in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社トランジットメキシカンフードオペレーション 代表 亀山里樹氏登場。
カルチュラル・エンジニアリング。
株式会社トランジットジェネラルオフィスの代表、中村貞裕さんは、ホームページで「プロデュース集団からカルチュラル・エンジニアリング・カンパニーへ。と、」と述べられている。
中村貞裕さんといえば、「オールデイダイニング<bills>」を頭に浮かべる人も多いだろう。さまざまなプロデュース、また数々のブランディングを、思い描く人がいるかもしれない。
とにもかくにも、好奇心のかたまりの中村さんだからこそ、さまざまなモノとコトが動きだしている。
今回、ご登場いただいた亀山さんが社長を務めるグループ会社「株式会社トランジットメキシカンフードオペレーション」が経営する、ファストカジュアルスタイルのメキシカンキッチン<Guzman y Gomez>も、動き始めたモノ、コトの一つ。
いくつかの記事には「本場メキシカンのおいしさとラテンカルチャーの体験を広める」とある。おいしさだけではなく、カルチャーを広めるのがいい。まさに、「カルチュラル・エンジニアリング」の一つである。
優秀な兄と、その弟と。
さて、そのミッションをになう、亀山さんの生い立ちからを、少しだけご紹介することにする。
父は医師、親戚には大学教授や弁護士などがいる亀山さん。兄も、東大出身。ズバリ、うらやましい家系。
「そうなんですが、そのぶん、子どもの頃から勉強しなさいって言われて育ちます。とくに、兄が優秀でしたから」。
亀山さんが、お兄さんと共に通ったのは幼稚園のみ。小学校・中学校と、兄といっしょの学校を受験したが、「縁がなかった」と笑う。
勉強は思うようにいかなかったが、小学校からはじめた空手では才能を開花する。中学2年生の頃には県内では相手になる選手がいなかったそう。
「おかげで、不良グループからも一目置かれていた」と笑う。兄とは差がついたが、学校では群を抜いている。テストでは100点があたり前。
「もっとも中学になると、だんだん勉強もしなくなって。成績も下降線です。ただ、高校受験で、ですね。やりまくります」。
なんでも、当時の県内の高校で、空手部があるのは限られていた。その内の1校は父も兄も通ったトップ校、その他は違った意味で有名な高校だった。「そりゃ、トップのほうがいい、と、ひさしぶりに勉強するとですね。だんだん面白くなってきて、あれよ、あれよという間に学年トップクラスになっちゃうんですね。それで、県内トップの高校を受験するんですが」。
ちなみに、進んだ高校に空手部はなかったが、経験のない教師を顧問にして、空手部をつくっている。大会に出場して、いきなり優勝。地元の新聞にも掲載されている。
ただ、空手については、挫折もある。敵わない相手がいると知ったこと。からだがボロボロで、針を打っても、痛み止めを打っても、痛くて、大学時代にはもう治らなかったそうだ。それもあって、大学も3年で辞めている。
片道2時間、朝食サービスはたいへんだ。
その後のことを軽くふれると、大学在学中に飲食に出会い、その面白さにハマっていく。20歳の時には先輩といっしょに起業も、経験。
全盛期のグローバルダイニングに魅了され、入社。印象深いエピソードも教えていただいたが、それは、つぎの機会にでも。
さて、グローバルダイニングでも評価され、プロデュース的な仕事も経験した亀山さんは30歳で中村さん率いるトランジットジェネラルオフィスに入社する。
中村さんの記事をみて、憧れたらしい。
「当時は、まだ10店舗くらいだったと思いますね。今は140店舗くらいですから何十分の一。もちろん、これはグループのお店でプロデュースしているショップは、これ以外にもたくさんあったわけですが」。
最初に配属されたのは、七里ヶ浜のbills。「朝食が、5時間待ちってありえないでしょ」。衝撃的だったという。片道2時間、7時30分のオープンに合わせ朝5時には目黒の家をでる。
「私にとっては、何もかも新鮮でした。それまでザ・レストランで仕事をしてきましたから、とくにそう思ったのかもしれません」。
中村さんは、日本の朝食は海外に比べ、まだまだだという。時計とにらめっこしながら、白米をかき込む。海外はちがう。七里ヶ浜なら、サーフィンをしてから朝食を楽しみ、そして、仕事にむかう、そういう文化があってもいい、と。亀山さんは、「飲食に対する概念が崩れた」とも言っている。
「今は、8エリアで、銀座・横浜・二子玉川・七里ヶ浜・お台場・表参道、そして大阪・福岡ですね」。billsはもちろん、朝食文化も根付き始めている。
ところで、いつ亀山さんは社長になったんだろう?
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
0 件のコメント:
コメントを投稿