in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社JAM Restaurant Corporation 代表取締役 飯高晶之氏登場。
バスケとギターと。
「剣道から逃げ出したいと、バスケを始めた」と笑う。小学5年生の頃の話。
「スラムダンクの影響もありましたが、剣道を辞める口実になれば、正直、なんでもよかったんです」と、今回、登場いただいたJAM Restaurant Corporationの代表 飯高 晶之さん。
何でもよかったわけだが、才能があったんだろう。中学に上がると1年からレギュラー。ただ、調子に乗りすぎてこっぴどく叱られ、反省する。素直に、反省するあたり、ピュアな少年だったにちがいない。
「チームをはじめて意識したのも、この時」と、飯高さん。やがて、飯高さんは、キャプテンを務めることになる。
高校は推薦で、日体荏原へ。いよいよ、高校デビュー。ハイレベルな世界が観られると思ったやさき、挫折のにがさを知った。1年の時に、股関節の炎症を起こした飯高さんは、けっきょく退部してしいる。
好きなバスケットボールから離れたことで、鬱屈した高校生活がスタートする。そんな生活をいっぺんさせたのが、ギターだった。
「これも、きっかけはなんとなく。ともだちのバンドを観てシンプルに『面白そうだ』と思ったのが始まりです。モテそうだし、やってみるかなと高校3年生の時に初めてギターを弾きます」。
ギターと、ボーカルも時々務めた。好きなアーティストは? とうかがうと、ラモーンズやクラッシュ、ビートルズなどの名が挙がった。
「大学進学は頭になかった」と飯高さん。
<バンドで食べていく?>
「そう。仲間といっしょに割といいところまでいったんですけどね」と笑う。
バイトでスーシェフに。そして、独立。
飯高さんは、1982年に東京都大田区に生まれる。お父様は、不動産業をされていて羽振りもよかったそうだ。
「小さい時から海外によく連れて行ってもらいました。最初に行ったのはフィジーです。これが6歳くらいの時で、小学生の頃にはハワイとかサイパンとかにも」。
ただ、中学に上がると、思春期に突入。「親といっしょに行くのが恥ずかしくなって、行かなくなった」と笑う。
バスケットボールに熱中したことも理由の一つだったにちがいない。
さて、そのバスケットボールからも離れ、バンドからも離れた飯高さん。つぎに出会ったのが、飲食だった。
「渋谷にある中華料理店でスタートして、系列のお台場のイタリアンに異動します。21歳頃の話です」。
最初は、とくに面白いと思っていなかったそうだが、だんだんと飲食の世界に惹かれるようになった。
「その店で2年半はたらき、独立します」。バイトだが、スーシェフになっている。
ただ、2年半は、早い。
「そうなんです。ただ、独立しようと思って辞めたわけじゃなくって、最初は海外を放浪するつもりだったんです」。
海外は小さな頃からなんども行ったから、興味もあったし、ふつうの人と比較してハードルも低かったにちがいない。どこに行くつもりだったんだろう。
だが、お姉さんの一言で、海を渡ることはなくなった。
投資額300万円の小さなイタリアレストラン。
「姉が大田区の池上にある物件を紹介してくれたんです。親父の会社で、仕事をしていたからなんですが」。
調べてみると、300万円くらいでオープンできそうだった。
「独立するなら若いうちがいいでしょ。失敗してもリカバーできるし、リスクも少なそうだからやってみようかな、と」。
<それが、始まり?>
「そうです。もともと計画していたわけじゃないし、そういう意味では、創業したのも、たまたまそういうタイミングだったというしかないですね」。
<いかがでした?>
「食べていけるくらいで、パッとしませんでした」と飯高さんは苦笑する。
「ただ、今、うちの幹部は、その時のお客さん。カウンターの向こうから『はたらかせてください』って言ってきてくれた連中なんです」。
業績はともかく、若者が惹かれる何かがあったのはまちがいない。そして、彼らの選択もまちがっていなかった。
ホームページをひらくと、うつくしい飲食の世界が目に飛び込んでくる。その始まりが、この家賃15万円の小さなイタリアレストランだったというから、感慨深い。
ちなみに、グルメサイトもみたが、すべてのブランドで高い評価点を獲得している。お台場のレストランで、わずか2年半でスーシェフに登り詰めたことからもわかる通り、料理の才能も豊かだったんだろう。
<バスケもそうだし、ギターもそう。なんでも、簡単にできちゃうんですね?>と軽く話をふると、「でもね、突き詰めたことがなかった」と意味深な回答。
料理は、奥が深い。経営も、突き詰めなければ、意味がない。その裏返しのように聞こえた。もう、創業して18年目になる。
2年半のスパンでオープンする新ブランド。
「ほぼ2年スパンで出店している」という。2024年6月現在、以下のブランドをオープンしている。
<豚とワインを愉しむ本気イタリアン「Gazzo」>
<大型パーティも可能なイタリアン「Allegro」>
<フランス料理・ウェディングレストランJAM ORCHESTRA(ジャムオーケストラ)>
<銘柄鶏や地鶏を使った鳥料理と水炊き鍋料理の居酒屋鳥肌(とりはだ)>
<レストランウェディング対応可能なイタリアンレストランAllegro Kanazawa(アレグロ カナザワ)>
<イタリアンレストラン・ジビエ料理・炭焼き肉バル「braceria BAVA(ブラチェリアバーヴァ)」
いずれも評価点が高いのは、すでに表記した通りだが、百聞は一見に如かずのことわざ通り、興味がある人はぜひ、ホームページをご覧いただきたい。熱量まで、伝わってくるはずだ。
飯高さんは、理不尽をきらう。バイト時代には、その日の気分で仕事をするシェフが気にくわなかった。だから、負けるものかと、朝から晩まで料理と格闘した。
その2年半について、くわしく語らなかったが、けっして才能の一言で片づけてはいけない苦労も、努力もあったのは、まちがいない。ゴツゴツした岩にぶつかり、飯高さんの人格もまた磨かれたにちがいない。
その人格に惹かれ、40名の社員が、いま飯高さんの下ではたらいている。社員の半数が料理人というから、組織は重層だ。女性スタッフも多いらしい。
ちなみに、社員は、最良2年で店舗を異動するそうだ。だから、交流も盛ん。その結果、チャレンジできる風土も、根付いている。
とかく、レストランが評価されがちだが、それ以上に組織が評価されてもいいのではないかと思った。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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