in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に RICE REPUBLIC株式会社 取締役社長 川原田美雪氏登場。
本文より~青森県弘前市。
弘前市。津軽地方の中心都市。なんでも、日本で最初に市制を施行した都市の一つだそうで、青森で唯一の国立大学も弘前にある。ちなみに、「弘前」と書いて、「ひろさき」と読む。
今回ご登場いただいたRICE REPUBLICの社長、川原田さんは1996年に、この弘前市に生まれる。父親は新聞記者、母親は看護師。ご両親とも仕事をされていたから保育園はもちろん親戚の家にも預けられることが多かったらしい。
「いちばん多くいたのは児童館。高校3年生まで児童館で勉強していました」。
川原田さんは、よく通る声で、弘前での暮らしを話してくれる。
「小学校は合唱部に所属。習い事も多くって、12くらいはしていたように思います。私が通っていた小学校は、40人のクラスが3つと、それとは別に8人の実験的な選抜クラスがあって、私は、そちらで勉強させていただきました」。
のちにストレートで東京大学に進学されているだけあって、小さな頃から頭がいい。川原田さんの言葉では「悪くはなかった」となる。
全国模試は1位。
「1位っていっても、全教科満点の人は全員1位ですから」と謙そん。そのうえで「父からは口だけ回る小賢しい子と言われていた」といって笑う。
小賢しいのは口だけではなかった。
「将棋やチェスを父とするんですが、最初は全部、父が勝ちます。でも、すぐに父は私に敵わなくなるんです」。敵わなくなると、違ったゲームを持ってくる。それも、しばらくすると、父は娘に敵わなくなる。
仏頂面で内心を隠しながら、喜んでおられたのではないだろうか。いずれにしても、ゲームにかぎっては「小賢しい」ではなく、手に負えない少女だった。
ちなみに、津軽弁は今も健在。今でも時々でちゃいますね、と津軽弁を披露してくださった。
天才少女、5位で叱られる。
「実をいうと、小学生から高校を卒業するまでトップ3じゃなかったのは、1回きりなんです」。
<1回?> 「中学生の時、テストの成績が5位だったらしくって。先生がみんなの前で『川原田、5位だぞ』って(笑)」。
凡人なら、5位で喜んでいるところだ。
<部活動は?>
「中学は演劇部で、高校はダンス部。運動系とは距離を置いていました」。
<高校時代も成績は一番なんですよね?>
「首席で入学して、首席で卒業しています」。
<もう天才ですね?>
「いえいえ、ぜんぜんです。周りが1位って目でみるから、1位を獲らないとマズイみたいな(笑)。強迫観念ってやつで守り抜くことになったって感じですね。当時は、みんなから『川原田はいいよね』って言われて。やらなくてもできる子だと思われていました。そんなわけないのに」。
だれもみていないところが、川原田さんの勉強タイム。
「うちでも、学校でも、教科書にかじりついているような姿はみせていなかったから、川原田はいいよね、ってなるんでしょうね」。
弘前から離れた東京大学に進んだのも、天才の響きがうっとうしく、「対等におしゃべりができる相手が欲しかったから」と言っている。
工学部に進んだのは、『サマーウォーズ』がきっかけ。
進んだのが「東京大学工学部」と聞いて、どうして工学部だったのか?と聞くと、かわいい答えが返ってきた。「ある夏休みにね。映画『サマーウォーズ』を観て、あの世界をつくってみたいと思ったんです」。
『サマーウォーズ』の初公開は2009年。説明するまでもないが、細田守氏初の長編オリジナル作品で、仮想空間とリアルな世界がつながり、物語りが織りなされていく。
数学が得意な、ふつうの少年が、世界を救う。結末は、なんど観ても面白い。
「『サマーウォーズ』は当時、すごく進んだ世界だったわけですが、今では特別な世界じゃない。私は、大学を卒業してLINEに就職するんですが、ある意味『サマーウォーズ』の世界ですよね」。
たしかに、仮想空間も、またリアルな世界の一つになりつつある。
「ただ大学では、そういう世界を勉強するつもりだったんですが、汗臭い世界に進みます」。
<どういうこと?>
「実は、東大って、アメリカンフットボールに力を入れているんです。日本一になるぞってハンパない熱量があって。その熱に、惹かれるように入部します」。
<アメフトですか?>
「そうです。京大が昔、日本一でしたね。だから、負けていられない。もちろん、私はプレイヤーじゃなくマネージャーですよ(笑)」。
当時、部員が100~200名。チームスタッフも50名近くいたそうだ。
「東大に入ったことよりも、アメフトに入ったことのほうが、私にとっては大きな出来事でした」。
ご両親は「毎日グラウンドで走り回る」といった娘をみて、目をまるくされたそうだ。
「運動系やチームスポーツに関することはいっさいやってこなかったからでしょうね。マネージャーになれば、「できません」は通用しません。チームの勝利のためにできることはどんなことでも自分がやろうと思っていました」。
スポーツ推薦が主流の強豪校相手に東大生が勝利を収めるためには、一瞬の妥協も許されない。小賢しさとは、対局にあるような、汗を流しつづけた4年間。「アメフトの4年間で私はかわった」と川原田さんは、言っている。
アメリカンフットボール。
「3年生の時に毎年行っている10泊11日のロングラン合宿があって、その責任者に任命されます。チームスタッフは50人。彼女たちを動かし、参加者300名をサポートする仕事です」。
「このとき、合宿先のお宿の料理人が調子を崩されて、料理がつくれなくなったっておっしゃるんですね。私たちにとっても、大きな事件です」。
料理がでないと300名の大事な選手達のパフォーマンスに影響が出てしまう。
「その時、監督から怒られるんです」。
<怒られる?>
「監督からは『どうするんだ』とお叱りを受けました。私のせいではないことは監督もご承知です。だれが悪いかではなく、どうするか? 300人分の食事をどうするんだって、ことです」。
やるしかない。川原田さんは、キッチンに駆け込んだ。
「お料理はぜんぜん得意じゃない。でも、リカバーするには、ほかに方法がありません。部員たちに事情を話して、練習に必要な選手から順番に食べてもらいました。マネージャーの子には悪かったんですが、一旦我慢してもらって」。
日本一をめざす大事な合宿。食事一つおろそかにはできない。
「あの時の監督の一言には今も感謝しています。現状を嘆くのではなくどうするのか、自分が動くことでしか何も始まらないということを教えてもらいました」。
ちなみに、川原田さんらのチームの最終戦でのこと。川原田さんは、フィールドの真ん中で大粒の涙を流している。
「勝てない相手じゃなかったんです。勝てば1部のクラスへの入替戦に出場することができました。日本一という目標はありますが、私たちの代では、鞍替えが目標でした。あと1勝、4年間やってきたことが、あと1勝で報われるところまできたんです。でも、その1勝ができなかった。過去に同じ夢を見て、試合を応援しに来てくださった先輩方の前で、『ごめんなさい、ごめんなさい』っておいおいと泣きくずれ続けます」。
青春の1ページ。フィールドで泣き崩れるマネージャーに、部員たちが駆け寄っていく。上空から観れば、フィールドにどんな絵が映し出されていたのだろうか。
LINEを、駆け抜ける。
日頃からLINEのお世話になっている。スマートフォン同様、生活の一部になっている。LINEがなければ、なにかが欠ける。そのLINEに、東大で修士となった川原田さんが就職する。
明晰な頭脳と行動力。チームマネジメントもできる。
「アメフトで、走りまわってきた分、遅れちゃいましたが、『サマーウォーズ』で描かれた世界の、プラットフォーマーになるっていう目標を追いかけるためにLINE株式会社に入社します」。
これが、2020年のこと。
中小企業向けのLINEマーケティングソリューションの営業提案、運用コンサルティング業務からスタート。インサイドセールス組織の立ち上げとデータの可視化・分析を担当したのち、大企業向けの広告商品を中心とした広告媒体の企画業務にたずさわり、広告事業本部2021年度「Best Rookie賞」を社内で唯一受賞する。
わずか2年の間に、いくつもの実績を残している。
<まん福ホールディングスに転職されたのは2022年ですよね?>
「そうです。まん福ホールディングス株式会社に入社したあと、RICE REPUBLIC株式会社へ出向し、社長になります」。
これもすごい話。
ある意味、シンデレラストーリーだが、あの「LINEから」となると話がちがう。
「実は、まん福ホールディングスの加藤社長も東大のアメフト部出身で、当時の監督が加藤さんの先輩だったんですね。そういう縁があって、監督からお話をいただきました。これが2022年の2月のことです」。
『おにぎりで世界を獲らないか?』
これが殺し文句。
「私、こういう時は悩まないんです。だから、面白そうなお話だったので、『ハイ』と。日本のソウルフードであるおにぎりは、世界一を獲れるポテンシャルを持っていると思いました」。
アメフトの時は、日本一。今度は、世界だ。
・・・続き
RICE REPUBLIC株式会社 取締役社長 川原田美雪氏
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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