in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社STABBLE 代表取締役CEO 杉浦龍太氏登場。
本文より~高校までの少年、杉浦。
「祖父は、日本を代表する企業の創業メンバーだったと聞いています。父親は弁理士です。中学までは静岡県の三島市で暮らしていました」。今回、ご登場いただいた株式会社STABBLEの代表取締役CEO、杉浦龍太さんは1992年生まれ。2023年のインタビューなので、30代になったばかり。当時の三島市はのどかな町で「野うさぎをペットにしていた」と笑う。野原を駆ける少年は、やがてサッカー選手の道を歩み始める。
「サッカーは小学1年生から始めます。最初はトップ下」。ゲームもやったが、もっぱらサッカー。小学校の大会では、県大会で3位にもなっている。サッカーが盛んな静岡で3位は悪くない。
「高校は清水東高校に進みます。もちろん、サッカー部です」。
6歳上には、内田篤人さんがいらしたそうだ。
「1学年30人くらいはいました。総勢90人以上の大所帯です。ジュニアユース出身の選手も結構いて、私はほぼベンチ外でした(笑)」。
強豪だから練習も厳しい。
「清水東高校は、偏差値も結構高く、勉強もついていけるように通学中に教科書を開いていました」。
<ただし、本業はサッカーだったんですよね?>
「そうです。やるからにはプロというのが頭にありましたから。通学は1時間半。勉強時間はたっぷりあります。ただ、朝練に間に合うように行くには、朝4時過ぎに自宅を出ないといけません。かなりキツかった」。
ベンチを外れても腐らない。プロという目標もなくさない。
ドイツと大手旅行会社と、新たな道。
<大学でもサッカーを続けられたんですよね?>
「大学は、静岡大学に進みます。もちろん、大学でもサッカーは続けました。今度はレギュラーとベンチ外を行ったり来たりです(笑)」。
静岡大学では全国大会にも出場している。
「実はサッカーでドイツに留学もしています。大学3年生のときです。プロをあきらめたのはドイツでした。ただ、その経験もあったので、サッカー留学を仲介する仕事に就くつもりで、内定もいったんいただいたんです。ですが、色々と話が違って。渡航費なども全部実費で。それで断念します」。
「そういう経緯だったんで、改めて就職活動を開始したのは大学4年の春。多くの企業では、採用枠が埋まってしまっている時期です」。
<後手に回ったという感じですね?>
「結果としてはそうです。それから再度、就活を始め旅行会社に就職します。配属されたのは法人事業部です。こちらで海外渡航や出張などBtoBの事業に関わるうちに、ビジネスというものに興味を抱きます」。
<それがマーケティングに興味をもち始めるきっかけですか?>
「そうです。デジタルマーケティングの世界に興味をもち、広告業へ転職しました。実は、旅行会社内で起業家育成プログラムというのがあって立候補したんですが、落選してしまって。それも退職する原因の一つです」。
きっかけは、どこにも転がっている。ただ、チャンスをものにするのは難しい。
アルバイトが1年で社長、STABBLEの立ち上げまで駆け上がる。
「その時、一念発起して転職した先が、今のSTABBLEの土台とも言える会社です」。
<どういうことですか?>
「もともと私は、ある企業にアルバイトで入社したんです。たまたまFacebookで募集しているのを知って。当時はまだ5~6人しかいなかったです。当時の社長がグループ会社の一つとして設立されて、主な事業は飲食業界のマーケティングやプロモーションをメイン事業にしていました」。
1年目はアルバイトで、翌年から代表になった。まるでシンデレラストーリー。
「社長にとってはグループ会社の一つですし、任せられる人間がいたから、やらせておこうということなんだと思います」。
<同じ飲食でも、畑が違うところからスタートだったんですね>
「そうですね。そして、そこでノウハウを学び、独立してイチから立ち上げたのが現在のSTABBLEです。飲食店ではなく、飲食店を支援するのが私たちの創業事業です」。
むろん、今もデジタルマーケティングは主な事業である。ホームページを開けば、「飲食店特化のWEBマーケティング集団」というキャッチフレーズがまず目に入る。
では、どうして飲食店を経営することになったんだろうか?
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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