in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社RC・クリエイティブグループ 代表取締役社長 中村友樹氏登場。
本文より~島根県へ。父の選択。
RC・クリエイティブグループは1990年に、父、中村善次氏(現会長)によって設立されている。
「父親はもともと大阪人だったんですが、競合が少ないぶん、大きなビジネスができるにちがいないと縁もゆかりもない出雲に移住します。最初は飲食店でサラリーマンをしていましたが、母と結婚して、私も生まれ、独立を果たします。これが、私が4歳の時。サラリーマン時代の仲間が、独立時にいっしょにきてくださったそうで、1店舗だととても食べさせられないと2店舗を同時オープンしています」。
「母は、島根県出身です。母の実家は山間の小さな村でスーパーを経営していました。私たちは松江市の繁華街で暮らしていましたので、島根といっても、にぎやかなエリアです」。
「島根県」と聞くと、「出雲の国」が頭に浮かぶ。「出雲の国」と聞くと、旅情がかりたてられるのは、伊勢とならぶ、神のつかさどる国だからだろうか。
松江と出雲は、35キロ程度離れているらしい。
現在となり、話は前後するが、その出雲の国に2021年12月「センチュリオンホテル&スパクラシック出雲」がオープンする。このホテルの朝食サービスがふるっている。
和食だけではなく、洋食も選択できるようになっている。ビッフェスタイルでカレーなども用意されているが、和食なら、島根のブランド米「仁多米」、近郊の漁港で獲れた旬の魚料理、宍道湖のしじみ、島根名物の赤天とあごの焼き…と、島根の名品がならぶ、贅を尽くした朝食となる。
この朝食サービスを行っているのが、RC・クリエイティブグループ。現在、代表取締役社長を務めるのが、今回ご登場いただいた中村友樹さん。
「RC・クリエイティブグループは、さきほどもお話したように、私の父親が1990年に創業します。私も、大阪でまったく異なる仕事をしていたのですが、父親に懇願されて、こちらにもどり、人生のリスタートをはじめます。これが、2011年のことです」。
父が島根県をめざし、大阪を飛び出してから、何十年か経った頃の話である。
中村少年、テニスにハマる。
「私が生まれたのは1986年1月9日。1人っ子で、いそがしい父母にかわり、祖父・祖母が育ての親です。子どもの頃を一言でいうと、とにかくテニスが好きな少年でした」。
世界的なプレイヤー錦織圭氏もじつは島根県の出身。一度だけだが、対戦したことがある。「錦織さんが小学2年生、私が小学5年生の時です。3歳のハンディつきで対戦したわけですが、もちろん、ボコボコにされました」と笑って話してくれた。
「当時は、とにかく好きなことしかしない子どもでした。だから、テニスには打ち込みましたが、勉強のほうは、ぜんぜん(笑)。おかげで、大学を2つ行っているんです」。
<2つ?>
「そう、2校ですね。高校進学の時はラストスパートだけで、なんとか希望校に進学できたんですが、大学はさすがにそうはいかず、消化不良のまま千葉の大学に進みます。ただ、どこかで納得できなくって、父親に頭を下げ、もう一度、チャレンジさせてもらいます」。
大学ではもちろんテニスをつづけている。3歳下の錦織圭さんは、もう世界のトッププレイヤー。一度、対戦しただけだが、それもまた勲章だったにちがいない。
島根県へ。息子の選択。
「大学を卒業して、現マイナビに就職します。配属されたのは、大阪支社です。当時はリーマンショックの時ですから、就職もむずかしい時代でした。私は営業職として入社して、中途採用のマーケットを担当します」。
<どうでしたか?>
「中途採用マーケットがメインだったこともあって、色々な業種、業界をみることができました。仕事は、朝7時から23時まで。たいへんでしいたが、それも含め、たのしかったですね。尊敬する上司にも出会えましたし、じつは、今、採用関連のサポートをお願いしている方も、当時、知り合った人です」。
たのしい3年間だったと中村さん。
「3年って、だんだん仕事が面白くなってくる頃でしょ。だから、こちらの仕事がうまくいかなかったというより、父親から松江にもどってきてくれないかと懇願されて。それで人生の舞台が島根に移ります」。
志にちがいはあるが、中村さんも父親とおなじように、大阪から島根に向かう。今ならバス、JR、飛行機と移動手段も多いが、当時はどうだったんだろう? どうでもいいことだが、調べてみると、新大阪駅から松江駅までJRで3時間40分。中村さんは、その間、何を思い描いていたんだろう。
「私がもどった時には、東京にも出店していて、店舗数も20数店。バーなどもあって、カテゴリーも幅広く、外からは悪くないようにみえていたんだと思います。ただ、ふたを開けると、資金繰りもきびしく、社内のコントロールができていなかったのも、事実です」。
「風通しもけっしていいわけではなかった」と中村さん。「私が、小さな頃から在籍していらっしゃるスタッフもいました」。
仕事が終われば、スタッフが我が家にあつまり、歓談する。時には、マージャンの卓が開かれた。まだ、小さかった中村さんは、さぞ、従業員に可愛がられたことだろう。
しかし、いま目の前にいるのは、大人になった経営者。今度は、どんな風に彼らの目に移ったのだろうか。とにかく、中村さんの、第二の人生の幕があがる。
朝食サービスで、売上5倍。
中村さんは、事業を立て直すために奔走する。
「とくに、たいへんだったのは、資金繰りなど金融関係の業務をしながら、鉄板焼きの店長や、スナックの店長をしていた頃ですね。まったく、別々の頭をつかいますから」。
資金のやりくりを行いながら、お客様へのあたたかいサービスを忘れない。二刀流。もっとも、それが絶賛されることはない。
時間軸のサービスというアイデアは、昔からあった。1次会、2次会、3次会と、時間の経過によってロケーションもかわる。料理が減り、アルコールに傾き、始める。ほろ酔いきぶんでマイクをにぎる人もいるだろう。
そういう時間ごとに異なるサービスが、それぞれに極められていくのは消費者としてもありがたい。だが、朝食だけのサービスを専門にする会社はなかったようだ。忘れられていたわけではないが、モーニングコーヒーまでが、朝食ビジネスとしては限界かもしれない。朝は、自宅で食べるのが、一般的だからだ。
しかし、ロケーションがホテルだと話がかわる。これが RC・クリエイティブグループのホテルと共同開発した冒頭の「朝食サービス」。じつは出雲だけではなく、松江、米子、神戸にも広がっている。(2024年1月現在7ヵ所)
このサービスがスタートしてから、売上は5倍にもなっているそううだ。
「もともとうちにはホテルで飲食店を経営するノウハウがあったわけですが、朝食に特化したことで、私どもはもちろん、ホテル様にもより付加価値のあるサービスを提供できました」。
「私たちにとっても朝食に絞ったことで、様々なところが効率化しました。予約をいただきますから、スタッフの配置も予約数にあわせて増減できますし、フードロスももちろん少なくなる。ホテルのレストランなので宣伝をしなくて済む。むしろ、私たちの朝食サービスが、宿泊客のみなさんの楽しみになるよう、原価もしっかりかけ、旨いと唸っていただけるような、朝食をご用意することが大事だと思っています」。
朝食サービスが差別化になり、来店動機を生む。消費者目線からみても、アリな話だ。もちろん、このサービスは、中村さんが社長になってから始めたビジネス。現在、部長をされている大学時代の盟友も、テニスサークルの後輩も、一役買ったにちがいない。
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株式会社RC・クリエイティブグループ 代表取締役社長 中村友樹氏
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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