2024年10月16日水曜日

株式会社ジェイライズ 代表取締役社長 長縄賢司氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ジェイライズ 代表取締役社長 長縄賢司氏登場。

本文より~

360度、敵ばかりの小学生時代と、サッカー部でハードなトレーニングに明け暮れる中学生時代と。

「いじめられっ子だった」と長縄社長。「背が低く、ひんじゃく。勉強もできなかったしね」と笑う。うまくはなかったが、サッカーは好きだった。少年団に入っている。いじめに関しては「小学5~6年生のときがきつかった」という。
「からかわれたり、ハブられたり、かつあげされたり。お金をもってこいって、要求されるんです。だから、母親の化粧箱から、500円をとって」。「先生も、クラスでなにか問題があって、それに私がからんでいると、私を責めるんです。それがいちばん楽な解決方法だったからじゃないかな」。
せめての救いは、「バカだったこと」と長縄社長。「バカだから、すぐ忘れられる」と笑う。乾いた笑いだった。今の長縄社長からはイメージしにくい少年時代である。
<いじめがなくなったのは、いつごろですか?>と質問すると、「中学になってからですね」と長縄社長はいう。
「背が高くなりましたし、ほかの小学校といっしょになるんですが、その学校の親玉みたいな子とともだちになったからじゃないかな。私自身、外へ、外へでるようになりました。サッカー部だったことも大きいかもしれません」。
岐阜県ではサッカーがつよくて有名な中学校だったそうだ。同級生は20人くらい。
「辞めるなんて許されません。とにかく、先生がむちゃくちゃこわい。手を抜くと、ボコボコにされます(笑)」。
サッカー部だが、全員丸刈り。トレーニングもハードだ。
「やめない、逃げない性格になったのは、この頃。気合と根性。だんだん飲食店のオーナーみたいになってきましたね(笑)」。
6時半にグラウンドに行って朝練開始。たいへんだったが、いじめにあっていた時と比べれば、なんてことなかった。手を抜くこともない。先生に殴られるからではなく、それが、たのしいから。
サッカーにはのめり込んだが、勉強は、イマイチ。
「進学した高校の偏差値は、30もなかったんじゃないかな」と笑う。通知表は、基本「1」。とくに数学が苦手だった。テストは、5教科の点数をすべて合算しても100にならなかった。
「先生に勧められたんですが、名前を書けば入学できる学校とはね(笑)。通学はたいへんで、電車で1時間以上かかりました。たいへんでしたが、いいこともありました。遠いからバイトがバレなかったんです」。

バイト代が、たまる、たまる。

今回ご登場いただいた株式会社ジェイライズの長縄社長は、1977年2月1日生まれ。岐阜県出身。サラリーマンだったお父様は、長縄社長が小学3年生の頃、起業し、のちに大手焼肉チェーン「焼肉屋さかい」のフランチャイズ店をオープンされている。なんでも、フランチャイズ1号店だったらしい。
「高校時代は、バイト一色ですね。親父の店も手伝いましたし、パチンコ店の掃除、道路交通調査の短期バイトとか」。ひと夏で15万円かせいだそう。
「ふつうの月は、8万円くらいです。はたらいて、お金をもらう、それが楽しかったですね。ただ、趣味もそうないし、案外、手堅い性格だったんで、ほぼ、貯蓄です。お金がたまっていくのも嬉しかったですね」。
毎月8万円。夏を入れて、年間100万円程度になる。
「高校卒業までに200万円貯蓄することができた」と長縄社長。夏休みの生活は、「バイトをして、朝までマージャンして、モーニングを食べる」だったそう。ちなみに、免許を取って、中古のシルビアをキャッシュで買っている。

「かっこいい」で、スイッチが入る。

<卒業後は、どうされましたか? やはり就職?>
「そうですね。100%就職って学校ですから。私は、旅館に就職しました。ただし、希望のフロントではなく、雑用ばかりで、1年で退職します。そのあと、自動販売機にジュースを補充する仕事に就き、こちらは4年間、勤めます。給料は低かったから、高校のように貯金はできなかった(笑)」。
<独立のきっかけは?>と、うかがうと「岐阜駅前にあった『扇屋』というお店が繁盛していたから」との回答。ただ、よく聞くと少し様子がちがう。
「じつはね、焼き鳥を焼いてるスタッフがちやほやされているんです。女性から、電話番号をもらっているのをみて、これだ、と。だって、私がみても、かっこいい仕事でしたら」。
<ということは、そちらではたらくわけですね?> 「いいえ、そういう発想にはならないんです。父親がフランチャイズ店をやっていたからでしょうね。お店はちがいますが、扇屋さんがFC展開をされていたので、私もフランチャイズに加盟しようと思うんです。父親に連帯保証人になってもらって、資金を借り入れました」。
その時の投資額を聞いて驚いた。
建設費込みだが、4000万円。経験もない23歳の青年の、とんでもない勝負が幕をあける。ロケーションは、江南、郊外型で建坪25坪。パーキング含めると209坪あったそうだ。家賃は25万円だったというから、こちらは、坪数からするとかなり安い。
<どうでしたか?>
「めちゃくちゃ儲かりました。すぐに2号店をオープンします。損益分岐点がいずれも400万円くらいで、900万円までいっていましたからね」。
毎月、ウン百万円が、残る。投資額もなんなく回収できたにちがいない。ところだが、2001年「道路改正法」が施行されると、状況はいっぺんする。郊外型の居酒屋からはとたんに客がいなくなった。
「うちも月商が300万円に落ち込みます。1店舗を売却して、それでなんとかしのぐことができたんですが。ただ、ラッキーだったのは、お金を使う時間がなかったから、たまっていたんです。だから、食いつなぐことができました」。
このあと、2008年、長縄社長は鉄板焼店をオープンするのだが、空白の期間もあった。その間が「もっともつらかった」と本音を漏らしている。
「飲食店って、やれば儲かるもんじゃなかったんだ」。
長縄社長は、客がいなくなった店内で1人つぶやいたかもしれない。
ちなみに、こちらの鉄板焼きをスタートすることになった理由もふるっている。
「ある店で鉄板焼きを担当しているスタッフさんがモテモテだったから」。
シンプルだが、人間、案外、そんなところにつぎに進むスイッチがあるのかもしれない。

・・・続き

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