in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にFood Innovators Holdings Limited. 代表取締役社長CEO 久保田恭章氏登場。
本文より~フューチャークリエイトの創業に参加する。
久保田さんは1975年5月22日生まれ。
学生時代から不動産事業に興味を持ち、卒後、中堅の不動産会社に就職。同社で勤務した2年間、トップランナーとして走りつづける。
セールスマンとして、高く評価された実績をもとに、大手外資系保険会社に転職。
「当時、スターだったのが、ソニー生命のアイアンマン先輩(仮称)です。私は、アリコジャパンというアイアンマン先輩とは違う会社でしたが、アイアンマン先輩のことを知らない人はいませんでした。そのアイアンマン先輩が起業するという話を聞き、私も創業のメンバーに参加させていただきました。私は、アイアンマン先輩の下でファイナンスを勉強したかったんです」。
<それが、フューチャークリエイトですね?>
「そうです。私が26歳の時の話です」。
天才的な営業マンだったアイアンマン先輩が、創業したフューチャークリエイトは、のちに店舗流通ネットとなり、名証セントレックスに上場している。
<創業当時の話を聞かせてください>
「創業時は私を含め従業員は数名。ほぼアイアンマン先輩1人のワンマン企業といったイメージでした。売上もアイアンマン先輩1人であげていました」。
「周りは、アイアンマン先輩があげてきた契約に追われるんですが、私は、少し違いました。ファイナンスをしたかったので、アイアンマン先輩に相談します。すると『やりたければ、やれば』といった冷ややかな回答でした。ただ、『やれば』と言ってはいただけたんで(笑)」。
<1人で始められたのですか?>
「結果的にはそうですね」。
<いかがでした?>
「私がはじめて2ヵ月経った頃です。冷ややかだったアイアンマン先輩が、興味津々に聞いてくるんです。『久保田ちゃん、どうやってんだ?』って」。
話を聞くと、そりゃ、アイアンマン先輩も気になるはずだ。
7月から事業を開始して、9月には400万円の利益をあげている。「年末まで2,000万円の利益をあげ、200万円のボーナスをいただきました」と久保田さんは笑みを浮かべる。
ボーナスの額云々より、アイアンマン先輩に認められたことが誉だったにちがいない。
Win-Winのファイナンススキーム。
フューチャークリエイトは、2004年、創業から4年のスピードでセントレックスに上場している。マーケットの評価も高く、初日には値がつかなかったそうだ。
当時のビジネスの一部を、噛み砕いて説明していただいた。
「たとえば」と、久保田さん。
「5店舗を経営している会社があったとします。5店舗のうち、2店舗は黒字だけど、残りの3店舗が真っ赤でマイナスを計上していたとします。銀行は融資しますか?」。
<…難しい気がします>
「そうです。資金があれば、真っ赤な店舗を処理することもできるんですが、融資を受けられないから、それもできない」。
<手詰まりですね?>
「そういうわけです。でも、私たちは違います。銀行さんにはどう映っているかわかりませんが、私たちにすると黒字の2店舗は宝です。その黒字の2店舗をいったん買い取らせていただいて、スケールにもよりますが4,000~5,000万円をお支払いします。すると、それを再生の資金に充てていただくことができます」。
<買った店舗はどうするんですか?>
「買い取った店舗は、サブリースとして、もとの会社にお貸しして運営委託するというスキームです。だから、表面上は何もかわらず営業をつづけることができます」。
久保田さんによれば、その黒字店が、運営の問題で赤字を叩きだすようになっても、フューチャークリエイトには資産が残るからリスクも少ないそうだ。
話を聞いて、マーケットが評価したのは、このような事業モデルがあったからだと思った。従来の融資とは異なる、Win-Winのファイナンススキームである。
「2004年、上場したあと我々のビジネスは、さらにアップデートします。今度は、企業を買収して子会社化し、バランスシートを軽くするなどして、その会社を上場させるというスキームをつくります」。
ともかく、新たなスキームができ、久保田さんはその事業の担当役員に任命される。
実は、その第一号案件が、のちに久保田さんが代表を務めることになる「株式会社フーディーズ」だった。
久保田さん、共同代表になる。
第一号案件を進めるため、合計7,000万円を投資。うち2,000万円は、担当役員の久保田さん個人の資金だった。
「担当役員だからということでね。その増資が完了したのが、今も覚えていますが、2005年の5月17日です」。
「だが、インパクトでいうと、その翌日のほうが大きい」と久保田さん。「その翌日、アイアンマン先輩が逮捕されるんです」。
<まるで、ドラマみたいな話ですね?>
「そうですね。私にしても、寝耳に水です。詳細はわからないです。ただ、そうなった以上は、迷惑をかけないよう、フーディーズから身を引くしかないと思っていました。当時の社長さんにも、そうお話ししました。でも社長さんは逆に『私は久保田さんを信じてこの話にかけた。だから、久保田さんがいる限り、グループのままでいい。このまま進もう』と」。
「そこまで言われたらね」と、久保田さんはいう。行動は早い。翌6月には店舗流通ネットの役員をやりながら、フーディーズの共同代表に就任する。
久保田さん、どうするの?
久保田さんが、フーディーズの経営に注力するなか、店舗流通ネットでは多士済々なメンバーの思惑が交錯する。
久保田さんが知らないうちに、店舗流通ネットはファンドに売却されてしまった。役員の1人から声がかかる。「久保田さん、どうするの?」と。
「どうするって言われてもね。私は全然知らなかった。私以外の役員たちが決めたんです。株価もダダ下がりでしたし。ファンドを起爆剤に、もう一度ということだったんでしょう」。
「彼の質問は当然、私自身もそうですが、フーディーズをどうするのかということ」と久保田さん。
道はそう多くない。ただ、店舗流通ネットに残る選択肢はなかったのではないか。
「そうですね。それはない。私は、所有していた店舗流通ネットの株式をすべて売却し、その資金で、店舗流通ネットが所有していたフーディーズの株式をすべて買い取りました」。
総額、いくらだったんだろう。
ちなみに、久保田さんは「昭和50年生まれで、最初に四季報に載った」と笑う。「あれが、29歳でしょ。そして、フーディーズの株式をすべて買い取ったのが31歳。わずか2年だからびっくりしますね」。
<まるでジェットコースターですね?>
「まだまだ話は今からです」と、久保田さんは笑う。
迷走か、それとも。
「店舗流通ネットから株式を買い戻して、新体制でスタートしたのが2006年です。その時、フーディーズのメインブランドは『刻』でした」と久保田さん。
1年程度で、投資回収が可能なパッケージだった。
「わかっちゃいたんですが、スケルトンで『イベリコ豚の専門店』といった格好いい店をやってしまうんです。はい、大失敗です」。
「ベンチャーキャピタルにも出資いただいていたんで、損はさせられなかった」と久保田さん。
「その時、パソコン関連の会社から、ベンチャーキャピタルの出資分を買い取ってくれるという話があり、いったん、その傘下に入ります。ただ、様々な会社を子会社化する一方で、本体の経営がうまくいかなかったんでしょうね。子会社の整理が始まります。うちにもすぐに『でていってくれ』と(笑)」。
<それは、きついですね?>
「ですね。年末までと言われて、余裕がありませんでした」。
<どうされたんですか?>
「知人が日本振興銀行グループ社長をやっておりましたので、日本振興銀行の会長をご紹介いただきまして」。
「お会いした時、会長は私のビジネスモデルを絶賛してくださるんですが、それ以上、話が進まない(笑)。1回目が『いいね』で終わり、2回目もそんな感じで、12月の期限が近づいてきます」。
あまり興味ない本を読まない久保田さんだったが、この時ばかりは会長の著書を読みあさったという。
「3回目の時に、ストレートに『どうすれば、日本振興銀行のグループに入れていただけますか?』と」。
会長は、その一言を待っておられたんだろうか。はじめて久保田さんの役員報酬についての条件を示され、久保田さんが一番下のランクからお願いいたしますと言うと、久保田さんの前に、会長の右手が差し出されたそうだ。
シェイクハンド。
久保田さんは今もその時の感覚を忘れてはいない。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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