in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ミナモト 代表取締役 細田源太氏登場。
本文より~目立つ少年と幸運な出会い。
小学校の低学年から、とにかく目立つ少年だったそうだ。何より背が大きい。小学6年生で170センチを超えていたというからさぞ目立ったことだろう。
「目立つっていいことばかりじゃないんです。なにかあるとみんながこっちを見て、あいつがやったんだろうって。良いことをしてるつもりなのに、悪く言われたり、疑われたり」。
小学生高学年になってからはさすがにひねくれた時期もあったそうだ。それでも学校には通い続けた。
「暗黒期でしたね。でもどこかでちゃんとブレーキをかけてくれる人たちと出会うんです。友達もそうですし、先生たちもそう。今も感謝しています」。
やがてコンプレックスだった身長が、自信につながる。
「小学校の最後の数ヵ月で背がさらにのび、体型もスマートになったんです。なぜか足も早くなって、すこしいい意味で目立つようになりました笑」。
<では中学は順調に過ごしたんですか?>
「まだひねくれてましたね笑。でもそれを危ういと感じてくださったんでしょうね。入学当時から校長先生と担任の先生が、事あるごとに気にかけてくれて、自信をつけさせてくれて。そのおかげもあって楽しく過ごせるようになったように思います」。
<勉強のほうはどうだったんですか?>
「悪くないというか、いいほうでしたね。中学に上がると、相性の合う英語の先生がいて、英語の成績が爆上がりします」。
なんでも、全国模試で満点を取り、1位になったそう。
「今思い返せば、要所要所で、大事な人に出会っています。あの状態から悪い方に転がずにいられたのは、親身になって接してくれた人たちのおかげです」。
たくさんの出会いを経験して、細田少年は歩む道を探しはじめる。
一冊の本との出会い。
「当時、大学生をみて、大学に行く意味はないって決めつけていました。でも、だったら、どうすればいいかがわからない。17歳の時からが第二の暗黒期ですね」。
毎号、アントレプレナーを生み出す情報誌「アントレ」を読み、進む道を探していた。
「10代の頃から、社長になりたいと思っていました。いや、正確にいうと、求人誌をみても就職するハードルが高かったんですね。でも、事業を興せば、学歴がなくても社長にはなれますよね笑」。
フリーターをしながら、模索はつづく。
「21歳の時に、ある会社とフランチャイズ契約を結んで、はじめて事業をスタートします。アパートをオフィスにして。加盟金は50万円。でも、まったくシミュレーション通りにはいかないんです。言われた通りにやっても、だめで」。
どうしようもない。ただ、文句を言っても始まらない。
<それでどうしました?>
「実は、この時、本部の言う通りにしても業績が上がらないから、独自のスキームに改良します。同時に、あるマーケッターの本を読み、その通り実践します。すると、問合せが急増して、21歳で50~60万円はコンスタントに儲けられるようになります」。
<本との出会いにも救われたわけですね?>
「そうですね。うん、その通りです。この時、学んだマーケティングは、私のビジネスの背骨になっていきますからね」。
もともと頭がいい。アナログより、デジタル派。多少廻り道もしたが、根はまっすぐ。人にも、本にも、愛される要素をもっている。
「ただ、マーケティングはうまくいったんですが、仕組みづくりはできなかったですね。スタッフも採用しましたが、私しか売上を上げられない。教育を含め、事業の仕組みができていなかったんです」。
車のブローカーからスタートした事業は、飲食にも広がる。
「仕組みづくりができないなかで、もう一つの事業をはじめました」。
暗黒期は、乗り越えている。いったん、乗り越えればエネルギーは尽きない。広告代理店やデザイン会社もつくったそうだ。
「ただ、本格的に飲食を開始したのは、それから5年後の31歳になった時ですね。焼鳥屋をスタートします」。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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