in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社珍来 代表取締役社長 清水延年氏登場。
本文より~奥様は、
口を左右に動かす。「奥様は魔女」のサマンサのしぐさ。これで魔法が、かかる。今回ご登場いただいた老舗ラーメン店、珍来の社長、清水さんの大好きなテレビドラマ。バイブルでもあったらしい。
清水さんは1964年生まれ。野球少年で、子ども頃からプロ野球選手をめざしていた。高校でケガをしてあきらめたというが、なかなかいい成績を残している。
新宿区出身だが、阪神ファン。へそ曲がりなんだそう。
「高校は千葉商科大学付属高校に進みます。野球はベスト8が最高」とのこと。ちなみに、中学の時は、成績が悪く、家庭教師を3人つけられていたという。
「大学に進学してからですが、芸能関係の仕事をしたいと思っていて、エキストラの会社に入ります。オファーもいただきました。あるアイドルのTVCMの恋人役の募集があって、3000人だか4000人だか忘れましたが、その中から最終の5人に選ばれたばかりか、プロダクションの副社長にスカウトされます」。
有名な雑誌の表紙を飾ったモデルといっしょにコマーシャルを撮ったこともある。今では有名な役者さんたちとも酒を酌み交わしている。ギャラも悪くなかった、と笑う。
19歳で、ギャラが50万円くらいだったと言うから、悪くない。一般の仕事と比較すると、とんでもなく、いい、となる。しかも、アイドルや、女優ともちかくで話ができる。
「あの頃はすごくモテていました。でも、私には心に決めた人がいたんです」。
<それが、奥様ですね?>
「そうです。反対にもあったけど、22歳で結婚することができました」。
<サマンサと出会い、結ばれたわけですね?>
「そう。もっとも、新婚生活ってどころじゃなかったんですが(笑)」。
セリカダブルXの代償。
「セリカダブルXのせいなんです」と、清水さんは笑う。話をうかがうと、たしかにとも思うが、それが運命だった気もする。
「当時はね。車がステイタスだったんです。私も大学に入るなり、免許を取って、祖父に車を買ってもらいます」。父親から、「おじいさんに買ってもらえ」と言われたらしい。
「祖父にお願いしてみたら、二つ返事でOKだったんです。その時点で怪しまないといけなかったんですが、そういうもんかって、思い込んでいたもんですから」。
後日、納車の報告に行くと、お祖父様は一言、「そうか、じゃぁ、あしたから製麺所ではたらけ」とおっしゃたらしい。
「完全に嵌められた」と清水さん。
「祖父はむちゃくちゃ怖いから、文句は言えません。仕事は、朝の4時から9時まで。休みは水曜のみ。セリカはガレージから動きません」。
一度、9時まではたらくと1限目にでられないと祖父に懇願したそうだ。その返答がシャレている。「仕事と学校のどっちが大事なんだ?」
大学生の孫は、色褪せていく学生生活を思い浮かべていた。
「うちは祖父は製麺所を経営していました。珍來製麺所を創業したのが、1928年で、のちにラーメン店の経営も始めます。私が仕事をすることになったのは製麺所です。朝のうちにつくった麺を配送しなければなりませんから、製麺所の作業は深夜から始まります。だから、私の仕事が朝4時スタートだったんです」。
策略にハマり、スタートした仕事だったが、手を抜かない。
「当時は、機械がないですから、手作業です。数もけっこうあって」。
指は膨れ上がったそうだ。
コマーシャルなどの仕事と、麺づくり。若者が選択するとしたら、前者だが。清水さんは違った。「学生ですからね。出版とか、デザインの世界へとも思っていたんですが」。
サマンサの笑顔には、勝てなかった。
結婚、しかし、ハードワークは、つづく。
「うちの爺さんは、お金などにルーズなところもありましたが、事業家としては尊敬できる人でした。じつは、いったん倒産するんですが、60歳から不死鳥のように復活します」。
<すごいエネルギーですね?>
「ですね。祖父の前では、家族もみんなタジタジです(笑)」。ちなみに、お祖父様は90歳でお亡くなりになるまで、げんきハツラツでおられたらしい。
「ただ、祖父のお金にもルーズなところが、うちの父親に遺伝します。うちはうちでラーメン店を経営していたんですが、父親は店に立つこともなく、すべて母親、任せです。祖父といっしょで博打も好きで、お金がなくなると、店に来て、レジから金をもっていくんです。そりゃ、喧嘩にもなります」。
「父親は2人兄弟で、次男です。長男、私にすれば叔父ですが、叔父もラーメン店を経営しています。祖父が亡くなったとき、私に社長をしろ、と言ったのもこの叔父です。父親がなんでオレじゃないんだって文句を言っていました。あとで会長になって黙るんですが」。
幸福な家庭は、ブラウン管の中だけ。
「だから、憧れていたんですよね。サマンサに。でも、結婚しても、新婚当時はサマンサのようにはしてやれなかったですね」。
とにかく、麺づくりがいそがしい。ハードワークで、休みもない。結婚はできたが、結婚生活はちゃんと送れない。「妻からすれば、結婚して、こちらに1人で来て、頼りの夫が深夜いないんです。そりゃ、さみしい。でも、文句も言わずに頑張ってくれました」。
奥様は、魔女ではなく、天使のような人だった。
ふたたび、珍来で。
少し整理する。清水さんは、大学を卒業してからもほかの職につかず、祖父が経営する製麺所で勤務する。卒業と同時に結婚。製麺所には、けっきょく、大学4年間と、卒業してからの2年間、合計6年間いた。
「一度、仕事漬けの日々だったもんですから、頭もおかしくなりかけて、それで、祖父と喧嘩をして、珍来をいったん離れます」。
初めて一般の企業に勤め、サラリーマン生活を楽しんでいたが、母親から帰ってきてくれ、と懇願される。
「祖父は直営で11店舗、ラーメン店を経営しています。うちのラーメン店は別で、父親が仕事をしないので、母親が切り盛りしているのはさきほどお話した通りです。その母親からのヘルプです」。
<いやとは言えないですね?>
「そうですね。イヤとはさすがに言えません。ただ、この時、初めて店にちゃんと立って仕事をするんですが、そのおかげで、製麺以外の仕事をマスターすることができました」。
今の珍来のレシピも、すべて清水さんが、再構築してできたものだ。「私にすれば、ラーメンの修業です。むちゃくちゃたいへんです。こっちは頑張っているのに、父親がふらっと来ては、レジからお金をもっていきますからね(笑)。じつは、給料だってまともにでたのは、数回です。たいてい1~2週間遅れ。そりゃ、妻はたいへんだったはずです」。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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