in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社G-vision 代表 伊藤穣二氏登場。
本文より~少年の野望。
今なら大問題だろう。本人もそう言っている。
「小学3年生の時に先生に怒られ、倒れた拍子に骨を折ってしまいます」。犯人の名は今でも記憶しているようだったが、ここでは伏せておく。
「そのことがあって小学5年生から越境で、日本橋の学校に転校しているから余計に忘れられないんだと思います」。
十分な謝罪もなかったというから、ひどい話だ。
父親は貿易関係の会社に勤めていて、1年の4分の1は海外勤務だったそう。「父親が向こうにいるので小さい頃は東南アジアによく行っていました。そのおかげか、私以外のきょうだいは英語をしゃべれるんですが、なぜか私は日本語一択です笑」。
小さい頃から食べることが好きだったというから、東南アジアのエスニックな料理も堪能したことだろう。もちろん、母親の料理も大好きだった。
「食べるのは大好きだったんですが、当時は今みたいじゃなく、痩せていました。剣道をやっていて体を動かしていたからかもしれませんね」。
「勉強はできなかったな」と笑う。「オール2とか」らしい。好きな教科は美術と歴史。特に目立つわけではなく、大人しい子だったそう。
だが、その大人しい少年には、小さな野望があった。
「実は、小学生の頃から焼鳥屋さんになりたいと思っていたんです」。
小学生で焼鳥屋ですか?
「西船橋にある焼鳥屋さんで食べた『つくね』がもうおいしくて笑」。
焼鳥屋になれば、旨いつくねが山ほど食べられる。これが、少年が抱いた野望だった。
バイト代=酒代。
「妹は大学院まで行ってMBAも取っていますから頭は悪くないと思うんですが、私は何しろオール2でしょ。高校は通信制で9月に入学しています。先輩から『高校は出ておけ』と諭されて。でも、3年で卒業のはずが5年かかっています。バイトばかりしていましたから」。
鶏肉が好きだったから、バイトはケンタッキー。カーネル・サンダースさんが聞いたらきっと大喜びされるはずだ。
「3年つづけました。ほかにもそうですね。道路にラインをひく、あの仕事もしていました」。
「バイト代は、すべて飲み代に消えた」と笑う。
飲むのも好きで、食べるのも大好き。メニューでいちばんは鶏料理。
「高校を5年かけ卒業して、いったん焼鳥屋さんに就職します」。
既定路線ですね?
「そういえば、そうですね。ただ、社会保険もなかったので、ある会社の食堂に転職します。でも、ぜんぜんつまらなくて、半年で退職してしまいます」。
ところで料理はどこでマスターされたんですか?
「小さい頃の話ですが、うちで料理を作ると、みんなが美味しいと喜んでくれる、それが嬉しくて。だから技術より先に料理の楽しみを知りました。技術的なことでいえば、最初に就職させてもらった焼鳥屋ですね。あそこで教えていただいたことが今のベースになっています」。
その後、前職の会社に入社されたのは、食堂を辞めてからですか?
「そうですね。キャバクラの店長から誘っていただいて笑」。
その会社とは、「飲食の戦士たち」でもご紹介している会社で、創業は2008年でその1年後に法人化している。
「私が入社したのは創業期で、飲食店2店舗目をオープンする時に、店長を任せていただきました」。
メニューの開発も伊藤氏のミッション。
「業者の窓口とかも全部やってたのでめちゃめちゃ勉強になりました」。小さい頃から他人に喜んでもらうのが好きだったから、お客様の笑顔を見たくて頑張ったのかもしれない。だが、人間、頑張りすぎはよくない。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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