in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に有限会社オーベルジーヌ 代表取締役社長 髙橋祐介氏登場。
髙橋少年と、少年を取り巻く人たちと。
創業者は、お祖母様だそう。
「曽祖母が長者番付にも載るくらいのお金持ちでしたから、祖母もお金持ちです。父親は、宇宙人みたいな性格で、実は、うちにもあまり帰ってきませんでした。その父のために、祖母が出資してつくったのがオーベルジーヌです」。
創業は1987年。髙橋さんが5歳のとき。ただし、このとき、お父様もまだ26歳。
「めちゃくちゃボロいアパートに住んでいました。それでも、最初はお金もあったんです。だから、外食といえば、相当、いいお店で、です。ただ、父親がだんだん帰宅せず、お金も湯水のようにつかって、底をつきます」。
お父様は、板橋区のジェームズディーンと言われたそう。プレイボーイだったんだろう。髙橋さんが14歳のとき、ご両親は離婚。下を向く髙橋さんを叱責したのは、当時の女性担任だった。
学校での様子を聞くと、人気者だったという。小・中は水泳。高校では陸上と空手をしている。中学のときは担任に言われ生徒会に立候補。人気者だから、ふつうに当選したという。
ちなみに、板橋区のジェームズディーンは、カレーをどこで修業したんだろうか?
「欧風カレーの名店で修業されたオーナーのショップで習ったらしいです。ただ、色々あって退職し、独立したと聞いています」。
店名も聞いたが、いずれも名店。オーベルジーヌも、その系譜というところだろうか。髙橋さんの話を聞いていると、髙橋小年を真ん中に動く、父と母、そして、ともだちたちの様子が、目に映る。
大学中退。進むべき道は、決まっていた。
「大学には進学したんですが、1年ちょっとで退学しています。大学のときからアルバイト三昧で(笑)。あるとき、TVで『1万人アンケートで選ぶ、好きなカレーのランキング』というような番組があって、うちが7位だったんですね」。
<7位でもすごいですね>というと、髙橋さんは笑いながら、「7位も悪くはないんですが、私はその番組を観て、勉強のために、大学を辞め、1位のカレーショップに就職しました」という。
お父様の店を継ぐのは、中学生の頃からの既定路線。だから、大学の進学もある意味、猶予期間。TVを観たことで、その期間が短くなる。そちらで、1年程度、勤務して、21歳のときにお父様が経営するカレーショップで仕事をはじめた。
「赤字がつづいていた」と髙橋さん。
宇宙人のお父様に、堅実な経営は似合っていなかったのかもしれない。
「銀座店で店長を務め、133%アップを実現しました。それでも父親がいうには『創業したことがないだろ』なんですね。それで23歳のときに、一度退職しています」。
腹立たしかったからか、それとも、経験しておくべきと思ったのか。どうやら、後者のほう。案外、素直な性格。髙橋さんは、お母様が望まれていたようで、改めて専門学生となり、そのかたわらで居酒屋をオープンした。
「創業してわかったことは、負債のプレッシャーもそうですし、何より金策が難しかったですね。いい勉強になりました。『過去5年分の決算書用意してください』って。なんで、ああなるんでしょうね。決算書もなにも、すべて今からだっていうのに(笑)」。
金策には苦労したが、経営自体は難しくなかったという。そして、再度、父親の会社に復帰する。もちろん、会社は赤字のママ。キャッシュフローが回らない。
「これが、26歳のとき。かなりやばい状況でしたが、そのとき、すでにロケ弁はスタートしていたんです」。
テイクアウトとデリバリーのみ。
ロケ弁。
ウイキペディアによると「映画やテレビ番組のスタッフや出演者が、撮影・収録現場などで、撮影・収録の前後や合間に食べる弁当」とある。TVなどで「ロケ弁」を耳にするから、案外、広く知られている。
実は、このインタビューを行う少し前の、2024年6月に「第1回日本ロケ弁大賞」が開催されている。オーベルジーヌは、名店を差し置き、堂々、大賞にかがやいている。
「私が25歳で復帰したときは、さすがにお金がなくなっていました。だから、先輩社員たちもいなくなっていた。以前は、芸能人の方がお忍びでいらっしゃっていましたが、この時にはもう、イートインをやめ、テイクアウトとデリバリーにしシフトしていました」。
芸能人の名前を聞くと、「え?、ほんとに?」と声が漏れる。
「キャップを深く被っていても、オーラーがちがう」と髙橋さん。
ただ、芸能人が来ても、業績は改善されなかった。
「私が復帰する時の月商は500万円くらいでした」。テーブルは6席のみ。「1席にお1人だと、マックスで6人。これでは、あまりに非効率で、採算が取れません。だから、思い切ってデリバリーとテイクアウトにシフトしました」。
<テーブルもイスもなしですか?>
「ええ、そうです。実は、私が復帰してから、試行錯誤して、味そのものもかえているんです」。「旨いかどうかは別にして、セールスできる商品になった」と、髙橋さんはいう。
「ロケ弁」ビジネスが、ロケットスタートする、といいたいのだが。
「タイミングが悪く、東日本大震災が起こりました。収益の大部分をTV局に依存していたものですから、とたんに厳しくなります。1年半くらいは、業績もぜんぜんでしたね。だって、番組がつくられないんだから、演者も、スタッフも、そして、ロケ弁もいりません」。
苦境は、1年半くらいつづいたそう。ただ、もと通りになったとき、髙橋さんは打ってでる。1都3県に商圏を広げる。ポータルサイトにも、依頼した。
それで、改めてロケットスタートがはじまる。
「月商が2500万円くらいになったときですね。TV番組で、あるお笑い芸人の方が、オーベルジーヌを連呼してくださって。一気に500万円アップです(笑)」。
笑いが止まらなかったわけではない。汗をかいて体制づくりを行なった。おすすめいただいた芸能人の方々に、恥をかかすわけにはいかないから。
ちなみに、髙橋さんは、日清食品からオファーを受け、カップラーメンの監修を行なっている。カップラーメンは数量限定だったが、カレーメシの監修は今も行なっているそうだ。
現在では、それ以外にも、セブンイレブンやイトーヨーカ堂などから依頼を受け、数多くの商品の監修を務めている。
・・・・続き
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