in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社スタイルズ 代表取締役社長 堀江武吉氏登場。
小学生、氷上でスティックをにぎり、パックを追いかける。
アイスホッケーというと北国のスポーツだと思い込んでいた。今回、ご登場いただいたスタイルズの堀江社長は広島県で、小学1年生からアイスホッケーを始めている。気になって調べてみると、南国の沖縄にもアイスホッケー連盟なるものがあったから、アイスホッケー=北国というのは、私の思い込み以外なにものでもなかった。
ただ、アイスホッケーが盛んな北海道の苫小牧などを除けば、競技人口は少ない。堀江社長も「大人といっしょに練習していたから、子どもだからって手加減はなかった」と笑う。
ちなみにアイスホッケーは、ワンチーム6名。スティックをにぎり、滑りながらパックを追いかけるスリリングなスポーツ。氷上の格闘技と言われている。防具も重く、一般用だと10キロもある。いずれにしても子どもにはたいへんなスポーツだ。
堀江社長も大会にでたというので、もう一度調べてみると今年(2024年)も、苫小牧で大会が行われていた。もちろん、広島県も参加。ちゃんと「少年の部」もあった。
「たまたま母親について行ったボウリング場に併設されたスケートリンクでアイスホッケーをしていて。それをみて、かっこいいなと思ったのがきっかけです」。
以来、高校までクラブチームでアイスホッケーをつづけている。ポジションは、ゴールキーパー。
父親は11人姉弟の末っ子。母親は、アマチュアだがボウリングの選手で、全国的な大会にも出場されている。
堀江社長は広島市の白島町生まれで、一人っ子だそう。白島町は、広島城下町に位置する町である。
アイスホッケー、サッカー、器械体操、サーフィン、好奇心は止まらない。
高校を卒業した堀江社長は東京の大学に進学する。「これが一つのターニングポイント」とのこと。ただし、東京の大学を選択した理由は至ってシンプル。
「バク転したかったから高校から器械体操を始めます。アイスホッケーもつづけていました。そして、もう一つ、高校3年生からサーフィンを始めるんです。サーフィンといっても瀬戸内海には波がないから、ともだちの兄に日本海に連れていってもらって。でね、サーフィンの雑誌をみてると、湘南とかがでてくるんですよ」。
<それで、東京へ?>
「広島からだと、ふつう福岡か大阪なんですけどね(笑)。1年浪人して関東学院に進みます。大学時代はバーミヤンなど飲食店でバイトをします。私の飲食の原点ですね。明治大学に友人がいて、アイスホッケーも同好会でつづけます」。
<活発な学生生活ですね?>
「東京にでてきてよかったのは、基本、あそびを通じてですが、いろいろな友人ができ、ネットワークが広がったことですね」。
サーフィンに、アイスホッケーに、バイトに、勉強を少々。小学校からはじめたアイスホッケーをつづけながら、中学はサッカー、高校は、器械体操とサーフィン。スポーツのキャリアは多彩の一言。
好奇心が止まらない。
様々なスポーツに挑戦することで人格が確立し、ネットワークが広がっていった。
異動先は、店舗開発。
大学を卒業した堀江社長は、カフェ・ド・クリエを運営するカフェチェーン「ポッカクリエイト」に就職する(現在、ポッカクリエイトは解散し、C-Unitedがカフェ・ド・クリエを運営している)。
「同期は10人。ただし、男性は私1人だった」と笑う。女性9人のなかで、男子1人。
「初めはカフェ・ド・クリエの桜木町店に配属され、店舗業務を務めます。大学時代のバイトを通じて、飲食っていいなと思っていたので、店舗業務の仕事はたのしかったです。ただ、しばらくすると『本社に来て、店舗開発をやれ』ってなるんですね(笑)」。
これが、もう一つの始まり。もう一つのターニングポイントだ。
ミッションは<1日100件の不動産を回り、名刺交換をする>こと。名刺が猛烈な勢いでなくなり、なくなった分、ネットワークが広がっていく。
「ポッカクリエイトには4年務めました。不動産関係のネットワークもそうですが、異業種交流会で、同業の部長さんや課長さんにお会いして、その方々と情報交換することで横のつながりが生まれました」。
「ただ、カフェ・ド・クリエは間口が広くって、フランスのカフェのように外に席を設けられる物件という条件があったので、クリアする物件自体ごくわずか。しかも、ファストフードや牛丼、ラーメン店などの競合もおなじ物件を狙ってきます。だから、じつは、実績を残していないんです」と苦笑する。
このあと堀江社長は、かつて隆盛をほこった飲食チェーンのタスコシステムに転職。テイクアンドギヴ・ニーズやエスクリといった企業も経験する。
もっとも仕事内容は、店舗開発一筋だ。
いずれの企業もタイミング的には絶頂期だったらしい。しかし、最初の2社と、3社目からは業態もずいぶん異なっている。
<どうして、ブライダル業界へ?>という疑問が浮かんでくる。
好奇心がいざなう。ブライダル業界へ。
「きっかけは人材紹介会社さんからのアプローチです。話を聞いて、え、結婚式場?ってなるじゃないですか。分野がちがいますからね」。
<でも、興味がわいた?>
「そうなんです。分野がちがうから、逆に好奇心が刺激されて。結婚式場の開発ってどんなんだろう?って。でね、面接に行くと知人がテーブルの向こうに座っていて。『よう、久しぶり』って(笑)」。
<面談されたのが、お知り合いだったんですね?>
「学生時代からの知人でした(笑)」。
さすが、ネットワークが広いだけある。
ポッカクリエイトにも、タスコシステムにも4年程度いたから、テイクアンドギヴ・ニーズに転職したのは、30歳くらいのとき。
「テイクアンドギヴ・ニーズからエスクリに移るんですが、この2社での経験は今に直接つながっています。テイクアンドギヴ・ニーズには4年程度、エスクリには1年半くらい。そして、スタイルズを設立します」。
話を先に進める前に、スタイルズについて少し説明しておこう。
スタイルズは現在、岡山、京都、名古屋、横浜で、ブライダル会場と、そこに併設したレストランを運営している。ホームページで確認いただくと話ははやいが、いずれも晴れのひと時を演出するにふさわしい造りになっている。
独立、スタイルズ設立。
設立までの経緯も気になるところだ。
「ウエディング会場の開発などをしていましたら、ますます交友関係もネットワークも広がります。そのなかでブライダル関連の事業をされている方と知り合い意気投合し、資金のサポートを受け独立します。また、不動産関連のネットワークもあって、岡山の物件を紹介いただきました」。
<岡山駅ちかくのランドマークの最上階ですね?>
「そうです。クレド岡山という大型ビルの最上階、式場だけで1フロア・300坪以上ありました。そちらが創業店となります。ロケーション的にも恵まれていましたし、当時はまだ、今のようにカップルも少なくなかったので(笑)」。
半年後には京都に新たな会場をオープンしている。こちらは、京都東山にたたずむ和の邸宅。投資額は創業店と比較しても格段にアップしたが、それに見合う売上を叩き出すことになる。
タイミングもよかったのだろう。画一化された結婚式とは異なる、ユニークで、おしゃれな式がブームになっていた頃だ。
<その後、名古屋、横浜ですね?>
「5年後に名古屋かな。じつは、京都から名古屋までの間にイタリアンのレストランをするんですが、これはちょっとうまくいかなかった」と笑う。
「慢心していたから」と笑われていたが、それ以外に特に躓いたことはなかった。経営者としてのセンスと手腕が、いかに優れているかを表していると言えるだろう。
だが、一つ、先行きがみえなくなったことがある。コロナ禍だ。
・・・続き
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