in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に東京レストランホールディングス株式会社 代表 石川成秀氏登場。
19歳の店長、24歳だと、サバを読む。
「19歳でレンタルビデオショップの店長になった」と笑うのは、今回ご登場いただいた東京レストランホールディングス株式会社の代表、石川成秀さん。
今回インタビューさせていただいたのは、2024年7月だから、57歳になられたばかり。初めて店長になってから、もう40年ちかく経っている。
「早く社会にでたかったのと、パソコンに興味があったので高校を卒業してすぐにパソコン関連の会社に就職しました。その会社の副社長がレンタルビデオショップを始められて、19歳だった私が店長に抜擢されたわけです」。
地域最大級の大きさで、駐車場を含めると100坪はあったというから、かなりでかい。
「ビデオを仕入れるだけで、数千万単位にお金がかかりましたが、レンタルビデオの走りで、大人気でしたから回収も早かったです。波に乗って、いっきに6店舗までオープンします」。
埼玉に3店舗、都内の足立区と墨田区に3店舗と、つぎつぎと新店がオープンしていったらしい。そのすべてを石川さんがコントロールしていた。その時で、若干、22歳。
ただし、27歳と思い込んでいたスタッフもいたかもしれない。何しろ、店長になったのは、19歳。「私より年上のスタッフばっかりだったから、24歳って誤魔化していた」そうだ。
レンタルビデオショップ。
「小さい頃は、生き物が好きだったので、そっちの仕事に就きたかったんですが、ちょっと食べていけるイメージがなかったので(笑)」。
石川さんは、やさしげな表情でそういう。出身は千葉県千葉市。4人兄弟の3男。お父様はスクラップの買取販売をされていたそうだ。
小・中はサッカー。「走ってばかりだから、高校からは陸上に転向した」と笑う。そして、高校卒業後、すでに記載した通り、パソコン関連の会社に就職し、副社長に気に入られ、1年後にレンタルビデオショップの店長に抜擢される。以来、42歳になって会社を退職するまで、石川さんは実質トップとして、このレンタルビデオショップの運営を行っていくことになる。
気になったので調べてみると、石川さんが店長になった1986年は、レンタルビデオのマーケットの黎明期。当時はオープンすれば、客でにぎわったそう。ただ、2000年代に入り、セルDVDの価格が下落したことなどを背景に、レンタルのマーケットは縮小していく。
今や、映画もネットで観られ、購入もできる。ずいぶん、時代も進化したものだが、その一方で、レンタルビデオショップは姿を消していく。ただし、石川さんが退職することになったのは、時代の移りかわりだけが理由ではないらしい。
「実は、私の母親がお好み焼きのお店をオープンするんです。それが一つの転機になりました。同時に、若い世代につぎのステージを渡してあげたくて、会社を卒業することにしたんです」。
お母様は60歳になってお店をオープンされたそう。会社を畳まれたお父様と二人三脚だったらしい。母の思い切った行動が石川さんの背中を押したのかもしれない。
いきなり、社長に抜擢される。
「ショップの運営を長くやってきましたが、飲食店の経営は初めてでしょ。それで、すでに飲食店を経営している知人に相談したんです。それが東京レストランホールディングスのオーナーだったんです」。
オーナーと石川さんは同年代。話も合い、石川さんは、すぐに社長に任命される。「最初は、ただ勉強させてもらうだけのつもりだったんですが」と石川さん。
すでに社長になって、15年になる。店長にも、社長にもいきなり登用された石川さんだが、そこに石川さんに対する評価が表れている気がする。
「最盛期は、焼肉店が10店舗。今は、焼肉、レストラン、ケーキショップで、実質8店舗ですね」。ホームページをみると、おしゃれなレストランが登場する。
「恵比寿 SO-TEN」。こちらは、和風モダンをコンセプトにした5階建てのレストラン。グルメサイトの評価点も高い、高い。「Mancy's Tokyo」。こちらは、ナチュラルなイタリア料理を楽しめるカフェレストラン。食事だけではなく、カラオケも楽しめる。
ホームページによると、「最新のカラオケをはじめとした様々なファシリティを備えたラグジュアリールームからなる、全く新しいTOKYOの『アソビバ』」が、コンセプトとのこと。
大人びたラグジュアリールームのイメージだが、本日のランチをみると、お子様用のボロネーゼ(鷹の爪、黒胡椒抜き)があって、なぜかほっこりした気分になった。もちろん、こちらも高得点を獲得している。
ちなみに、「Mancy's Tokyo」は、あのマハラジャの跡地にあるらしい。
・・・続き
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