in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社タケノ 代表 竹野 孔氏登場。
スパルタな父と竹野少年。
ハーレーダビットソンを駆る。
「32歳で降りて、52歳で復活した」という。今風にいうとイケおじ。父親のあとを継いで、飲食の世界に入る。ただし、大学は商学部に進み、税理士か、会計士になろうと思っていたそう。「確実に飲食はやってなかった」と笑う。
今回、ご登場いただいたのは、福岡を中心に「博多竹乃屋」などの飲食店を多数展開する株式会社タケノの代表、竹野 孔さん。1955年生まれだから、インタビュー時で69歳。
1955年といえば、終戦から10年。「当時の記憶はもちろんないですが、その頃は、饅頭屋をやっとったみたいですね。そのあと食堂をはじめます」。
とにかく、お父様はスパルタで、なにかあればビンタがとんできたんだそう。小学2年生の頃から出前の器の回収が竹野さんの仕事。
「食堂はもちろん記憶にあって、最初は小さなお店でしたが、やがて大きくなって席数も100席になって、従業員さんも10人は住み込みではたらいていました」。
さぞ、にぎやかだったことだろう。ちなみに、竹野さんは、小学校から空手を習っている。中学・高校は柔道。中学・高校ではキャプテンを務めている。市の大会では3位にもなっている。
小学校の先生は、人生の恩師。
竹野さんに、恩師の話もうかがった。
「恩師といえば、小学5年、6年の担任の先生です。のちに市会議員になられた方で、じつは私の結婚式では仲人を務めてくださいました」。
どんな先生だったんだろう。
「親父といっしょで、とにかくスパルタです。私なんか窓枠に正座させられたことがあります。ただ、理不尽なことはけっしてされなかったですね」。
拳骨はくらったが、「深い愛情が込められていた」という。残念ながら、今では、たぶんめったにお目にかかれない、昭和の先生像。
「先生は10年前に亡くなられたんですが、奥様とは今でもお付き合いがあって、お中元やお歳暮はお送りしています」。
先生に叱られるやんちゃぶりと同時に、恩師と慕う、その様子に竹野さんの人柄が浮かび上がる。
先生は、子どもたちにこう言われていたそうだ。
「100冊の本を読むより、1人の人間に出会え」と。
正鵠を得ている。その一言からも「実」を大事にする教師の姿が浮かび上がってくる。「先生から、負けん気や根性、そしてただしい行いを叩き込まれた」と竹野さんは、目を細める。
同窓会には、先生も毎回、出席されていたという。
竹野さんは、スポーツだけではなく、勉強もできたから、先生にとっても自慢の生徒だったにちがいない。
「百姓をなめるな」、父の一喝。
中学でもいい出会いはあった。柔道部の顧問。小学校同様、スポーツも勉強もできる少年は、やんちゃだが可愛がられたにちがいない。
高校は、福岡でもトップクラスの高校に進んでいる。
「でも、そこは第一志望じゃなかったんですよね、じつは」。
<どういうことですか?>
「じつは、農業高校に進みたかったんです」。
<農業ですか?>
「めずらしいでしょ。でも、当時は、真剣にそう思っていたんです。30年くらい前にはうまくいかなかったけど、まいたけの栽培もしていましたし、今も養鶏所をやっています。親父のほうの本家が農業をやっていた影響もあったんでしょうね」。
ただ、話をうかがうと、その本家を知っているお父様が反対されたそうだ。「これから農業では食べていけない」。諭すのではなく、「百姓をなめるな、とお茶をぶっかけられた」と笑う。
<それで、進学校ですね>
「そう、でも、進学校にいくとみんな頭のいい奴ばかりでしょ。もう、勉強もしないし、けっきょく2浪してね。21歳の時に起業しています」。
大喧嘩の翌日、現れたのは。
浪人時代は「夜警室で、1年半生活した」と竹野さん。その経緯がふるっている。「高校を卒業してですね。中洲って繁華街があるんですが、そこでね。大喧嘩をやらかすんです」。
<竹野さんがですか?>
「そうです。でも、相手が悪かった」。
<悪い?>
「あちらの人で」と竹野さんは苦笑する。
あちらとは、ヤクザさんのことだった。ボコボコにしてしまったらしい。
「歯も何本か折れとったからね」と竹野さん。
<どうなったんですか?>
「その翌日、黒塗りの車が5台、うちの前に。事務所に連れていかれました。まぁ、やばい状況ですね。それで、そっち系の先輩がおったんで、電話貸してもろて。話をつけてもらいました。ただ、治療費は払えって言われて。当時のお金で15万円。こっちも痛かったですよ」。
<それで夜警室?>
「そう、それでね。親父が、さすがにこいつはろくな奴にならんと。私が、頭があがらん高校時代の先輩のことを知っとったんで、相談にいったんです。その先輩が夜警室で司法試験の勉強をしとったんですね。で、今日から竹野も、ここで勉強しろ、と」。
とんだエピソードだが、小学生の恩師の言葉が思い浮かぶ。100冊の本より、1人の人間。その金言通り、人との出会いを大事にしてきたからこそ、みんなが手を差し伸べてくださったんだろう。
今もまたそうかもしれない。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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