2023年6月6日火曜日

株式会社BIRCH 代表取締役 高橋光基氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社BIRCH 代表取締役 高橋光基氏登場。

本文より~

少年時代の高橋氏。

高橋氏は1994年1月28日、千葉県の大網白里市で生まれる。
九十九里の隣町といえば、想像がつくだろうか?
「姉弟より、友だちと一緒にいるほうが多かったですね。みんなと一緒にゲームをするのが楽しみでした」。
そのゲームは、高橋氏がルールを決めていたそうだ。「あの頃は、ゲームのルールをつくるのが好きでした。どうすれば公平にみんなが一緒に遊べるんだろうかって、真剣に悩んだりして笑」。
早くからパソコンにも興味があったそう。
「姉もいたんですが、中学生に上がり、思春期になると女の子を意識してか女子と話をすることもできなかったです」。
思春期の、あるある話だが、今の高橋氏をみていると意外に思える。
ただし、アウトドアというより、インドアだったのは事実だったようで、高校に進学し、入部したサッカー部も半年でリタイアしている。
庭で飛び跳ねていた少年時代からは想像しにくい。ただし、運動ができなかったわけではない。体操選手のご両親から、ちゃんと運動能力も受け継いでいる。
「高校になっても友だちと遊ぶことが多かったですね。じつは、今、うちの部長の松本も、その頃の仲間の一人で、中学からの付き合いです」。
松本氏だけではなく、高校時代の友人も、今、いっしょに仕事をしている。ただ、いたずらに遊ぶのではなく、縁は、深く、結ばれていたようだ。

東京とオーストラリアと中古のベンツと。

「あの頃は、将来いっしょに仕事するなんて思ってもいません。私自身、何をすればいいのか、わからない年頃ですから。私は、高校を卒業して1年、実家の仕事をします。仕事といってもアルバイトのようなもんでしたが」。
この頃までは、どこにでもいる青年。ただ、自分を試したいという思いは人と比較し強かったかもしれない。
「1年、実家で働いたあと東京にでます。東京に近いと言っても、やっぱり大網は刺激が少ない笑。それに、まだ若いですから、『ちからを試してみたい』と。若い頃の動機ってそれで充分でしょ」。
東京に進出した高橋氏は、「中央線がいいかなと思って阿佐ヶ谷で暮らし始めた」と言っている。
19歳、あてないなかで、どんな仕事をされたんだろうか?
「飲食をサポートする、マーケティングというか、営業の仕事ですね。収入も悪くなかったですし、人のしぐさをみたり、心を読んだりして。人を動かす仕事だったからこそ、学べるものも大きかった気がします」。
「この仕事は22歳までつづけました。トップクラスの成績も残せましたから、自信もつきました。ゲームといっしょだというとヘンですが、私のなかでルールをつくり、そのルールに則って仕事を進めることで成果がでる。子どもの頃からゲームをつくるのが好きだったことが、ここにつながっているように思います」。
この頃から高橋氏は、強烈な個性を発揮し始める。ゲームの主人公に躍り出た感じ。ただし、22歳になった高橋氏は、新たなゲームにチャレンジするための充電期間か、仕事を離れ、メルボルンに向かった。
「カナダか、オーストラリアかで迷ったんですが、オーストラリアに2ヵ月くらいですが、学校にも通いました。仕事は食品の卸。1年間、向こうにいたんですが、残り半年で、オーストラリアを半周しました」。
向こうでは中古のベンツを買ったそう。オーストラリアの広い道を中古のベンツが駆ける。

S.H.N、入社。

オーストラリアに行って心境の変化はありましたか?
「そうですね。さみしくなったわけではないんですが、周りの人といっしょに仕事がしたいと思うようになりましたね」。
S.H.N株式会社に入社されたのは、帰国後ですか?
「前職で知り合った、格闘家の山本有人さんから誘っていただいたんです」。
当時はまだ、赤坂と神田に2店舗あったくらいだったそう。
「何ができるかより、『どこまでできるか』、それが私のテーマ。髙橋さんの下なら、自分のちからをトコトン試すことができると思ったのが、いちばんの志望動機です」。
飲食にもルールがある。利益を管理するならF/Lコストもルールの一つだし、売上でいえば大箱、小箱も一つのルールとなる。そのルールのなかで、何を実現するか。
「ゲームっていうのは、トライアンドエラーです。それを繰り返すなかで、攻略方法がわかってくる。経営もある意味、同じです。ただ、決められたルールに従っているだけでは、つまらないと思います。自分でルールをつくることで、ゲームそのものを支配することができる。私が起業するに至った理由の一つです」。
高橋氏は、北海道エリアの開拓に奔走したという。

完璧よりも時間を意識する。

「今、いっしょに事業をしている松本とは神田の街で偶然すれ違います。松本は当時、防水工事の仕事をしていて、たまたま神田に現場があり、千葉から来ていたそうです。仕事中なので、作業着でしたね笑」。
それで、誘われたんですか?
「そうなんです。いっしょにやろうというのは、もう少しあとですが、偶然、出会ったことで、2人はまたつながります」。
松本氏とは、中学時代の旧友で、ともに創業したメンバー。現在は、部長職に就かれている。
起業されたのはいつですか?
「私が25歳の時です。北海道にいた時に決心します。登記は東京ですが、事業をスタートしたのは札幌と名古屋です。名古屋では、私の部下が一足早く、事業を開始します」。
東京からすれば、札幌も、名古屋も遠い。しかし、高橋氏のなかでは距離は問題じゃなかったのかもしれない。「そのあと、すぐに、大宮と海浜幕張にも出店します」。
スケールも、スピードも尋常じゃない。
創業からわずか18カ月で、北海道から愛知まで5都市5都道県に、様々なブランドを15店舗展開していることからも理解いただけるだろう。
取材時間の関係で、このスピードを生み出す原動力がどこにあるのかまでは聞きだせなかったが、答えのヒントは、ホームページに掲載されていた。
------Value----の項目4、「スピード」に次のように書かれている。
「1日にどれだけのアクションを起こせるか、失敗も成功も早い方がいい。完璧よりも時間を意識する。費やした時間は"二度"と返ってこない。」
時間の矢は、一方にしか進まない。かつ時間は、すべての人に平等なだけある。だからこそ、勝ち抜くためには「完璧よりも時間を意識する」ことが重要なのだろう。
稚拙であること、勇み足であることも、トライアンドエラーには、むしろ大事なのかもしれない。この勢いでいけば、高橋氏は、飲食というゲームそのものを変える、ゲームチェンジャーになるかもしれない。
いずれにしても、ゲームを支配するちからは、すでに、実証されている。

・・・続き

株式会社BIRCH 代表取締役 高橋光基氏

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