2024年11月5日火曜日

有限会社ケイキフードサービス 代表取締役 増田圭紀氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”有限会社ケイキフードサービス 代表取締役 増田圭紀氏登場。

本文より~

少年時代に、はやくも独立を志す。

徳島県、出身。もともとお父様が徳島で和食店を経営されていたそうだが、増田さんが小学低学年の時に渡米。サンノゼで鮨屋をオープンされたそう。
父親の影響だろうか。少年時代から独立を志していたという。
「小学校の低学年の頃にはもう独立する気満々でした。算数や数学は独立に役立つと、それだけはちゃんと勉強していたくらいです」。
「高校はすぐに退学しています。このままだと流されてしまうと思ったからです。そのあと、居酒屋に就職します。父にも呼ばれてアメリカにも行きました」。
3ヵ月くらいいたそうだが、「アメリカはちっとも面白くなかった」と笑う。
「父は私にアメリカの店を継がせたかったようですが、言葉も全然、しゃべれないのに、そりゃ無理ですよね」。
数学だけじゃなく、英語もいるとは、さすがに想像外。もっとも心が動かなかったのは、父の店を継ぐつもりがなかった証。
ちなみに、徳島にあった和食店は、お母様が引き継がれたそうだ。
「小さい時は野球をしていました。ピッチャーかショート。キャプテンも務めていました。高校は、飲食の免許が取れるとの触れ込みだったので、そちらの高校に進んだんですが、さきほど言ったように、すぐに退学します。2週間しかいなかったです。入学してすぐに、この学校に3年通ったら、絶対、遊び人になってしまうと思ったからです(笑)」。
中退というレッテルは気にならなかった。中卒も、高卒も、大卒も経営者には関係がないからだ。

少年、東京へ。

海の向こうから、そんな息子をみて、お父様はアメリカに誘われたんだろう。増田さんが17歳の頃の話だそう。
ホームページで増田さんは、<私は実家が和食料理屋だったということから、自然な流れでこの世界に入りました。15歳から徳島、そして大阪で修行生活を送った後、ご縁があり19歳で東京に出てきました。>と綴られている。
大阪というのは、食い倒れの街のど真ん中、心斎橋。
「じつはその頃から、ちょくちょく東京に遊びに来ていたんです」。まだまだピュアな青年。「東京には、観たこともないようなレストランやカフェがあって、もう最高でした。それで、たまらなくなって、東京へ移住します。19歳の時です」。
<その時に出会ったのが「魚真」ですか?>
「そうなんです。有名な魚屋さんの飲食部門で、私はその『魚真』に就職します。父や母の背中をみて、飲食に惹かれ、独立を志しました。修業もしました。ただ、私の今の原点はというと、こちらの『魚真』です」。
増田さんが修業していた時から、かなり経つが、「魚真」さんは今も元気に経営されていて、都内に数店舗をオープンされている。さすが、魚屋の飲食部門、グルメサイトの評価点はすこぶる高い。

次の道探し。

「合計8年お世話になりました。社長が目をかけ、かわいがってくださいました。もう感謝しかないですね。『魚真』を選択した理由ですか? それは、たまたま下北沢を歩いていて。ちょうど魚を勉強したいと思ってたタイミングだったので、ここがいいかな、と。ほんと、偶然だったんです」。
<いかがでした?>
「むろん、勉強になりました。1年くらいで原宿に異動になります。東京なんて、徳島生まれの私からすれば、異国です。なかでも原宿ですからね。ただ、ネオン街の下でも、ちがった道に進まず、料理に真剣に向き合えたのは、やはり『魚真』だったからじゃないでしょうか。」
<それだけ仕事に魅了されたということですね?>
「そうです。『乾いたスポンジ』って、よくそういう表現をされると思うんですが、まさに、その通りで、吸収の8年間だったと思います」。
<少年時代から目標だった独立はどうなりましたか?>
「独立はもちろん、忘れていません。25歳で独立をめざしていたんですが、若くみられたのか、どこの不動産に行っても相手にされません。当時は、ネットなんかない時代です。だから、あっちの駅で降りて、こっちの駅でも降りて。まぁ、それも宝探しなんですが、みつけても若造だって相手にされない。それで、先に法人を設立しました」。

魚真からの独立。

さて、ここからが、今回の本番。
増田さんは28歳で、「魚真」から独立。自由が丘に創業店をオープンする。すると、初月から月商600万円を叩き出す。「600万円から翌月には700万円、さらに800万円となり、1000万円をオーバーするようになりました」。
22坪40席、家賃63万円。
「私のプランでは、2000万円は必要だったんですが、銀行、公庫を合計しても1000万円くらいしか貸してもらえませんでした。でも、もうあとにはひけなくて。じつは魚真の社長から800万円お借りしました」。
社長に相談すると、すぐに貸してくださったそうだ。もちろん、恩人からお借りしたぶん、プレッシャーはでかい。「半年は1日も休まなかったですね」。
<ふんばりどころですものね?>
「そうです。当時、自由が丘には、それほど多くお店がありませんでしたし、若い兄ちゃんが魚を巧みにさばいて、ライブでお出しするようなお店もなかった。それが、功を奏したんだと思います。社長にお借りした800万円はすぐに返済できました」。
<2年目には2号店をオープンしていますね?>
「55坪85席くらいで、個室を多くしました。家賃は150万円。ただ、私が新店をカバーすると、本店の業績が下がります」。
「月商300万円まで激減した」というからヤバイ。やはり、飲食はシステムではなく、人なのだろう。その一方で3店舗目を目黒にオープン。業績が落ち込んだ本店は、沖縄料理に業態変更する。
「最初は、さらに下がったんですが、しばらくしてV字に回復します」。
うまくいかなくても、ひるまない。類まれな行動力で突破する。

・・・続き

有限会社ケイキフードサービス 代表取締役 増田圭紀氏

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