in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社総合近江牛商社 代表取締役 西野立寛氏登場。
本文より~
注目の成長企業「総合近江牛商社」。創業者は鹿児島県出身の西野立寛氏。
「総合近江牛商社」は「近江牛を世界へ」という理念を掲げ、幅広い事業も展開している。コアとなるのが、飲食事業。ブランド名は「近江焼肉ホルモンすだく」。
2019年の創業以来、コロナ禍に関わらず異例のスピードで出店をつづけ、2023年1月現在で早くも40店舗ちかい店舗を出店しているから驚きだ。
代表は鹿児島県出身の西野立寛氏。1991年、生まれの若き経営者。
昔から勉学に秀でていた西野氏だが、「ラ・サール学園はしっかり落ちました」と笑ってみせる。もっとも父親の転勤で、京都に移ったあとは、京都でナンバー1の「洛南高校」に編入しているのは、さすがの一言。 「子どもの頃は、運動も勉強もできるほうでしたし、頭は悪くないと思っていましたが、洛南には天才がたくさんいて」。
特別な存在じゃなくなった?
「そうですね。奴らといっしょにいると、たいていの人がそうなるんじゃないかな笑」。
好奇心旺盛な性格で、中学まではパイロットをめざしていた。
「目が悪くなって断念しなければいけなくなって、そのあとは、父親が京セラのエンジニアだったからではありませんが、エリートサラリーマンに憧れました。稲盛和夫さんの影響も受けていたように思います」。
中学では吹奏楽部。
「かわいい子がいたから」と、かわいいことを言う。
5年間の大学時代と、世界一周の旅と。
「第一志望は京都大学でしたが、ラ・サールの時と同様で、立命館大学に進みます。実は、就職は船井総研なんですが、こちらも第二志望。第一は外資のデロイトトーマツでした」。
第一希望も、第二希望も、こちらからすれば、いずれもエリートの道に変わりがない。
「デロイトが第一希望だったのは、外資を経験してみたかったからです。ただ、最終的には船井総研でよかったと思っています。とても、いい勉強をさせていただきました」。
船井総研には、何年いらっしゃったんですか?
「合計3年です。その時、担当していたのが外食で、それが今につながっています。外食を担当したのは、サービス業に関心があったから。実は学生時代、結婚式場でアルバイトをしていて」。
西野氏は学生生活を5年送っている。その間アルバイトは、基本結婚式場。感動に包まれる仕事だったらしい。ただし、卒業まで5年かかったのは「アルバイトにハマったから」ではない。3年時に1年間、世界を一周していたからだ。
韓国からのスタートだったらしい。世界は広い。この旅もまた西野氏の、今の心の骨格をつくっている。
人口16万人の苫小牧で、年間60万人が来店する金剛園。
「かなりのハードワークだった」と、船井総研時代を笑って、そう表現する。「もちろん、それが今の私の力になっているわけですから感謝ですが、今じゃ完全にアウトです笑」。
それだけ、濃い時間を過ごされたんですね?
「行動半径も広かったです。私は、大阪で勤務していたんですが、関西だけじゃなく、北海道から沖縄まで担当していました」。
北海道まで?
「そうです。でもそれがきっかけで、ある会社と出会います」。
どんな会社ですか?
「『金剛園』という焼肉店です。『金剛園』は1985年創業の、苫小牧本店の焼肉店。人口16万人の苫小牧で、年間のべ50万人が来店するんですからモンスターです。専務の須藤さんと仕事を通して知り合い、親睦を深めさせていただきました」。
むろん、コンサルタントとしてサポートするのが、西野氏の仕事。
「依頼はWEBマーケティングのサポートだったんですが、逆に私が勉強させていただきました。今、うちがあるのは、須藤専務のおかげ。実は今も、須藤専務には勉強させていただいています」。
マーケティングや、ファイナンスは西野氏の得意分野。むろん、コンサルタント業にも面白みは十分に感じでいたが、リアルな経営者の姿にはかなわなかったのかもしれない。
西野氏は、経営者として新たな道を進むことになる。
リアルすぎる、屠畜の世界。
「銀行に事業計画書を出したら、通った」と、西野氏。ファイナンスは得意分野。コンサルタントが作成した事業計画書に対して、銀行は2000万円を融資する。
「船井総研を2018年12月末に退職します。牛を極めたくて、実はそれ以前から、アルバイトですが『滋賀食肉センター』で近江牛の屠畜に従事しました」と西野氏。
流通のしくみも含め、研究にも没頭。
コンサルタントは口先だけではない。なにをすべきか。その意味も含め、深く知り尽くしている。一方、どれだけの独立希望者が、このプロセスを踏むことができるだろうかと思ってしまった。
結局、誰でもない、西野という人間がやるしかなかったというのも、独立のきっかけかもしれない。
さて、実践派のコンサルタントがつくった飲食店は、どうなっていくんだろう?
門馬西野氏は「最初から仕入れをするのが目的ではなかった」と言っている。「屠畜に従事したことで、流通から、解体、廃棄も含めて、今まで知らなかった世界をみた」とのこと。その結果、組合員と認められ「直接、仕入れる権利を獲得できた」という。これは、ほかの焼肉店にはない、強烈なストロングポイントだ。
ちなみに今現在、社員にも屠畜を経験させているらしい。命の尊さを知ることもまた、経験すべきことの一つ。
さて、西野氏の戦いは、今からが本番。屠場で経験を積みつつ、2019年1月、創業店を滋賀県の守山に出店する。
「銀行からの融資のうち1000万円程度をかけて、守山に『近江焼肉ホルモンすだく』をオープンします。食いっぱぐれのないように、まずは、土地勘もある守山でスタートします」。
19坪、28席、損益分岐点は250万円。
「ファミリーで来店いただいて1万円でお釣りがくる、というイメージです」。
いかがでしたか?
「今までとは違ってリアルな世界です。オペレーションがぜんぜんだめで最初はクレームの嵐。それでも安価な価格帯でカバーできたんだと思います。オープンから、お客様がたくさんいらして。それがまたクレームを生むわけです笑」。
後に奥様になられる、当時の彼女と、お母さま、弟さん、まさにファミリー経営。オペレーションに関しては素人だったが、お客様は容赦がなく来店を重ねる。旨くて、安いと口コミもとまらない。
結果、損益分岐点を軽々オーバーする月商700万円。
「勢いにのって、4月に近くの栗東に2号店をオープンします。駅前のロードサイド。でも、守山と同じわけにはいきませんでした。初月が100万円。全くの赤字です」。
やばい。これはリアルな世界の話。
「もちろん、最初はどうするか、となりましたが、半年後には創業店と同等までアップしましたので、ホッとひといきです」。
改めて「すだく」と、西野氏の力を示すことになった。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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