2025年4月15日火曜日

株式会社ピアッティーベッラ 代表取締役社長 髙上 彬氏登場。

 in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ピアッティーベッラ 代表取締役社長 髙上 彬氏登場。

本文より~

高校を卒業するまでの、髙上さんの話。

「中学入学早々、どつかれた」と笑う。
今回、ご登場いただいたのは株式会社ピアッティーベッラの代表取締役社長、髙上 彬さん。ピアッティーベッラは、あのバルニバービの子会社の一つ。
バルニバービのグループ会社は、バルニバービ インターフェイス、バルニバービ オーガスト、バルニバービ ウィルワークスにつづき、今回で4社目となる。出会ったのは、いずれも異色のキャラクターだった。今回も、「どつかれた」から話がスタートしたから、期待せずにはいられない。
では、お話をうかがっていこう。
「私は小学6年生まで神戸市で育ちます。小学生の頃の楽しみは、祖父が経営する酒場のお手伝い。毎日のように通ってお小遣いをもらっていました」。
小学生にとっては確かに楽しいアルバイト。さぞ、赤ら顔の大人たちに可愛がられたことだろう。
「中学から広島に引っ越し、私はバスケットボールを始めます。どつかれたのは、この時。髪の毛を染めていたのがあかんかったですね。バスケットボールの成績は市で2位、県でベスト4、近畿大会まで進みました」。
「もし戻れるならもう一回やってみたい」と、当時の話をしながら、髙上さんは目を細める。「監督から、彬は誰より『楽しんどけ』『笑っとけ』と言われていました。副キャプテンで、ムードメーカーだったんです」。
最初から意識していたわけではないが、そう言われて、「はじめて意識してやるようになった」とのこと。
これは、今も実践していることの一つだそう。
「バスケットボールを引退した後、ボクシングを始めました。母親から『男は格闘技やれ』と言われていたんです。階級はバンタムあたりです。高校3年間はボクシング漬けでしたが、プロは意識していなかったです。ただ、楽しいからつづけていたっていうのが、正解です」。
小学生の時と背丈はちがうが、あの時とおなじように「大人に混ざってやってるのが楽しかった」らしい。
ボクシングのかたわら、ダンス教室にも通っている。
ボクシングに、ダンス。だれよりも笑って、たたかい、踊っていたに違いない。その一方で、「じつは、高校1年の時から海外に関心があって行ってみたいと思っていたんです」。
話は、いろいろなところに飛んでいく。

バンクーバー。ストリップと黄昏時のメキシコ。

「黒人の文化っていうんでしょうか、彼らの音楽にハマってダンスが好きになって。その延長線上で、海外に行きたいと思うようになるんです」。
行動力は、ピカイチ。今までの話でもわかるが、高校を卒業するとためらうことなく日本を離れる。
「学生ビザで、カナダのバンクーバーに渡ります」。「じつは、辻調理師専門学校にも興味があった」という。
やりたいことが、満載。バンクーバーでのお話もうかがったが、いかにも髙上さんらしかった。
「語学を覚えなきゃいけないんですが、私の場合は、ストリップ劇場でマスターします」。
<ストリップ?>
「ストリップといっても、ワンドリンクをオーダーすればいいだけです。ストリップとお酒を楽しみながら、会話を楽しむ感じです」。
なんだかバンクーバーっぽい。ただ、そのバンクーバーっぽいロケーションのなかで、東洋から来た青年は、どんなふうに映っていたんだろう。
ドレッドヘアで、リンゴを齧り、自転車に乗る。風景がいい感じに後方に流れていく。「そう、そういうのをやりたかったんですが、買った自転車は、その日にパクられます(笑)」。
旅にも出た。
「もともと、海外に行く目的の一つに人見知りを直すっていうのがあったんですね。周りからはムードメーカーなんて言われていたんですが、じつは案外、人見知りで」。
<だから旅にでた?>
「そうです。1人でテントで野宿したこともありますし、ともだちと2人でメキシコまで行こうと言って、国境で色々あって、なぜか私だけメキシコに放り出されて。もう、黄昏時だったんですが、ギャングみたいな人がいっぱいいて(笑)」。
「もうあかん、と思った」とこちらを笑わせてくれる。
言葉は、つたないままでもなんとか通じたそうだ。
青年時代の1ページ。
「バイトは、ホットドッグショップで」。
ボディーランゲージ入りのコミュニケーションで、ホットドッグを渡し、お客様と会話する様子が目に浮かんできた。

かっこいい、飲食店。

バンクーバーでの留学生活は2年。帰国した髙上さんは、広告代理店に就職する。
「求人広告の代理店で、私の戦場はスナックビルでした(笑)」。契約をいただくために、スナックに飛び込んでいたんだろうか?
「じつは、この仕事が、今の仕事に就くきっかけ」と髙上さん。
<どういうことだろう?>
「心斎橋の、これはスナックじゃなく、カフェに営業をかけた時に相手の担当者がむちゃくちゃ格好いい人で。営業マンの私がぎゃくに心をつかまれてしまって」。
<それでどうしました?>
「急に、飲食へ進みたくなるんです。ただ、働くにしても、飲食店は言うたら山のようにあるでしょ。それで、リサーチしようと思って厨房設備のメーカーでアルバイトを始めます」。
<いいお店はみつかりましたか?>
髙上さんは、「うん」とうなづく。 
「ある日、イタリア人がオーナーのレストランに冷蔵庫を設置しに行くんです」。
急な階段を上がる。その急な階段が「イタリアにある洒落たレストランのようだった」と髙上さん。内装も、イタリアさながらで、当時はめずらしいピザ窯もおいてあったそう。
厨房からは、笑い声がもれてくる。「オーナーも男前で、とにかく、かっこいいの一言。翌日さっそく、食事に行きました」。
トントン拍子とは、このこと。
食べに行って旨かった→働かせて→じゃあ、明日から。
「君は『ジャコミ(GIACOMI)』ねと、あだ名までつけられた」と笑う。
このあだ名は今使用しているジャコモ(GIACOMO)とは意味合いが少し違うらしい。
ジャコミは、イタリア語圏の男性名で、どちらかというと小さい子供につかうあだ名。バルニバービで働く中でGIACOMO(ジャコモ)に、大人になろうという気持ちを込め、現在ではGIACOMO(ジャコモ)を名乗っているそう。
それにしても、翌日からとは営業の仕事のほうはどうしたんだろうと、多少、気にはなるが、はしょってつぎに進む。

イタリアレストランから、バルニバービへ。

「オーナーはイタリア人でしたが、従業員は日本人です。ホールからスタートします。厳しかったですね。朝から夜までです。2年半くらい経ってポジションが空いたのでキッチンに配属してもらったんですが、こちらもむちゃくちゃ厳しかったです。でも、そのおかげで、本格的なイタリア料理をマスターできました」。
「合計5年働いた」という。
「流行っていましたしね。私も正直、天狗になっていたと思うんです。ホールの時にはソムリエの資格を取得していましたし、もちろん、料理は本格イタリアンです」。
<退職されたのは、どうして?>
「この頃には、もう立派な飲食人ですから、いつかは独立というのが頭にあって。この店では料理はマスターできたんですが、お金のことはオーナー以外ノータッチ。経営に関してなにか言おうもんなら、『出ていけぇ~』ってなるようなオーナーだったもんですから。経営について勉強できる店に移ろうと思っていたんです」。
<それがバルニバービ?>
「正確にいうと、バルニバービの創業者で現会長の佐藤裕久さんがちょくちょく食事にいらしてたんです」。
<佐藤さんもかっこいいですよね>
「そうですね。で、それが縁で、バルニバービではたらかせていただくことになりました。最初に配属されたのは、『アマークドパラディ』で、席数60席。私は、数字のほうを管理したかったから、ホールとして採用いただきました」。
「ぶっちゃけ、下にみていた」と、髙上さん。
「当時、バルニバービって言えばガーブだったんですが、私たちからすればカフェでしょ。こっちは、本格イタリアンですから。料理については、特に下にみていたんです。でも、すぐに鼻を折られたっていうか」。
「とんでもない人がいた」と髙上さん。
バルニバービの創業メンバーで、内定をもらっていた就職先を蹴って、創業者の佐藤さんと冒険にでた人だという。「もう、むちゃくちゃ怒られた」と笑いも多少ひきつる。

佐藤会長からの一言。

「入社してすぐにランチ、担当です。『なにをやってもいい。とにかく、ランチのセールスをあげろ!』って。そんなことを言われても、なにをどうすればいいかわからない。窮地に追い込まれます」。
<どうされたんですか?>
「もう、捨て身で、『じゃんけん大会』でしょ。『◯◯さんを連れてきたら、ドリンク一杯サービス!』なんて無理くり企画を絞りだして。ところが、案外、その捨て身の企画があたって、ランチが大盛りあがり」。
飲食のカテゴリーが、食事一つでないことがわかった。お客様がハッピーになる。飲食の正体は、たぶん、これ。ジャンルは、その方法論のちがいなのかもしれない。
<佐藤会長とは、お会いされましたか?>
「入社してからは、そうそう話す機会はなかったです。ただ、一度、食事をする機会をいただいて」。
「経済か、経営か、そういう話を期待していた」と、髙上さん。経営を知るのが、バルニバービに転職した理由だったから、それも当然だ。
「でも食事の間、佐藤はぜんぜんそんな話はしないんです。こっちはなにか指導して欲しいんですが。ただ、その時、言われたことは今も鮮明に頭に残っています」。
<何を話してくださったんですか?>
「佐藤会長って言うたら、私らからしたら、むちゃくちゃかっこいい神のような経営者です。さぞ、かっこいいことをおっしゃるんだろうと。話についていけるか心配していたんです。でも、ね。昔、中学の時、バスケの監督に言われたようなことを言うんです」。
「へぇ、佐藤さんも、こんな泥臭いこと言うんや。そうか、飲食の大事なことはやっぱりそこなんやって」。
むちゃくちゃ感動したにちがいない。たぶん、飲食の仕事をしている限り、忘れない。
佐藤さんは、髙上さんをみてつぎのように言われたそうだ。
「お前の仲間は笑っているか? お前はだれより笑っているか?」

・・・続き

株式会社ピアッティーベッラ 代表取締役社長 髙上 彬氏

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