in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ジュネストリー 代表取締役 東明 遼氏登場。
本文より~有言実行。100万円はその証。
祖母が経営する飲食店を手伝っては駄賃をもらった。これが飲食の始まり。
兄弟は4人。東明社長は次男で下に2人弟がいる。兄の影響もあって中学まで野球をやっていた。グランドで暴れながら、この時すでに飲食で独立するという思いを口にしている。
高校に進学すると早速、寿司店でアルバイトを開始。高校卒業時には100万円が貯まっていたというから驚く。「野球しか知らなかったので、お金の遣い道を知らなかった(笑)」とのこと。
むろん、独立という目標が頭にあったからで、そこはぶれてはいない。
「祖母の影響が大きかったと思います。子供の頃に父の給与明細を見たことがあって、男っていうのはこれくらいは稼がないといけないんだなと。それが、私のなかで独立に置き換わったのかもしれませんね」。
長男は大学に進み、留学も経験する。「最初は調理の専門学校に進みたかったんですが、高校時代に両親が離婚したこともあって。兄にも結構お金がかかったのを知っていましたから、それ以上負担をかけたくなかった。それで、高校3年から始めていた居酒屋さんに就職します」。
それにしても大人びている。口先だけではない。有言実行。100万円はその証に違いない。
22歳、念願の1号店を出店する。だが…
毎月通帳に8万円、10万円と入金される。「通帳にお金がたまっていくのをみて頑張れたと思います。社会人になっても地道に貯金して、22歳の時には600万円は貯まっていました」。
独立資金ですね?
「そう。22歳の時にそれを開業資金にして、居酒屋をオープンします。特別な理由はなかったんですが、大学に行った仲間が卒業する年齢でしたし、店長になっても給料が思ったよりも上がらなかったこともあって。(笑)」
心は決めたが、不安と希望が混じり合う。
最初は、鶴見に出店されたんですよね?
「そうです。駅徒歩8分。駅の商圏としてはギリギリですね。12坪で16席。家賃は12万円。16時にオープンして、深夜2時まで営業していました。40万円程度の給料が取れていたので、悪くなかったですね」。
中学時代から思い描いた念願の店。
「ただ、私はそれなりの給料を取ることができても、一緒に始めた後輩には十分な額を渡せていませんでした。それで、平和島の駅から30秒の立地に2号店をオープンします。こちらは9坪26席、家賃30万円です」。
9坪で26席はかなり詰め込みましたね(笑)。
「そうですね。立地を考慮して(笑)。こちらでは初めて銀行の融資も受けています。スケルトンからやり直し、700万円と投資もかかりましたが、結構うまく行ったように思います」。 普通なら3号店!と勢いづくところだが、東明社長が平和島に注力すると鶴見の店の質が低下したという。歯車がかみ合わない。 「結局、その店を任せていた後輩と仲違いをしてしまって。彼に業務を委託してその店を譲ります。2年の契約で、それ以降は所有権も渡すんですが、コロナ禍になって見に行くとクローズしてしまっていました」。 1人でやるなら、なんとでもなる。仲間とやると、そうはいかない。しっぺ返しをくらうこともある。どうなっていくんだろうか。
鶏ヤロー蒲田店、オープン。
「色んなことに限界を感じたのも事実です。若く社会を知らなかったからかもしれません。ただ、高校時代を含め、飲食の世界ではベテランです。比較検討もしてみます。就職した居酒屋の店長時代には月商800万円は軽く叩き出していたんです。それと比較すると、このままでは、と思って」。
それで、フランチャイズに加盟されることになったんですか?
「そうです。まず経営を安定させたいという思いが強かったもんですから。それで、色々な会社を比較検討し、加盟したのが『鶏ヤロー』です」。
鶏ヤローの経営者、和田成司社長には「飲食の戦士たち」にすでに登場いただいている。ハイボールが50円にも驚かされたが、当時の加盟金は50円、ロイヤリティも50円。何かが間違っているのか、と何度も確かめた記憶がある。
「鶏ヤローのFC1号店が、うちの鶏ヤロー蒲田店です。23坪で52席。家賃は36万円でした。ロイヤリティは50円、加盟金も50円。そんなフランチャイズの話は初めて聞きました。ただ、いくらロイヤリティが安くても、ハイボールも嘘じゃなく、50円ですからね。どうやって利益を出すんだと、不安がなかったといったら嘘になりますが、丁寧に説明してくださる和田社長の言葉に納得してスタートします。業態以上に和田社長に惹かれたのも事実です」。
鶏ヤローは、呑んべぇにありがたいセンベロ業態ですね?
「そうです。ただ、呑んべぇというより学生とかかな。何しろ安いし、ボリュームも半端ない。唐揚げドン!みたいなね。で、うちは蒲田ですからサラリーマンです。客層が違ったからでしょうか。計算が狂います。試算では月商340万円行くはずだったんですが(笑)」。
どれくらいだったんですか?
「オープンして2年近く、アベレージで250万円」。
90万円の違いは大きいですね。
「角ハイボール、50円には抜群の破壊力がありましたが、さすがに50円ですからね、逆に『なんで?』みたいな(笑)」。
起死回生のため、オープンした「鶏ヤロー蒲田店」はカツカツ。自社ブランドの平和島店があったからかろうじてなんとかなった。商売はやはり難しい。
東明社長に一番大変だった時期は?と聞くと、この頃だという。業績云々ではなく、採用した3人の社員のうち2人が辞めたから。
「2人とも深夜まで仕事をするのが、つらかったということです。社長という立場になると、社員が離れていくのが一番ツライ」。
なかなか思ったようにはいかない。ただ、継続は力なり、だ。「最初は、ハイボール50円?といっていたお客様も今は、全くいなくなりました。店舗数が増え、鶏ヤローがメジャーになったことが大きいです」。
たしかに、鶏ヤローは店舗数を拡大している。東明社長もコロナ禍の下で2店舗をオープン。現在は、蒲田、練馬、下北沢、横浜に4店舗出店している。コロナ禍を乗り越え、いずれも堅調な数字を叩き出している。
「それゆけ!鶏ヤロー」は、今日も賑やかに営業している。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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