in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社Mostfun 代表取締役 大崎拓実氏登場。
本文より~人気者になりたくて。
「小学2年生からかな」と、大崎氏。大崎氏とは、今回ご登場いただいた株式会社Mostfunの代表取締役。生まれは、1991年。このインタビュー時で31歳になる。
「小学2年生から周りを意識し、人気者になりたいと思った」そう。
「案外マジメな話で、学校でいちばんの人気者がスイカが食べられないって話を聞いて。そうか、と。彼を真似ているうちに、私もスイカが食べられなくなりました(笑)」。
小学校では野球をやっていたが、丸坊主がイヤで中学からバスケットボールに転向。スタメンに名を連ねる。
「中学になると人気者への憧れが加速します。今までは、人気者を真似ていただけだったんですが、それじゃいけない。頭になんないと、って」。
背丈は140センチ。
「ちっちゃかったですね。だから、体力ではトップになれないんで、頭で勝負するわけです。作戦を立てて。クラスでいちばんになりたいと思い始めます。あの頃、人気者っていうのはトップに君臨するもんだと勘違いしていたんです」。
中学生の頃から戦略家だった。コンサルタントの片鱗もうかがえる。ただ、詰めは甘い。
バスケ部を辞めると、風景は一変した。今までとは逆に大崎氏に対するいじめが始まったからだ。
いじめは、中学を卒業するまで続いたという。
「プライドもあって平然としていましたし、謝りもしなかった。でも、恥ずかしながら、あのおかげで、気づくことができたんです。人気者っていうのは、恐怖政治じゃ出来ないんだって。みんなを幸せにしてはじめてなれるんだって」。
高校は、東京の私学に進む。
「友達と離れたかったから、東京の私学に通い、180度違うキャラを演じます。まったく目立ちません(笑)。でも、今になって思うんですが、人間って当たり障りがないようにやっていると距離が縮まないんですね。今、1番付き合いがあるのは不思議なことに成人式前くらいに和解した中学の時の友達なんです」。
思春期は、一つの教訓を残す。
キャッチセールス。通称、キャッチ。
「大学は東京福祉大学に進みます。何か目的があったわけではなく、ただ、楽に進学できそうだったんで。大学時代はキャッチに明け暮れます」。
キャッチをはじめたのは19歳。19歳の学生が手にした月収は50万円。
「金を稼ぐって簡単じゃんみたいな。小学生のスイカの話じゃないですが、違う意味で勘違いヤローになっちゃいます。稼いだお金は、全部、使っちゃいます。大学生で月50万円あれば、結構、色々できますからね」
「それを2年間くらいやっていた時です。Tune upの社長、岩城さんに声をかけてもらったのは、そんな時です。それから岩城さんと起業します」。
キャッチセールスの会社というよりセールスプロモーションの会社といったほうがいいような立派なスケール。21歳の大崎氏は、100人のキャッチをマネジメントしていたというから驚く。
「都内だけではなく、広島や静岡と、1都5県に繰り出して行きました。その一方で、自社で飲食店もオープンします」。
どうでしたか?
「キャッチには飽きていましたが、この仕事にはのめり込みましたね。うちの会社はスケールもそうですが、スタッフの教育もちゃんとやっていて、言葉遣いや身だしなみからスタートします。研修を行なったり、マニュアルも作成してました」。
大学は?
「あ、そうですね。大学は、4年生になったばかりの春に中退しています(笑)。岩城さんは当初、大学生も続けられるって言っていたんですが、まったく無理(笑)。仕事だけでも、体がいくつあっても…って状態でしたから」。
Tuneupはその後、どうなるんですか?
「キャッチを2年やって、飲食を7店舗まで育てます。ちょうど27歳の時。私自身の給料はかなり貰っていたんですが、部下満足度があまり高くないなと感じていました。どうにかしてやりたかったんですが、やり方がわからない。その時、また、気づくんですね。俺って、そもそも勉強をしたことがないなって」。
たしかに、才能だけで食べてきた。
では、どうするのか。
2020年の、チャンス。
「7年間やってきて、その時私自身が思ったことは、組織が会社として成り立つ難しさを感じていました。これは批判でもなんでもありません。では、どうすれば良かったのか。その答えを探すために、飲食をターゲットにした評価制度や人事制度のコンサルタント会社に転職します」。
その会社に在籍したのはわずか1年だが、その1年が「めちゃめちゃでかかった」という。
「うちだけじゃなく、他社もみんな同じことで悩んでいることを知りました。創業の頃は金→物(業態)→人なんですが、事業が軌道に乗ると人→物(業態) →金にプライオリティが変わっていきます。人が重くなるんです。だから、人事の仕組みが大事になってきます」。
1年経ったとすると、29歳、いよいよ独立ですか?
「そうです。2020年、コロナがスタートします。今がチャンスだと思って、アクセルを踏みます。ただ、資金はなかったので出資者を募り、まず『ときわ亭』のフランチャイズに加盟して『0秒レモンサワー(R)のホルモン焼肉酒場ときわ亭』をスタートします」。
いかがでしたか?
「コロナ禍で、私がチャンスだと思ったのは、平時では出てこないような優良な物件が出てくると思ったからです。これには理由もあって、高い従業員満足を生み出していくためには好立地でないと計算が立ちにくいんですね。その一方、『ときわ亭』や『新時代』などを選択したのは、コロナ禍でも急成長するフォーマットだったこともそうですが、オペレーションが属人化ではなかったからです。そのおかげでコロナ禍にも関わらず『ときわ亭』や『新時代』といったフランチャイズ店を9店舗を出店しています」。
飲食店の経営以外にも、そのご経験を活かされた事業をされているとか?
「そうですね。時系列的には少し遡りますが、コンサルタント会社を辞めたタイミングで、アルバイトから社員採用が上手くいっている会社を見渡すと株式会社大地さんを思い浮かべました。そこで当時やられていた神田さんに、大して面識もないのに直接連絡しました(笑)」。
それからどうなりました?
「神田さんに手伝ってもらいながら、まずは仕組化するところから始めて、それがMostfunで20人ほど採用に成功しました。それでコレはいけると思って株式会社カンテラを立ち上げました。今は神田さんが代表を務めながら私も副代表を務め、現在15社ほど人事コンサルとして携わらせてもらっています」。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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