とします。埼玉、横浜、西葛西、市川、大森、そして、山形に異動して、初めて店長を務めます。出店も少なくなかったんですが、人材も豊富にいた時代。なかなか店長のイスはあかなかったんです笑」。
その後、本社に異動され、大阪というわけですね?
「山形から大阪の江坂です。こちらでは、商品開発を担当します。これを10年くらいつづけました」。
合計17年。ミスタードーナツといえば、「ポン・デ・リング」が印象的だが、そうした商品の開発にも参加されていたんだろうか?
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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